きたで・よしかず/石川県出身。家業が建設業だったことからインテリアデザインの専門学校に進学するが中退。デザインの専門学校に再入学し、広告企画を学ぶ。編集制作会社や映像制作会社でグラフィックデザイナーや営業職などを経験して独立。
現在、注力するオリジナル絵本。ブライダルなどでの活用シーンやニーズをマーケティング中。将来は、道徳の教材にもなるような絵本を描きたいという北出さん。この絵本を、その夢への第一歩として考えている
もともと独立志向が強いほうだったので、いつか独立するとは考えていました。自分の技術で食っていくぞと。しかし、なかなか勇気が出ないものですね。夢(独立する日)に日付を付けても、僕はうまくいきませんでしたし(笑)。結局、本気で独立を考え始めてから、実際にデザイナーとして独立するまでに2年もかかりましたからね。「憧れのフリーランスデザイナー」という夢見るファンタジーの世界への妄想から少しずつ脱して、地に足をつけた独立後の現実社会をどう生きるか――。やっとそんな当たり前のことを考えるようになれた2年間でした。
最初にやったのが「自分を知る」ということですね。何か得られるはずだと異業種交流会に何度も参加し、「独立したいんです」と言って回りました。しかし、愕然としてしまいましたよ、自分に。交流会の中で「イケメンデザイナーの北出くん」と紹介されたことがあったんですが、それって僕には何も仕事上のウリがないってことじゃないですか! 誇れる能力がない……。本当にショックでした。また、映像制作会社に勤めていた時代、営業職も経験したことから、お客さまの名刺だけはいっぱい手元にあったんです。その連絡先に片っ端から電話して営業を試みました。ところが、自分のウリがわからないし、お客さまが何を求めているのかもわかっていないので「何かデザインのご用はないですか?」と聞くことしかできない。当然、ひとつも仕事を得ることはできず……。自分は独立してどういうデザイナーになりたいんだろう?と、真剣に考えるようになっていきました。
ビジネス名刺プランナーの先輩、中野貴史さんと共同で借りているオフィスは、民間のインキュベーション施設。受付や会議室なども充実した環境で、異業種の入居企業との交流も盛んだ
「フリーランスのデザイナー」というと、東京・青山あたりに事務所を構えているものと思い込んでいたんです。ですから「事務所=法人」みたいなイメージがあって、法人のつくり方に関するビジネス書を読んで、当時は最低資本金の高額さに気が遠くなっていました。しかし、独立したグラフィックデザイナーの人のブログを読んだり、SNSで知り合った先輩起業家に質問をするうちに、法人にする必要のないことがわかり、希望が見えました。とはいえ、先立つ資金もない。自宅をオフィスにしている人も多いと知り、「それはいい!」と。当時、まだ結婚していませんでしたが、僕は家庭を大切にしたいという思いがあったので、自宅なら家庭との両立もしやすいだろうと思ったんです。
そんな時に、ビジネス名刺プランナーとして独立した先輩を紹介されました。ビジネス的な視点の鋭い先輩で、しかもかなりの行動派。彼が自分の目指すべき将来像となりました。その尊敬する先輩から、「一緒にオフィスを借りないか?」と誘っていただいたんです。家庭を持つ彼は、自宅をオフィスにした場合の大変さをよく知っていました。公私の区別の難しさ、仕事をしていても容赦なく子どもは背中を登ってくること……。それらの話やシェア・オフィスなら家賃も安くなることから、独立への現実味がどんどん増していったのですが――それでもなかなか踏ん切りがつかない自分がいました。
気持ちが急転したのは、「ユニクロが農業に進出して失敗したのは、完璧に何もかもそろえて準備したから」という話を聞いた時ですね。資金はいくらあっても足りないと思えば足りないし、成功するための完璧な準備などない。いくら準備万端でも失敗する時はするし、完璧などないんだということに気づいて、背中を押された気分に。2008年の年明け早々、独立の意思を勤務先に伝え、恋人には結婚を申し込みました。円満退社が大事だと、退職後も応援してもらえるような空気づくりを心がけ、取引先には退職と独立のあいさつをしたのみ。決して「自分に仕事をください」とは言いませんでした。でも、独立後すぐに取引先や元勤務先から仕事をいただけて、本当にうれしかったです。
1年目はとにかく死に物狂いでやり切ったという感じでしょうか。正直、充実感はなかったですね。これだけ必死で頑張って、これだけしか成果が出ていないのかと。もう一度、自分はどういうデザイナーでありたいのか考えました。そこで出た答えは「お客さまに喜んでもらいたい」ということ。どうすればお客さまが喜んでくれるのか? それはやはり、売り上げが上がることでしょう。だったら、効果が出る販促ツールで応援しよう。そう考えたんです。スタイリッシュなデザインよりも、人柄や思いやりが見える人間くさいデザインのほうが人の心に届くんです。最近になってやっと、デザイナーとして自分はどうありたいのかが見えてきました。現在は絵本をモチーフにした販促アイテムを開発中です。その昔、漫画家を目指していた自分のイラストを、販促ツールとして最大限生かしていきたいと思っています。
実家が建設業を経営している影響もあって、幼い頃から「大人になったら自分の技術で食っていく」という気持ちがありました。が、30歳目前、平和ボケしている自分に気づいたんです。もう大人になったのに、なぜ自分はぬくぬくと勤め人をしているんだ!と。そこで気持ちを入れ替えて、急きょ独立準備に入りました。
50万円です。パソコンなどの設備費に約13万円。共同オフィスの保証金や前家賃で同じく約13万円。残りの約24万円が運転資金です。けっこう心もとないスタートでした。
会社勤めをしていた時の1年間の貯蓄です。なかなか貯蓄ってできないものですねぇ。でも「お金が貯まらないから」を独立しない理由にしていると、一生独立できない気がして。まだ足りないという不安はありましたが、最終的には一歩を踏み出しました。
当時は恋人だった僕の妻は「あなたならできるわよ」と言ってくれましたが、友人たちには「無理じゃないの? 大丈夫?」とかなり心配されましたね。両親には事後報告。いっさい相談しませんでした。
もう、何もかもが不安でしたよ! いろんな責任感に押しつぶされそうでしたし、「地球で起きている問題はすべて自分のせいだ!」くらいに思っていました(笑)。独立前後の1カ月は寝られなかったですし、毎日が恐怖でしたね。独立してすぐに仕事をいただけたことや、定期的な仕事をもらえたことで、徐々に恐怖心も薄れていきましたが、独立のプレッシャーに慣れるまでは不安でしょうがなかったです。
独立するためのハウツーに関しては、インターネットが大きいでしょうか。独立しているグラフィックデザイナーのブログで独立後のリアルな生活を学んだり、SNSのmixiで見つけたフリーランスデザイナーの方にも質問したり。また、異業種交流会にもよく参加しました。そこで今一緒にオフィスを借りている先輩を紹介してもらったんです。
共同でオフィスを借りているビジネス名刺プランナーの先輩です。先輩はビジネスの視点をしっかり持ちつつ、行動力のある人で、数年後に目指すべき自分の理想像でもあります。いろんなことを相談しましたし、今でも相談することが多いです。友人や妻にも相談はしましたが、どちらかというと、相談というよりは報告。自分自身の気持ちを確かめるという要素が強かったですね。
デザイナーには年齢的な賞味期限があると気づいてしまったことでしょうか。体力が落ちると徹夜が厳しいので急ぎ仕事を頼みづらい。若い担当者にとっては年齢が離れているので扱いづらい。家庭があるからしっかり休みを取るので連絡しづらい。なのに、ギャラは安くない……。年を重ねるごとに仕事が減っていくはずだと。なので、40歳までには決定的に差別化できるコンテンツを持たないといけないと思っています。
時間が自由。「北出、ありがとう」と僕がやったことは僕が感謝される。責任はすべて自分にあるから、ひとりのお客さまにどれだけ時間を割いても自由。お客さまを選べる。ツラい仕事をしなくてもいい。いいことばっかりです。また、独立するということは、「自分を生きる」ということですから、自分なりの哲学ができ上がっていきます。それも嬉しいことですね。
とにかく人に「独立したい」と言いまくることは大切だと思います。人に伝えることで、自分の本当の気持ちを探っていくことになるので、何度も話しているうちに「なぜ独立したいのか」「誰の役に立ちたいのか」が明確になります。あと、僕は独立準備中、異業種交流会に参加したり、ネットで見つけた先輩起業家にメールで質問したり、積極的なコミュニケーションをしていました。その縁で今の仕事につながったり、メンターと出会えたり。いろいろ動いたことが、結果、種まきになっていたんですね。でも種が後でどんな花を咲かせるのか、その時点ではわからないもの。ですから、思ったことはどんどん行動に移しましょう。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報