こばやし・けんいち/大阪府出身。マツダに13年間勤務。独学でPCを習得し、ISO担当や教育リーダーを務める。技能五輪の大会にも出場。技能や技術をわかりやすく伝える「デジタル易化」を確立し、独立。妻とふたりの娘と4人家族。現在休止中のバイクで北海道一周が夢。
独立を決意した小林さんあてに、その当時タイに駐在し ていた恩師・圓山雅俊さんから届いたエアメール。今も 大切に保管して、時々眺めては心の励みにしている
いずれは独立したいと漠然と考えていましたが、大きな転機は品質向上のための現場教育を担当してからです。マツダに入社し、本社工場での勤務を始めてから、ものづくりひと筋でした。製造ラインを経て、ISO9001、ISO14000のリーダーとして、製造現場の人に向けたマニュアルをつくっていた時のことです。マニュアルに載せるのは専門技術ですから、当然のことながら、文書にすると相当な量になってしまいます。それを承認してもらうために上司に提出したら、3秒もせずに突き返されてしまって。「私が見る気がしないものは現場にも見てもらえん。我々の現場には2000人ものスタッフが働いているんだ。その中で一番理解力が低い人間にもわかるものをつくれ」と。この時の上司、現在、品質本部副本部長の圓山(まるやま)雅俊さんのこの言葉が、現在の僕のビジネスの原点です。「わかりにくいことを、いかにわかりやすく伝えるか」というニーズを示してくれた、まさに恩師。
その時は、文字や図解だらけの分厚いマニュアルをどうすればわかりやすくなるのかと考えて、思い付いたのが「デジタル易化(いか)」(デジタル化してわかりやすくすること)でした。僕はコンピュータが好きだったので、映像やCGアニメーションで表現したらどうだろうと独学でやってみたんです。それが、「わかりやすい」と評判になり、現場から初めて「ありがとう」とお礼まで言われたんですよ。これまでお礼なんて言われたことがなかったので驚きましたが、ものすごく嬉しかったですね。
09年7月に近畿大学工学部の研究員となり、学 内にデスクを持つ。生物工学科の教材をデジタル易 化でわかりやすくする、トライアル研究をスタート
その後も、デジタルを使って社内マニュアルやイントラネットも担当するようになったのですが、要は目立ちたがり屋のB型なんです(笑)。「これはわかりやすい。誰がつくったのか?」と聞かれるのが嬉しくて、喜んで「はいはい!」と手を挙げたいタイプ(笑)。喜んでもらえれば、次はもっと期待に応えたいと頑張るわけです。そのうち他部署からも「小林を貸してくれ」とか「報告書をつくってくれ」と言われるように。「これはもしかして、うちの会社だけでなく、社外でも十分にニーズがあるのではないか」と思うようになり、自分の能力を試してみたいと独立を決意しました。
退職願を提出した直後、本社の工場長に呼び出されまして、てっきり引き留められるのかと思ったら、「ちょうど良かった! さっそく頼みたい」と初仕事をいただきました(笑)。それが独立後の初実績になり、また、起業したばかりの当社のことを広島の経済誌が記事にしてくれたのを皮切りに、メディアからの取材が殺到。それを見た企業から依頼が入るようになりました。意図していたわけではないのですが、ちょうど時代が、いわゆる「2007年問題」にもマッチしていたのだと思います。団塊世代の熟練工の一斉定年退職により、高度な技能や技術をいかに伝承するか――。どの企業によっても課題でしたから。
仕事が実績になり、それをまたメディアへプレスリリースにして送り、また仕事が入るといういい流れになりました。でも、とにかくやってみないと気が済まない性格なので、独立した当初、新聞折り込み広告やダイレクトメールも送ってみたんですよ。でも、これはまったくのムダ打ち(笑)。営業飛び込みも3件ほどやってみましたが効果はなし。それよりもプレスリリースが効果的でした。これまで送ったプレスリリースの掲載率はほぼ100%です。広告宣伝費をかけずに宣伝してもらえる方法もあるんだなと、身をもって知りました。
現在は、自動車業界に限らず、匠の技を後世に伝える伝統技能、専門的な医療やバイオ、大学の教材、商品説明のプレゼンテーションや営業ツールなど、幅広い業界から仕事の依頼をいただいています。それらをデジタル易化するには、まずは僕自身が完璧にその技術や技能を理解する必要があるので、徹底的に勉強させてもらいます。そのうえで、どのようなコンテンツにすればわかりやすく伝わるかを考え、デジタル易化していくのです。様々な分野で利用いただいていますが、自分の原点にあるのは、僕のような人間が笑うことです。僕はマツダ在職時に、技能五輪の大会に出場させてもらいましたが、製造ラインでは決して優等生ではなかったんですよ。だから、入社したばかりの僕のような人間でも、デジタル易化したマニュアルで学ぶことで、高度な技術や技能をわかりやすく、すぐに理解でき、現場でもミスなく笑っていられる。そうなれば嬉しいという思いで活動しています。将来的には、「わかりやすいマニュアルづくりならフィールイメージが一番」といわれるぐらい、認知度を高めていきたいと思っています。
品質向上のためのISO担当で、製造現場の教育も任されていました。技能や技術をいかにわかりやすく伝えるかをテーマに、テキストではなく動画やビジュアルを使ったマニュアルを作成していたんです。それが「小林のはわかりやすい」と、社内で評判になり、所属部署だけでなく他部署からも依頼されるようになりまして。「わかりやすく伝えること」は、もしかして社外でもニーズがあるのではないか。自分の表現力は、何か世の中の役に立つのではないか、と思ったのが独立の動機です。とはいえ、正直なところ、人に喜ばれると嬉しい、目立ちたいという“B型だから”という気もしています(笑)。
自宅をオフィスに開業したので、特にありません。手持ちのパソコンやソフトを使用しました。
開業資金はゼロです。後に法人化した時の資本金は10万円で、これは自己資金です。
妻は特に反対もせず、「何とかなるわよ」と言ってくれました。言いだしたら聞かない僕の性格を知っているからでしょう。社内での反応は予想とは逆でした。「そんなに今の仕事がイヤなのか」「どこに転職するのか?」と言われるとばかり思っていたのですが、「小林なら何かやると思った」「頑張れよ」「アイデアはいいが世の中はそんなに甘くないぞ」と叱咤激励の声ばかり。執行役員からも応援メールをいただいたり、工場長からは「ちょうど良かった」と仕事の依頼をいただいたり(笑)。恩師である圓山さんは当時、海外赴任中でしたので、退職し独立することを知らせなかったのですが、人づてに聞いてかエアメールを送ってくれました。それが今も宝物です。
会社を辞めて独立すること自体が、やはり不安でした。家族のためにも苦労をかけるわけにはいかないと思いましたから。それは今でも思っています。
これまで培ってきた、自分のすべての経験です。コンピュータは独学ですが、だからこそ、人とは違う表現力が身に付いたのかなと思います。
独立前は、別段誰にも相談していません。独立後に知った、広島の起業家支援施設「SOHO国泰寺倶楽部」がいろいろ相談に乗ってくれました。あと、会社員時代の恩師である、圓山さんにも時々相談しています。
報酬交渉です。個々の事案によって、かかる労力も時間もまったく異なるので、個別交渉になるのですが、どのような基準で報酬を設定すればいいのか、交渉すればいいのか、最初はまったくの手探りでした。圓山さんに相談したら、「その成果物によって、どの程度、作業にかかわる人員の仕事量が楽になるのか」と、ヒントをいただき、当社のデジタル易化マニュアルを使うことで、教育時間がどの程度短縮されるか、それによる人件費はどう軽減されるのか、既存の教育費などとも比較して、総体効果を数字に換算して示すことにより、報酬を明確に設定できるようになりました。それ以降、交渉がしやすくなっています。
やはりクライアントに喜ばれることです。納品したデジタル易化マニュアルを見ていただいた後、握手を求められ、「ありがとう」と言われる。いろんな商売があると思いますが、そうそうあることではないでしょう? それが何よりも嬉しいです。
独立は、やはり人生の冒険だと思うんです。冒険ですから、生半可な気持ちで挑むものではありません。「つらいことや難しいことがあって当然」という覚悟で臨むべきだと思います。ですが、その困難を乗り越えた時に、必ず素晴らしいものに出合える。困難を波にたとえるなら、「よし、いよいよ来たぞ!」と波にのみ込まれることを楽しむぐらいの気概と、絶対に乗り越えて、何かを得てやろうという前向きな気持ちで挑んでほしいと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報