ふじい・みどり/東京都出身。短大卒業後、イギリスの航空会社で客室乗務員として10年間勤務。川越市に住居を移し、外国人観光客向けボランティアガイド、市民編集員を経験。織物と街、繭の地産地消テーマにしたNPO法人川越きもの散歩の代表理事も務める。
この日、手焼き煎餅の老舗「あとひき煎餅 塩野」の女将を取材。女将も地域活性化に尽力する人物だけに、川越を愛するふたりの話はディープで止まらない
キャビンアテンダントをしていた当時は、イギリスと日本を往来する日々。イギリスは伝統を重んじる国ですから、何百年も前から変わらない街の風景がありました。一方、フライトで1週間後に日本に帰ってくると、もう街の様子が変わっている。そんな変わり身の早い日本にうんざりしてきた頃、観光で川越を訪れました。もともと古い街並みが大好きで、浅草で暮らしていたくらいですから、昔にタイムスリップしたかのような川越の街並みにほれ込んでしまって。小江戸の街並み残る川越に、夫と引っ越すことにしたんです。
そして、前職で培った英語力を生かして、子育てをしながら2年ほど、外国人観光客向けのボランティアガイドをやっていたんです。思えばこの経験も今の事業のための下準備だったといえるのでしょうね。育児中に出会った方々も財産です。「公園デビュー」という言葉がありますが、川越の場合、ベビーカーを押してママたちが集まるのはお寺や神社。「お寺デビュー」なんですね。そのお寺の境内で、地元のご隠居さんから古くからある街のしきたりなどをよく教えてもらいましたし、織物市場の保全運動にかかわったことで地域ネットワークが広がったり。育児や市民活動を通して人脈は広がり、街の情報は深まり、私自身の信用も強くなっていきました。
藤井さんがていねいに制作する『小江戸ものがたり』。年2回発行で地元書店などに置かれ、小江戸川越に訪れた観光客の知的好奇心をくすぐっている
そうやって、川越の人とかかわり、どんどん街が好きになるにつれ、この街のタウン誌をつくりたいと思うようになっていきました。私は観光地に行くと、地元の人がつくったタウン誌を必ず購入するのが趣味だったんです。中でも、東京下町の谷中・根津・千駄木をテーマにした『谷根千(やねせん)』は草分け的な存在で、大ファンだったんです。いつかこんな雑誌をつくることができたらと『谷根千』編集部にも相談。「会報誌でもいいから、小さく始めてみたらいい」というアドバイスをいただき背中を押されました。自治体が発行する冊子の市民編集員として取材ノウハウを学び、知人の編集プロダクションでアルバイトをさせてもらって、情報収集やリサーチの仕方などを身につけました。
また、「女性と仕事の未来館」で開催していた起業セミナーも受講。起業までのプロセスが明確になりましたし、漠然とやりたいと思っていたことも明確に。何より同じ志を持つ女性たちと知り合えたことは勇気になりましたね。そしてついに、1冊目の『小江戸ものがたり』を発行したのが、2001年10月のこと。川越の企業や個人20社にスポンサーになってもらったのですが、それらの企業を紹介してくれたのは、町内のご隠居さんたちです。ありがたかったです。またPRのために、地元の記者クラブや首都圏散策マガジン『散歩の達人』に取材してもらえるよう依頼。それがきっかけとなり、『散歩の達人』で川越を特集する時はコーディネートを担当させていただきました。
タウン誌づくりでこだわったのは、職人仕事や普段着の着物など、忘れられたものを再発見し、発信すること。着物を着用して取材することにしています。やっぱり着物はこの街並みになじむ。観光客への視覚的アピールにもなると考えてのことです。もうひとつのこだわりは、タウン誌と連動した川越の歴史的建造物巡りや職人さんの工房見学などを開催すること。雑誌を読むだけでなく、もっと街を楽しんでもらいたいと思ったんです。 今では街案内やメディア向けコーディネート、大学の講師として海外に日本の伝統文化を英語で伝える冊子づくりを教えるなど、様々なコミュニケーション手段で川越の魅力を伝える仕事が派生。来年からは川越だけではなく、埼玉県の伝統工芸や織物ゆかりの地を私が案内するツアーも始まります。
最近は、着物を着て古い街を歩く月1回のイベンドも人気です。昨今、若い人も着物に関心を持つ人が増えていますが、なかなか着るチャンスがないという悩みを持つ人が多いんです。そこで、着物が似合う街を訪れることで、着物を着る機会をつくろうと。川越は埼玉県の中でも織物が盛んだった土地。町のDNAに織物があるんです。「川越唐桟(とうざん)」などの木綿織物は金額的にも手頃で、着物ビギナーにはうってつけなんです。そんな地の利を生かして、川越と首都圏にある織物ゆかりの街をつなげ、その街や人の記憶、埋もれた歴史や魅力を再発見するお手伝いができたらと考えています。
独立したい!という強い意志があって始めたわけではないんですけどね。自分の読みたいものがなかったので自分でつくるしかなかったんです。「雇われないで自分で立ち上げるほうが早かった」という感じですね。
30万円です。タウン誌『小江戸ものがたり』第1号は1000部刷ったのですが、その印刷代とイラストレーターやグラフィックデザイナーの方へのギャランティに使いました。
すべて自己資金です。貯蓄を充てています。
自分の貯蓄だけで身の丈スタートしていますから、家族は特に反対しませんでした。小さなタウン誌なのに、取材をさせていただいた地元の方々がとっても喜んでくれて。皆さんのそんな反応がとても嬉しかったですね。
ライターとしてのプロでもない私が書いた文章を、読者の皆さんに読んでもらえるかどうかが一番の心配事でした。そこで、タウン誌をつくっている先輩に相談したら「取材で聞いた話を面白おかしく書こうと無理せずに、聞いたままを文章にする『聞き書き』に徹すれば大丈夫」と。それでホッとしたのを覚えています。当時も今も、聞き書き中心で書くようにしていますね。
自治体の広報誌は地域の情報源の宝庫じゃないでしょうか。ボランティアガイドの情報も、起業セミナーの情報を見つけたのも広報誌ですから。街に関する情報は、ママ友つながりが非常に大きいと思います。
アルバイトをさせてもらった知人の編集プロダクション社長には、雑誌づくりのノウハウに関して本当にたくさんの相談をしました。あとは夫。夫には「こんなことがやりたいんだけど」と相談というか、夢をよく聞いてもらっていましたね。
独立して困ったことというより、この仕事をして困ったことでいえば、街の人に顔が知れわたってしまったことでしょうか。もう、変なことはできません(笑)。また、最初の頃は昔の話を本人にインタビューして聞くことが多かったですが、最近はご本人が亡なられ、逸話として言い伝えられているエピソードをお孫さんなどから聞くケースが増えてきました。これはもうしょうがないことなんですけど。街や人の歴史を聞く時の臨場感やワクワク感が薄れてきた寂しさはありますね。
一番は、自分の名前で仕事ができること。それと、歴史書には残らない街や人々の「暮らしの歴史」というのでしょうか。歴史書からは弾かれてしまう小さな歴史や職人さんの聞き書きを記録して残す、という人があまりやらないことを町の片隅で細々と続ける。そんな小さなメディアの居場所をつくることができたことです。
育児が起業のネックだと思っている女性、多いんじゃないでしょうか? 逆ですよ、逆! 私の場合、子育てしていたからこそ地域の人に信用してもらえましたし、ママ友を通じた地域情報の収集ができました。子育てしていなかったら、今の事業で起業していなかったと思いますよ。私もまだ試行錯誤の連続ですが、家庭も仕事も無理せず両立できるのが地域での起業という方法です。育児をネックだと思わず、プラスに変える発想力をぜひ持ってください。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報