?

先輩たちの独立事例集

先輩たちの独立事例集


西潟弘明さんの写真

顧客と共に成長する
中小企業コンサルタント

有限会社いろは堂/新潟県十日町市
西潟 弘明さん(47歳)

にしかた・ひろあき/新潟県出身。大学卒業後、都内の傘メーカーに就職。名古屋、大阪支店などを経て、長男の任もあり30歳で新潟へUターン。建設会社に9年間勤務し、独立。子ども3人を含む8人の大家族。2009年から「オンリーワンになる工務店の会」も主宰。

独立準備のがんばりどころ

集客目的で始めた自作の筆文字チラシが好評を得て、営業ツールのポップ制作も

写真

中学生まで書家の祖父に書を習っていたが、本格的に学ぼうと決意。起業後、書家・書道史家の石川九楊氏のもとへ入塾。毎月、東京まで通っている

Uターンして、新築・リフォームを手掛ける建設会社に転職しました。「まずは現場からだ」と社長に言われ、1年間、現場監督を続けながら、2級建築士、建築施工管理技士、管工事施工管理技士の資格を取得。その後、会社初の営業担当になったのです。営業とはいえ、仕事内容は幅広く、集客からクロージング、契約、設計、現場管理、集金、アフターフォローまで、気がついたらすべてひとりでやってた。「俺、社長になれる!」と思いましたよ(笑)。いい意味で任せてくれていたんです。自分で筆文字のチラシをつくるようになったのも、営業になって早々のことでした。書は祖父が書家で、子どもの頃から習っていて身近なもの。でもチラシなんかつくったことはない。広告というより、これから家を建てるお客さまへの手紙のようなものでした。これが、それなりに反響があって、集客に貢献してくれたのです。

そんなある日、社長が「これからはマーケティングの知識も必要だから、ビジネスセミナーへ行って勉強してこい」と。ちょうど会社の担当税理士である岡本史郎さんが上越市でセミナーを開くからと、そこへ参加してみた。それがすごく面白くて。勉強を重ねるうちに、筆文字チラシにマーティング手法を取り入れ、住宅説明会の会場用のポップもつくるように。実は僕、営業成績は良かったけれど、営業の仕事自体はそれほど好きじゃない。あれこれ説明するのが苦手で(笑)。お客さまもうるさく話しかけられるのはイヤでしょう? それで、展示場では音楽を流して、話して説明しなくても済む自作ポップを置いていた。これが好評でした。

ビジネスセミナーに自主参加するうち、自分では気づかなった経営資源に遭遇

写真

広告制作の経験はなかったが、住宅展示会への集客を目的に、自発的につくり始めた筆文字チラシ。会社員時代のこの経験が財産となり独立を後押しした

入社当時から好き勝手に仕事をさせてもらってきたので、社員も増えて営業部長になってからも、相変わらず不良社員でした(笑)。経営会議で面白くないと思えば、マンガ『巨人の星』の星一徹のように会議机をひっくり返したり、社長に「ふざけるなーっ!」と怒鳴りつけたり。それでも、器のでかい社長で、結局は、手のひらの上で僕を遊ばせてくれていたのだと思います。漠然と独立を考えるようになったのは、とあるセミナーで講師が発した言葉でした。「半年後に死ぬとわかったら、今の仕事を続けていけるか」と。「あぁ、それはキツいな。無理だな」と思ってしまった。何のプランもなかったですが、「独立するから辞めたい」と社長に言ったんですが、引き止められました。「じゃ、僕を社長にしてくれたら残ってやる」なんて言い返しましたよ(笑)。結局は、「まぁまぁ」と引き止められましたけどね。それから2年ぐらい、具体的なプランが浮かばないままでしたが、再び独立を決意したのは、また別のセミナーがきっかけでした。

すでにその頃には、自分の意思とお金で様々なビジネスセミナーに参加するようになっていました。ちょうど社内で新しい事業を始めたいと考えていて、参加費90万円の2泊3日新事業戦略セミナーに参加。そこで僕が出したビジネスプランは、「甘い!」と一喝され、ボロクソに言われたのですが、講師の岡本先生が、「それじゃ、西潟さんのいいところは何だと思う?」とほかの参加者に聞いてくれたんです。そしたら「自分でチラシをつくれるなんてスゴイ。しかも筆文字でということろがスゴイ。マーケティングを理解したうえで、これをつくれる人なんて、全国にそう何人もいないはず」と。しかも「性格もいい」なんて言われて(笑)。「えっ、そうなの? 俺、スゴいんじゃないか!と(笑)。誰でも筆文字なんて書ける、チラシもつくれる、と思っていたけど、特別だったということを初めて知ったんです。それで、3カ月後に退職して独立。過去いろんな勉強会に参加していたので、講師陣や参加者とのつながりから、チラシの制作依頼、セミナー講師などの仕事を頼まれるようになりました。会社員当時、ライバルだった企業からの依頼も(笑)。

顧客の成長によってニーズは変化する。柔軟に対応するには自己鍛錬が不可欠

独立してから、さらに勉強しています。書も、書家の祖父に習ったのは中学生までですから、日本一の先生に習ってみたいと。2004年から、書家・書道史家の石川九楊先生に習っています。入塾のきっかけは、偶然と幸運(笑)。ちょうど個展があるのを知り、見に行って、たまたま隣に立っていた見知らぬおばさんに、「先生は塾とかやっているんですかね?」と話しかけたら、「さぁ〜」と知らない様子。しばらく話していたら、「書をやる気があるの?」と聞くので、「はい。死ぬ間際まで書いていた書家の祖父に習っていました」と答えたんです。すると、その女性が、「本気で5年間、休まずに通う気がある?」と。驚いて、「ハイ!」と即答したら、関係者らしき人を連れてきて「住所と名前を書いていけ」と。後日、塾の申込書が届いたんです。驚きました〜。あのおばさん、誰だろうと思っていたら、なんと、石川先生の奥さまだったと随分後になって知りました(笑)。正直に受け答えしたことが良かったのでしょうかね。

書のほかにも現在、マーケティング、哲学と生命学、心理学と、4人の高名な先生の勉強会に参加しています。今年の春に「オンリーワンの工務店になる会」という会を立ち上げたり、他に以前からのクライアント8社が全国各地に点在しているので、地元にいられるのは月に10日がやっと。なぜそんな勉強しているかというと、最初は筆文字のチラシ制作からお付き合いが始まったお客さまも、集客目的のオーダーから、経営戦略立案のオーダーへと、企業の成長と共にニーズも成長していくんです。自然に、僕の役目もコンサルタント的な色合いが強くなる。そうなると、昨日までの知識は、今日にはもう古くなる。僕自身も日々勉強し、知識と体験を積んでいかないといけない。時代やクライアントの成長に合わせてニーズも変わり、自分の事業も変わる。ごくごく自然なことかと思いますね。

取材・文 / 岡部 恵 撮影 / 羽鳥 宏史

ちょっと気になる10問10答

  • なぜ独立した?

    会社員の時にいろんなビジネスセミナーを受講して、漠然と独立を考えるようになっていましたが、具体的には何もプランが浮かびませんでした。2年後、また違うセミナーを受講して、そこで社内新事業としてのビジネスプランを発表したんです。が、結果は惨敗(笑)。その時に、受講者のいいところはどこか、互いに意見を言い合う時間があったんです。皆さんから、「筆文字が書けること、ポップが書けること、マーケティングもある程度知っていること。こういう人は全国でもそんなにいないはず」と言われて、「ええーーっ!!」と驚きましたよ。自分では仕事上必要で当たり前のことだと思ってやっていたし、スゴいことだなんて思ってもいませんでしたから。これを生かして独立しようと、退職を決意しました。

  • 開業資金は?

    FAX複合機のリース契約費66万円を5年間で消費したぐらい。直接の開業資金ではないですが、自主的なセミナー受講費や本の購入費で、年間200万から300万円は費やしてきました。これは現在も同じですが金額は増えてますね。

  • 開業資金はどう集めた?

    貯蓄を充てました。

  • 周囲の反応は?

    妻は喜んでいました。やはり僕が仕事で精神的に荒れていると感じていたのでしょう。会社を辞めても、住む家はあるし、そんなに生活費もかからない。1年くらいは無収入でも大丈夫だろうと。勤務先の社長は、二度目の申し出でしたので、あきらめて受理してくれました。その当時、僕は部下を数人抱えていて、彼らには「いずれは会社を出るから」と、前々から言っておきました。小さな世界だし、迷惑は掛けたくないですから。一番驚いていたのは、独立のきっかけとなったセミナーの講師・岡本史郎先生でしょう(笑)。自分が触発してしまったと思ったのか、後日、社長のところへ謝りに行ってくれたそうです。ありがたいですよね。

  • 不安だったことは?

    独立前より、独立後のほうが不安でした。岡本先生や神田昌典先生に追い付いて、いずれ追い越さなくてはと思っていたので。ですが、先生たちがあっという間に有名人になって、「あっ、これは無理だ」と、あきらめた(笑)。僕は他人にはなれない。自分になるしかないと。心のどこかで、起業した以上、会社を大きくしなくてはいけない、なるべくたくさん人を雇わなくてはいけないと思っていたんです。でも、それも違うなと。「考え方は人それぞれでいいんだ」と思うようになりました。それでも独立後の2、3年は気持ちが焦っていましたけど。

  • 役立った情報源は?

    やはり、建設会社に勤めていた10年近い会社員時代の経験です。会社ではいい具合に仕事を任せてもらっていましたから。結果さえ出せば何をしてもいいという社長で、本当に自主的に何でもやらせてくれました。その時の経験が、大いに役立ったと思います。

  • 相談相手は?

    結果的には誰にも相談していません。いろいろな先生方からは、たくさんの貴重なことを教えてはいただきました。でも、彼らに独立に際して何かを相談したことはなく、事後報告しただけですね。

  • 独立して一番困ったことは?

    今は妻とふたりで会社を経営していますが、従業員を1人雇った時期が3年ぐらいあって。その時に、「人がひとり増えるだけで会社経営はこんなに大変になるのか」と実感しました。夫婦ふたりなら家族が生活できる程度の収入があればいいですが、従業員がいるとそうはいきません。人件費を稼がなくてはならないですからね。そのために仕事を取りに行くとどこかに無理が生じるのか、気がついたら仕事量ばかり増えて仕事自体が楽しくなくなっていたんです。自分はマネジメントタイプではなく、職人タイプなのだなぁとつくづく思いました。

  • 独立して一番良かったことは?

    人と人とのつながりが広がっていくことです。それと、クライアント企業が成長していくこと。自分も共に成長しないといけないので、こちらも必死に勉強しますしね(笑)。それと、建設会社で働いた経験を生かして、2009年春から「オンリーワンになる工務店の会」も立ち上げました。会員同士の商業圏が重ならないようルールを設けて、現在全国の工務店31社が加盟しています。大手にはない、中小工務店ならではの利点を生かしながら、地元化を深化させようというのが活動の趣旨です。お世話になった業界への恩返しという思いもありますので、この活動を始められたこと自体が嬉しいです。

  • 独立を志す人へのメッセージ

    会社員生活から逃げたいという動機での起業は、必ず失敗すると思いますよ。もし今、会社員であるあなたが好きではない仕事をしているとしたら、それは大きなチャンスなんです。なぜなら、起業すると自分の好きなことをするでしょ? つまり、好きなことしかしない=好きなことしかできなくなるということ。やりたくないことをする=起業したらできないこと。すごく貴重な経験なわけです。好きではない仕事に一所懸命取り組むことが、あなたの可能性を確実に広げてくれます。そのうえ給料ももらえますから、独立に向けて資金も貯められる。起業して半年や1年ぐらい無収入でも食っていける資金が貯まったら、本気でのめり込めるか自問して挑戦したらいいと思います。

設立
2005年7月(2002年6月創業)

資本金
300万円

従業員数
2人

年間売上高
1800万円(2009年5月実績)

アクセス
http://www.fudeji.jp/


アントレnet で独立の道を見つける!

独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報

・会員登録がまだの方
会員登録
・アントレnet会員の方
ログイン

INDEX(インデックス)

業種は?

独立前の仕事は?

独立前の年齢は?

ページの先頭へ