いとう・ひろし/秋田県出身。25年間、東京で公立小の教師として勤務後、母の介護のため退職し単身帰郷。酒販売業、漁業協同組合勤務を経て、釣り歴30年のノウハウを生かし、独自開発の「鮎友釣り用おとり鮎ルアー」で起業。東北地方発明表彰奨励賞を受賞。
胸びれ・腹びれの角度調整で特許権取得の鮎友釣り用おとり。初期ロットは2008年秋に完売し、今シーズンは改良型「泳2009年EX(エクセレント)型」が登場
鮎釣り歴は30年になります。小学校に勤め始めた頃に、学校事務の古河さんから「釣りが趣味なんだって? 今度一緒に鮎釣りに行こうよ」と誘われたのが運命でしたね(笑)。鮎釣りにはシーズンがあって、基本的に初夏から秋までのわずか数カ月。釣れる時期が限定されているからよけいに熱も入るし、マニアになる人が多いんです。解禁日の前夜ともなれば、待ちきれない釣り人が川岸に集まって、もうお祭り状態。
鮎釣りは、釣る場所によって方法も様々で、友釣り、ころがし釣り、しゃくり釣りなど、いろんな種類があって、それぞれに道具が異なります。それだけに費用もかかって大変だし、当時は今ほど竿も丈夫じゃなかったから、何種類もの竿を持って川へ行きました。それが億劫でね(笑)。友釣り用のおとりルアーも、既製品だと川の流れが強い場所では釣れるけれど、流れが緩くて浅いトロバやざら瀬ではまず釣れない。お守り代わりに胸ポケットに入れておく程度の存在でした(笑)。もっと気軽に竿一本で楽しめる方法はないものか、どんな場所でも使える友釣り用のルアーはできないのかと、教師時代に研究を始めたんです。自分でルアーの原型をつくっては、放課後、誰もいない学校のプールで実験したり。今だったら、教師がそんなことしたら、きっと問題になるでしょうね(笑)。
「国際フィッシングショー2009」に出展。鮎ルアー のリアルな動きに来場者が集まり大盛況。特許出願 中の海釣り用ルアー、揺動式自動魚釣り装置なども展示
教師時代は夏休みも釣り三昧でしたが、やはり本格的に研究できたのは教師を辞めて故郷へUターンしてからです。東京に家族を残して単身だったので、夜もルアーの研究する時間はたっぷりある(笑)。幼なじみと酒販売店を1年やり、横手川漁業協同組合で総務、副組合長を3年務めた頃には趣味の域を超えていて、特許権を申請しようと考え始めたんです。おとりルアーの原型も何代目かに進化。実家近くの横手川で試したり、釣り仲間の古河さんらにも協力してもらい、いろんな川で何度もテストして改良を繰り返しました。
もうほとんど改良の余地がないほど追求しましたね。生き鮎そっくりにウロコの表面までこだわり、尾びれを固定せず、胸びれ・腹びれの角度を変えられるように工夫し、水中での動きに変化をつけられるルアーが完成。このひれ部分で特許権を取得したのを機に起業しました。製品化は、商社の経営者で中国語が堪能な義理の弟の協力を得、中国深圳の経済特区の生産工場と契約。そして2カ月後、鮎友釣り用おとり「鮎ルアー輝」の販売を開始。同時に僕の鮎釣りへのこだわり、人柄を知ってもらうことが大切だと考え、Webサイトを立ち上げました。最初はぽつりぽつりと口コミで売れましたが、地元の『秋田魁新報』と『毎日新聞』に記事が載り、その後、ラジオやテレビでも紹介されたのです。この宣伝効果は大きかったですね。
初期ロット1000個は、販売から1年5カ月後に完売。今シーズン開始までには、さらに改良して価格も抑えた「泳2009年EX(エクセレント)型」を販売する予定です。そんな事情で、会場で販売する商品はなかったのですが、「国際フィッシングショー2009」にブースを出展しました。東京で教師をしている間にいつか来場者として行ってみたいと思っていましたが、まさか出展側になるとは驚きです(笑)。ブースでは、水中での鮎友釣り用おとり「鮎ルアー輝」の動きをお客さんに見てもらって、その反応から今期の製造ロット数を検討しようと考えました。同時に、愛好家だけでなく開発や卸の関係者も来場しますから、特許権とほかの釣り具のアピールを目的に、現在特許出願中のマグロ、ヒラマサ、カンパチが釣れる海釣り用大型ジョイントルアー、揺動式自動魚釣り装置なども展示。お客さんからあれこれ質問されるのも楽しいし、元教師ですから人と話すことも苦ではない。何より、来場者はすべて釣り好きという共通点がありますからね。こんなおじさんでもお客さんは釣れるんですよ(笑)。
きっと都会のほうが商売はしやすいかもしれないですが、僕は秋田にこだわりたい。ここ横手発、秋田発で、全国区の商品にしていきたいんです。ルアー本体こそ中国で生産していますが、検品はもちろん、本体以外のケースや取り扱い説明書、Webサイト制作などは地元の業者さんに依頼しています。少しでも地元に貢献したいですから。それにやはり元教師ですから、僕のルアーをきっかけに、子どもたちに鮎釣りの楽しさ、自然環境の大切さを学んでほしいという思いもあります。川に、魚だけじゃなく、子どもたちも戻ってくる。そんな貢献も続けていきたいですね。
必要は発明の母といいますが、趣味で鮎釣りを30年もやってきましたから、「こういうルアーがあればいいなぁ」とずっと考えていたんです。もともとは国語専攻ですが、小学校の教師でしたから全教科教えるでしょう。特に美術や図工が好きで、図画の専科の授業も受け持っていたんです。釣りも、絵画も、工作も好き。だから自分のために、ルアーの設計図を書き、原型をつくり、川で試すこと、そのすべてが楽しかったんですよ。趣味の一環としてルアーの原型をつくり始めましたが、特許権を取得したことを機に独立しました。
開業資金は300万円です。ルアー本体の製品化で180万円。ルアーを入れて販売するための小さな桐のケースの制作費で70万円。Webサイト制作費で30万円。残りは取り扱い説明書の作成、携帯用ケースの制作費などです。
すべて自己資金です。これまでの貯蓄を充てました。
特にありませんでした。家族は僕の性格を知っているから、たとえ止めたって聞く男じゃないとわかっていたんじゃないかな。釣り仲間は喜んでくれて、プロトタイプのテスト実験に何度も協力してくれました。
不安よりも、自分でつくったものを世に問うてみたいという気持ちのほうが強かったです。昨日今日始めた趣味ではないし、特許権も取得できたし、大好きな趣味のことでどんな質問にも対応できる自信もありました。それに教師でしたから、人と話すことも苦にならない。そんな様々な要因があったので、売れるかどうかは別にして不安はありませんでした。売れなくてたとえ事業が失敗しても、車を一台つぶしたと思えばいいやと。そう考えると不安なく挑むことができました。
釣り歴30年の自分の経験、そしてふたりの釣り仲間の意見です。僕を最初に鮎釣りに誘った古河さんは、有名な鮎釣り名人だったんです。ほかにもうひとり秋田出身の仲間がいて、勤めていた小学校では私も含めて「釣りバカトリオ」と呼ばれていました(笑)。今でもいい仲間です。起業に関しては、たまたま飲み屋さんで知り合った秋田県商工会連合会南部指導センターの吉田さんからの情報です。それまで何度か店で顔を合わせていて、「ところで何の仕事しているのか」という話になって(笑)。起業のプロセスなどを教えてもらいました。製造と販売に関しては、商社を経営している義理の弟が、中国の工場との交渉術や諸手続きなどを熟知していたことが大きかったです。
商売に関しては義理の弟、製品に関しては釣り仲間に相談しています。起業したことで、仲間が増え続けていますから、相談相手には困りません。ルアーは趣味のものですから、購入してくださるお客さんは顧客というより仲間。同好の士になれるんです。
ルアー本体は中国の工場に依頼して製造したのですが、最初に納品された何割かに欠陥があった時はまいりました。つくってもらった1000個すべてを一つ一つ細かくチェックして、結局はひれ部分を全部ばらして、日本国内の加工専門業者にやり直してもらいました。手間も経費も当初の計画以上に費やすことになりました。
いろんな人と“つながり”ができたことです。業者さんだけでなく、マスコミや、釣り仲間が増えて、人のつながりが広げられたことが嬉しいです。しかも、故郷にいながら、自分のやりたいことができるのですから、幸せですよ。それと、漫画『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄氏に僕のルアーを使ってもらえたことも喜びです。たまたま、町内会の集まりで釣りの話になって、「自分はこういうのをつくっている」と言ったら、矢口先生の俳句の先生だという人がいたんです。その人が仲介してくれて、手紙を添えてルアーを贈り、お付き合いが始まりました。どんな場所でも、自分が何をしているか言ってみるものですよ。
あきらめないことです。独立に苦労はつきものですし、大きな壁にぶち当たることもあるでしょう。でも、悪いことばかり考えてはいけません。「マイナス+マイナス」ではマイナスがふくらみますが、掛け算すればプラスになるのですから。壁を乗り越えるために必要なのは、前向きな気持ちと人的ネットワークです。そのために、常日頃から積極的に、人とのつながり、友人や仲間をつくることが大事です。一生懸命に頑張っていれば、誰かがきっと助けてくれる。「自分はこれがやりたい」と発信し続けること、相手に心を開くことです。自分がオープンじゃないと相手だって心を開いてくれませんからね。
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