くわばら・よしひろ/東京都出身。航空工業高等専門学校卒業後、精密部品メーカー、コンサル会社を経て特許流通アドバイザーに。知的財産活用、産官学連携による事業創出に取り組む。2007年、開発・特許流通・知財活用に特化したコンサルタントとして独立。
東京と広島を中心に全国を飛び回っているので、大きなビジネスバッグの中に様々な仕事道具が。多くの人に会うため、名刺入れは3つ用意。交換するたびに仕分けしている
僕は東京都立航空工業高等専門学校の機械工学科の出身なんです。いわゆる高専と呼ばれている学校ですが、高専って実はあまり知られていないんですよね。入学から卒業までに5年かかり、実習も含めて授業や課題が盛りだくさん。5年間で、高校・大学卒業レベルの知識を学ぶというわけで、かなり忙しかったです。その5年間で身につけたことを生かして就職したわけですが、高専時代の経験、そして会社員時代に出会った人たちがいたからこそ独立できたと、今、つくづく実感しています。
卒業直後に就職したのは精密部品の製造会社。まず、製造工程の管理や改善に取り組むなど、製品づくりの現場を経験しました。その後、生産技術や商品開発に携わり、幅広い仕事を担当させてもらったんですよ。若い時に、技術開発オンリーでなく、製造業に必要な業務をトータルで経験できたことが、結果としてその後の仕事に、そして独立に際しても大きく役立つことになります。
『農商工連携 シーズ活用ガイドブック』。中国エリアの大学・研究機関が有するビジネスシーズの中から農商工連携の事例を紹介。中国経済連合会の要請で桑原さんが制作した
精密部品メーカーを退職し、1991年、開発系のコンサルティング会社に転職します。ここでも新事業の戦略立案、新商品の企画・開発・設計・製作、また、技術や特許に関する調査、異業種連携のためのコンサルティングなど、実に幅広い仕事を経験。さらには、知的財産の構築や活用のための指導、その後に生じるライセンス交渉や契約にかかわるサポートも。結局この会社には16年間もお世話になり、業種や規模の異なる合計85社のクライアントのお手伝いをさせてもらうことになるのです。
ちなみにコンサルティング会社で働く中で、知的財産の活用業務の実績が認められ、社団法人発明協会・特許流通センターに出向するかたちで特許流通アドバイザーに就任。経済産業省中国経済産業局に赴任しました。当時、経済産業省では「産業クラスター計画」が始まり、その実施機関である社団法人中国地域ニュービジネス協議会(以下、中国NBC)で活動することに。「産業クラスター計画」とは、国、地域、企業、大学や研究機関などが連携して知的資源や事業化ノウハウを共有・活用しながら、新しい産業や事業を生み出したり、起業家の創出を促進しようとするもの。その中で僕が取り組んだのは、「特許流通促進事業」の融合による産業クラスターの形成。それに4年間携わりました。訪問した企業は年間300社以上にのぼります。僕は現在、東京と広島に拠点を持っていますが、広島の拠点は、中国エリアでの活動から生まれた企業や大学との縁があったからこそ成り立っているのです。
特許流通や知的財産コンサルティング、新事業の構築など、携わってきた仕事は起業へと発展していくことが多く、起業をする際に必要となる様々な視点を学ぶことができていました。そんな経験もあって僕は、「今までの経験やノウハウ、そして人脈を生かせば、ひとりでも何とかやっていけるだろう」と、あまり深く考えずに独立してしまいました(笑)。頼りは人脈。それまでの人脈をたどり、僕を頼りにしてくれていた人への恩返しになるようなことをやらせてもらえれば何とかなるのではないかと。そんな自信が、少しだけですがありました。そして実際、多くの方たちが僕を生かしてくれたんです。ですから、今も僕の仕事にかかわってくれている方々には、いくら感謝してもし足りません。
東京の自宅の一室を事務所とし、お客さんが来てもさし障りないようにと、オフィス仕様に改装しました。また、中国エリアでの移動には車が必須なので中古車を購入。自己資金は200万円ほど用意できていたのですが、開業後の運転資金で困らないよう、少額の公的融資制度を探してみたんです。すると、私が住んでいる東京・練馬区にも融資制度があることがわかりました。その「創業支援貸付制度」は、そもそも低利子なのですが、区が利子の1.8%を負担してくれ、本人負担がわずか0.4%と、それはそれは魅力的(笑)。同様の制度が東京23区各区にあるようですので、開業資金をもう少し増やしたいと考える場合に、ぜひ活用してほしいと思います。
一から自分で考えて、最終的な決断ができる仕事に専念したかったからです。会社員として雇われていれば、やりたくないことを延々とやらなければならないことも時にはありますよね。それがイヤだったからというわけではありませんが、僕の仕事は日々繰り返すもの。ならば、自分の意思でやると決めた仕事だけをずっと続けたい。そんな思いがどんどんふくらんで、独立に踏み切ったというわけです。
400万円です。そのうちの200万円は、自宅の一室をオフィス仕様にするための改装費。そしてパソコンと周辺機器、中古車を1台購入して100万円ほど。残りの100万円は運転資金として確保しておきました。
400万円のうち、200万円は貯蓄していた自己資金です。半分の200万円は、東京・練馬区の創業支援貸付制度を活用して融資を受けました。
家族には相談せずに独立してしまったので(笑)。妻に事後報告したら、「今までの給料と同額以上を稼いでくれれば、私は何も言わないよ」と。それって、優しいねぎらいのつもりだったのか、厳しい言葉をかけたつもりだったのか、いまだに謎ですが……。仮に、事前に相談して反対されていたとしても、それを押し切って独立していたでしょう。
それまでコンサルタントをやっていたにもかかわらず、「ところで、独立したばかりのコンサルタントに仕事がちゃんと来るのか?」と、根元的な不安が浮かんだとたん、かなり怖くなった(苦笑)。しかし、独立直後から、どんどん行動して提案を続けているうちに仕事が舞い込むようになり、その不安は少しずつ和らいでいきました。
数年前に刊行されていた、アントレ別冊「独立事典」は大いに使わせていただきましたよ。特に巻末に載っている「独立準備スーパーガイド」ですね。開業の手続きや資金調達、税務のことなど、使いまくりました。おかげで、いろいろな起業ノウハウ本を買わずにすみましたよ(笑)。でも、起業に関してはいろいろな法改正が毎年のようにありますので、起業を検討中の方で何か書籍や雑誌を参考にする場合、最新のものを活用してくださいね。
仕事柄、独立前から行政の支援機関の人たちをよく知っていましたから、その方たちによく話を聞いていただきました。また、同年代で起業している仲間たちとの話はとても参考になりました。何か具体的な深い相談というより、彼らの経験談が役に立ちましたね。いろんな話をしているうちに、「そういう仕事を考えているなら、一緒にやろうよ」と、実際のビジネスに結び付いたケースもあります。
事務作業など、すべてを自分自身でやらなければならないことです。会社員時代は、経理や保険・年金、また、ホームページやデータベースの整備は担当スタッフがやってくれました。今、そのありがたみをひしひしと感じています。それで、ある時妻に、「仕事手伝ってよ」とお願いしてみたら、「お給料いくら?」と(笑)。まあ、冗談半分でしょうが、僕の考えが甘かったです。働いた分の報酬はちゃんと出さなければならないと再認識しました。今後スタッフを雇うためには、それだけ稼げってことですね。
第一に、何事も自分の裁量で自由にやれるので、仕事のすべてが楽しくてたまらないことです。それと、やっていることの全部が自分からの発信ですから、お客さんに喜んでいただければ、それが自信になり実績になる。さらに会社員の場合、「もっとやれ、もっとつくれ」と言われて、実際に成果を上げても報酬には結びつかないことがよくあります。でも、独立して自ら頑張ったことには、必ず報酬がついてくるし、お金には代えられない達成感や満足感が得られるんですよね。
現在会社員で、「この仕事を自分の裁量で、自分の判断で進められたら……」と思っている人は、独立を考えてみてください。僕の場合、「何となく」というと心もとないイメージがあるかもしれませんが、本当に、何となく「独立してもやれる!」という直感のようなものがわいてきたんです。過去に、そして新たに開拓して構築した人とのつながりを大切にし、「あの社長のために、こんなことができそうだ」「この機関とならこんなビジネスが成り立ちそうだ」と、様々な構想が浮かんできました。そうやって独立のイメージをし始めると自分自身で独立の好機がわかってきます。もしも今すぐは時期尚早と思うなら、その機をしっかりと狙えるように準備を進めるといいですよ。まずは人のつながりから事業をイメージし続けることが大切だと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報