あさみ・のりこ/栃木県出身。京都の短大卒業後、数寄屋建築をに興味を持ち建築事務所に勤務。その後、料理という異分野への転向を決意して退職。専門学校に通い、料理に関する各種資格も取得。実家のお寺の一角で“和の趣”を基本とした料理教室を開業。
小人数で、生徒とじっくりと向き合うことができる教室。一人一人の状況を確認しながら授業を進めるので、生徒同士で相談し合う時間も増え、交流も深まる
芸術系の短大卒業後、京都の数寄屋建築に興味を持ち、建築事務所に勤めていました。料理の世界への転向を決めたのは、当時よく食事に行っていたフレンチレストランの影響を受けてのこと。カウンターだけの小さなお店ですが、お店の人とお客さんとの距離が近く、私も行くたびに自然な笑顔が出て、心が穏やかになっていたんです。「こうやって毎日お客さんと接して、お互いに笑顔になれる仕事っていいな」という憧れのような思い。それがやがて、料理を勉強して、仕事にしようという決意に変わっていきました。
再び学生に戻ることは一大決心でしたが、まず、“エコール・キュリネール国立”という料理専門学校に1年通いました。一流の先生たちから直接技術を学べたこと、そして、若い同級生たちと切磋琢磨しながら勉強できたことはとても良かったと思っています。人生を変える大きな決断でしたからね。短大に通っていた頃にはなかったような凝縮した1年を過ごすことができました。短期間で技術を身につけなければという焦りもありましたが、「とことん吸収してやろう」と頑張りましたよ。
和菓子は、それぞれの季節の旬素材を使ってつくる。つくねイモと上用粉でつくった上用饅頭。飾りに付けた緑の色は、焼き物の織部(後ろ)の色付けに由来する
“エコール・キュリネール国立”では日本料理を専攻しました。建築を学んでいた時も京都の数寄屋建築が好きだったのですが、生まれ育った実家がお寺だということが影響しているのでしょう。きっと“和”のテイストに、幼い頃から心ひかれてたんですね。1年間はあっという間でしたが、毎朝8時から夕方17時までみっちりと授業があり、課外授業での特訓や、何度も行われる試験と、目が回るような忙しい日々でした。また、料理の技術だけでなく、教室を開く際に必要な設備や道具、テキストはどうしたらいいか、さらに生徒への接し方など、独立に向けての知識やノウハウも学ぶことができました。
卒業後は、さらにいろいろなことを身に付けようと、別のスクールに。“国立北京中医薬大学日本校薬膳科”では「薬膳調理指導員資格」を、“田中伶子クッキングスクール”では「全国料理学校協会助教員資格」を取得しました。また、和菓子づくりに関しては、和菓子職人であり、“和菓子のあとりえ”代表の宮澤裕通氏に、その技術と魅力を教授していただきました。そして、教室の場所は「実家のお寺にある建物を改装して」に決定。長い間、お寺の資材倉庫として使っていた建物ですが、思っていた以上に傷みが激しくて、床も天井も壁も総取り換えしなければなりませんでした。そのために予想以上の費用がかかってしまったことが痛手でしたね。とはいえ、白を基調にした理想的な内装が実現しましたから、結果としては良かったと思います。
“クッキングスタジオ桜庵”という名前は、境内にある桜の木にちなんで付けました。樹齢360年といわれる巨木で、お寺のシンボルになっているんです。教室を開く前に、どのようなコースを設けて、どんな進め方をするか、具体的に紙に書き出して企画を練りました。そして、料理は家庭料理コースを、さらに和菓子づくりのコースも設けて進めていくことに。でも、街の中心から離れたこの場所で、生徒さんを集められるだろうか心配でしたね。そこで、近所の若い女性たちを食事に誘って相談を兼ねた調査を行ったんです。大いに役立つ答えが見つかったわけではありませんが、多くの方が「お寺で家庭料理や和菓子づくりを学ぶ」ということに興味を示してくれました。
スタートしてみると、生徒さんは栃木市外のみならず、遠くは埼玉や東京から来てくれたことに驚きました。やはり、コースをふたつに絞り込んで、独自の特徴づけをしたことが正解でした。生徒さんたちに聞くと、「お寺にある隠れ家のような教室という点に何かひきつけられる」だそうで。現在、講師は私と、専門学校時代に知り合った友人のふたり。当時からとても仲良しで、ぜひ彼女と一緒にやりたいと思って誘いました。ゆくゆくは、料理だけでなく、日本の文化、和の生活などの素晴らしさを発信していけるような場所にしたいと考えています。お寺って、そもそも大勢の人が集まって、あれやこれやと交流する場所ですからね。
建築事務所の仕事は、大きなプロジェクトの一員としてかかわることが多かったんです。このままでは、お客さんの笑顔の近くで仕事をしたいという私の思いはかなわないなぁと。また、建築と料理は、両方ものづくりという意味では共通していますが、自分独自のもの、オリジナルなものをつくるとなると、建築の世界では相当難しい。そこで思い切って、料理の世界に転向。飲食店ではなく料理教室を開いた理由は、結婚後も続けられると思ったこと、そして自分のペースで運営できると思ったからです。
500万円です。そのうちの400万円が教室にする建物の改装費。床も壁も天井も、資材を総取り換えしましたから。あとは調理台やラックなどに100万円ほど使いました。
自分の貯蓄と、足りない分は両親に支援してもらっています。
実は結婚直後の開業だったんです。だから、夫は「何も、こんな時期に……」と思っていたかもしれません。あえて聞いていませんが(笑)。でも、今はとても協力的で、家事も分担してやってくれます。今年(2008年)の10月で、ちょうど丸2年が経過しましたが、つい最近、夫が「なんか前よりきれいになってきたな」と急に言うのでびっくりするやら嬉しいやら。やはり、好きな仕事ができていることで充実感があるからだろうなと、その時改めて独立して良かったと思いました。
東京などの都会と違い、ここ栃木では一戸建ての大きな家に2、3世帯で住んでいる家族が多いんです。なので実は、「料理はお母さんからお嫁さんへと受け継ぐもので、教室で習うものという認識がないのでは?」という不安がありました。ところが、ふたを開けてみると、いろいろな料理をつくり尽くしているようなベテランのお母さんが習いに来てくれるんですよね。また、ある方は、「孫につくってあげたいから」と、あるいは男性が、「妻に本格的な料理を食べさせたいから」などなど受講の理由は様々。それは私も予想外の反響でした。
開業に当たって一番必要だと思ったのは経理の知識です。自分の苦手分野だと自覚していましたので、最初は専門書で勉強しようと。でも、知識を得るのと実際に管理するのとは違うので、税理士の友人にいろいろ教えてもらいました。たとえば家庭と仕事のお金はしっかりと分けておかなければならないことなど、ものすごい基本的なことなんですけど、とても助かりました。
それぞれの学校や教室でお世話になった先生たちですね。卒業生たちが料理教室を開業した例をいろいろ聞かせていただきました。その中でも、失敗事例の話が一番参考になりました。また、夫がコーチングの仕事をしているので、人との接し方など、いろいろ教えてもらっています。
生徒さんたちは“隠れ家的な教室”とか“私だけのヒミツの教室”などと言ってくれます。それはとても嬉しいのですが、口コミで宣伝してくれないんです(苦笑)。「ヒミツにしないで、もっとみんなに宣伝してよ」と言っているんですけどね。生徒募集に関して今後も考えなくてはと思っているのですが、今のペースが良かったりもしますから。難しい問題です。
生徒さんが料理をつくり終えた時の笑顔、それを食べて「おいしい!」と感激する時の笑顔。とにかく皆さんの笑顔を近くで見られることが嬉しいんです。孫に料理をつくってあげたいという方はいつもとても熱心で、「家でつくってやったら、ものすごく喜んでくれた」と。そういう嬉しい報告もモチベーションアップにつながります。
料理の技術は勉強すれば身に付けることができます。その技術で独立開業しようとする時、技術とは別のプラスαが大事になると思うんです。たとえばそれは、自分ならではのオリジナル性やブランド力などですね。独立して事業を始める前に、自分が何を持っているのか、また何を打ち出したいのかをはっきりさせておくことが大切です。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報