みやもと・しゅんすけ/熊本県出身。大学卒業後は経済誌『くまもと経済』の記者となり、起業家の取材などに従事。25歳、父の命日の晩に独立を決意。趣味は1歳の姪と遊ぶこと。左利き。120名の県内異業種交流会「一期一会」の事務局長も務める。
取材時の必需品。カメラは叔父の形見で、記者時代から愛用。熊本県内で活躍している経営者や若者インタビュー、イベントなどを自ら取材編集し、発信している
父は金属加工メーカーの創業者で、父のように社長になることが子どもの頃からの夢でした。その父が、僕が11歳の時に他界したんです。経営は母が引き継ぎましたが、いずれ自分がと思い込んでいました。中学卒業時も高校生の時も、母に「仕事を手伝いたい」と伝えたのですが、「今は経営の勉強をしておきなさい」と諭され、大学は総合管理学部に進学。でも、よくよく考えると僕は二男で、継承するのは兄だと気づいた(笑)。それに、二代目となるより、父のように起業したいと思うようになったんです。
大学卒業後は情報出版会社に就職し、経済誌『くまもと経済』の記者兼営業職に。これはもちろん将来のために、経営者の生き方を学ぼうと考えたからです。確かに起業に当たって、この経験が大きな財産となりました。仕事で多くの経営者の方々と知り合ったのですが、会話が楽しくて楽しくて。仕事以外でも頻繁に会いに行ったり、ほかの経営者と引き合わせたり。打算的な計算というよりも、自分が楽しかったからなのですが、結果的にご縁を大切にしてきたからこそ、今の僕があるといえます。
熊本大学の大学生16名を受け入れ、インターンシップ事業として新会社も始動。学生・顧客・会社の三者によるトライアングルハッピー実現を目指して奮闘中
起業前、ある県内大手企業の社長に言われたんですよ。「商売の基本は人と人、人が触れ合う距離感。商売をするならITだけはするな」と。これが逆にインスピレーションになって、血が通ったネット事業を立ち上げてみたくなった。「この大先輩である社長をいつか納得させてみたい!」。この思いが事業内容を決定させたようなものです。
同時に思い出したのが、大学時代の就職活動中に利用していた「リクナビ」。人生を決めるツールがネットでも僕らには抵抗がなかったし、当時はてっきり大学がつくったシステムだと思うほど(笑)、学生に浸透していました。記者兼営業の経験から、紙媒体の求人広告費用が高いことを知っていたし、ネットにすれば安価になるのにと考えたわけです。熊本は求人雑誌が多い激戦区ではあるものの、ネットだけで展開している企業はない。競合と差別化もできる。給料や休日など、雇用条件を単に比較させるのではなく、やりがいや夢を重視したコンテンツを売りにしたサイトにしようと事業計画を練りました。
事業計画はできたものの、実はコンピュータの知識は一般ユーザー以下でして(笑)。「ブラウザって? ランって何?」というほど素人。猛勉強しつつ、システム構築は専門の企業に任せ、僕は人の温もりを大切にしたコンテンツづくりに専念しました。経営者インタビューや地元情報を動画でも提供しようと、取材に走り回り、構想から7カ月後にようやくサイトをオープン。多くのユーザーに新しいコネを提供し、若者と企業をつなげる熱いコミュニティサイトを目指して、「コネがある!=アール コネクト」という社名に決めたのです。
その社名のとおり、起業後はいろんなご縁がさらに広がっています。熊本大学から就職支援としてインターンシップの協力要請があり、知り合いの経営者3人で「ありがちな雑用業務ではなく、実践的なことをしよう」と携帯メール配信事業の新会社を今夏に設立。ますます忙しくなりますが、父のように「自分のためより人のために頑張る」経営者を目標に、人との触れ合いを感じる温かなIT事業を展開していきます。
子どもの頃から父のような社長になるのが夢だったんです。大学生の頃には、28歳の誕生日に起業しようと決めていました。ところが、まだ25歳だった2月のある晩、今すぐ始めようと決意。その日は50歳で亡くなった父の命日で、お墓参りに行った夜でした。自分はちょうど父が生きた半分の年齢だとふと思ったんです。ちなみに祖父は25歳で亡くなっていて、自分の中で25という年齢はひとつの節目のような気がして。職場の年度末が3月末だったので、2カ月弱で引き継ぎもできると判断。在職中は仕事に専念したので、具体的な事業アイデアを考え始めたのは退職直後からです。
1200万円を用意しましたが、初年度にかかった資金でいうと、1020万円です。その内訳は、事務所開設費に80万円、コンピュータや備品などで70万円、運転資金に750万円。Webサイト制作費はトータルで500万円でしたが、交渉してリースにしてもらったので、初年度は120万円。ちなみに資本金は500万円です。
資本金の500万円は退職金と、一部、母からの借金です。運転資金の内の700万円は、県の融資制度を利用し、信用金庫から全額借り入れました。
母も先輩起業家も応援してくれました。職場の上司から、「IT部を新設する。君に任せたいから残ってくれ」と慰留されましたが、起業の決意はゆるぎませんでした。
不安はいっさいありませんでした。
以前からマインド的なビジネス書などは読んでいましたし、記者時代に知り合った経営者の生の話が役立ちました。尊敬する社長からは、「会社を起こすなら、思想、戦略、組織、戦術の順番で考えなさい」と言われ、その順番でこれまでの生い立ちや家族のことなどから考え始めたんです。1カ月ほど考え続けたら、自然と目指すべきものが明確になりました。
母も含めて先輩経営者たちです。僕には師匠と呼べる起業家が数人いるんですよ。特に、記者時代から「宮本をかわいがる会」というのがありまして(笑)。僕をとおして交流が始まった5人の30代起業家たちのグループです。貧乏記者だったので、かわいがってもらいましたし、今も頼れる相談相手です。このメンバーのひとりから「商売は単にお金儲けのためではなく、思想にもとづいて対価を得ることだ」と言われ、事業アイデアを考える前にまずは思想だと。偶然にも2人の経営者からから思想の重要性をアドバイスされたので、まずは自分の思想、ポリシーを考えることがスタート。まったくブレなかったです。
個人事業としてスタートしたのが4月、初の売り上げが立ったのが10月。その間の収入はゼロでしたから、とにかく人件費がイタかった。実は、創業メンバーは4人だったのですが、サイトが本格稼働する直前に、ほかに始めたいことがあると言い出して2人が退職。4人体制を想定して、サイトのシステムに500万円もかけたのに……。結果、オペレーションが半分になったので当然、人手不足に陥りました。サイト制作会社から支払いは現金でと言われたのですが、その時にはもう人件費で消えていて……。リース形式にしてもらうことで、何とかしのぎました。
子どもの頃からの夢でしたから、いざ実現すると脱力するかと思いましたが、そうではなかった。独立してわかりましたが、すぐに次の夢ができるんですね。求人サイト事業をより発展させることもそうですし、さらに縁を広げて地元活性にも貢献したい。また、その縁つながりで、今夏に友人と3人で新会社「ソルブレーン」を立ち上げたんです。この新会社で3年後に株式上場を目指しています。上場すると証券取引所で鐘を鳴らせるとか。メンバーのひとりが「100回高速で鳴らそう」と(笑)。それがすごく楽しみです。
自分が好きなことは得意分野でもあるわけですから、その流れに逆らわず、好きなこと、やりたいことで起業すべきだと思います。逆に言えば、それがわからない時は、時期尚早でしょう。得意分野が何かわからない人は、好きなことは何だろうと常に意識して、自問自答するクセを付けておくことをお勧めします。それと、起業するしないにかかわらず、人の縁を大切にすること。いざ起業を考えた時に、人のご縁から、自分ひとりでは思いつかないような多くのヒントや情報を得ることができるんです。何もかも自分の考えだけで進めるのではなく、素直な気持ちで意見を聞くことも大切だと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報