なかがわ・つよし/愛媛県出身。植物に興味を持ち農業高校へ。卒業後は熊本県内の農場に就職。1年半後、独立を試みるが断念。天草に移住し、塩屋に勤めながら養鶏を始め、4年目に独立。家族は妻、子ども2人、猫3匹、鶏300羽。趣味・特技は発酵。
生後1週間のひよこ「ヒペコネラ」。メス100羽、オス10羽の割合で平飼いし、時々放し飼いにする。発酵飼料と培養土の効果で養鶏場にありがちな糞の悪臭はない
高校卒業後に勤めた農場ではいろんな経験ができて楽しかったけれど、家畜の肥料にとうもろこしを使うことに、どうも抵抗がありました。今話題のバイオ燃料もそうですが、世界で飢えている人がいるのに、人間の食材が家畜のエサや燃料と競合していることに疑問を感じて。自分のやりたい農業を貫きたいと、20aの畑を借りて独立。生協への出荷ルートも開拓して始めましたが、運悪く、その年は冷夏で……。お弁当店でアルバイトをしながら踏ん張りましたが、2年ほどで断念せざるを得ませんでした。
心機一転しようと天草へ移住し、塩屋で製塩に従事。養鶏を始めたのは、本当に偶然なんです。散歩中に古い鶏舎を見つけて、地主さんが「ただで使っていいよ」と。天草は自然に恵まれた風光明媚な島で、熊本県でありながら長崎や鹿児島にも近い。地理的にも歴史的にも、よそ者をやさしく受け入れてくれる風土が醸成されている場所なんです。
殻の色も味も一個一個すべて異なる取れたての有精卵。生きているから冷蔵庫で60日間も保存できる。春は会員以外も購入可能で、地方発送も受けている
9棟あったその鶏舎は、すべて一羽ずつ仕切るケージ飼い用でした。僕は、鶏が鶏舎内の地面を自由に動き回れる、いわゆる平飼いがしたかったので、まず数百個あるケージをすべて解体。ちなみにそのケージの底部分はさびに強い素材。鶏舎側面の金網に再利用できて一石二鳥でした(笑)。そうやって鶏舎を修理し、鶏舎内の地面を掘り起こして土をならし、近くの山林から腐葉土になる落ち葉を拾って敷き詰めたりと、半年かけて環境を整えました。
そして、まだ誰もやっていない、残飯の飼料化に取り組んだのです。人の食べ物をエサにすることに抵抗があったし、アルバイトのお弁当店でも残飯がもったいなくてイヤでしたから。残飯といっても一般家庭のではなく、島内の老人ホーム、給食センター、旅館などに交渉し、プロの料理人が調理の際に出す業務用を引き取るんです。それを発酵させて飼料にする。発酵の元種になる米ぬかともみ殻も、島内のコイン精米所から無料でもらえるし、石灰成分の貝殻も島内の真珠養殖業の知り合いにもらったり、浜辺で拾ったり。飼料の材料費はゼロで、残飯を毎晩引き取りに行く際のガソリン代だけですね。
飼料化の配合は試行錯誤でしたが、最初のひよこが6カ月後に卵を産んだ時は本当に嬉しかったですね。販売ルートは子どもが通っていた保育園のお母さんたちからスタート。クチコミで評判が徐々に広まり、現在60世帯の会員宅に僕が毎週配達しています。
卵のほか、手づくりの卵油や鶏肉販売、季節の果物や花、野菜などから採取する自然酵母パンも僕がつくっていますし、2007年からは果樹栽培も始めました。鶏は「ヒペコネラ」と「後藤もみじ」の2種、300羽ですが、スペース的にまだ鶏数も増やせるし、今後は畑や稲作にも取り組みたいと考えています。やる気があって、僕の農法に興味がある人がいれば、歓迎しますよ。ここ天草には遊休農地もたくさんありますし、僕のようなよそ者も温かく受け入れてくれる寛容な土地ですから。
天草に移住して転職した時も、いずれは農業で独立したいと思っていました。たまたま自宅から数百mの山を散歩していて、この山道はどこに続くのかと歩いていたら、古い鶏舎を見つけたんです。近所で聞いてみたら、「かつて養鶏場だったが廃業した。3人の地主さんにまたがる土地だ」と。地主さんに会いに行ったら、3人とも「ただで使っていいよ」と言ってくれて、塩屋で製塩の仕事をしながら養鶏を始めることに。出勤前にエサをやり、昼休みに飼料をつくり、仕事の帰りに残飯を回収し、休日は養鶏に専念するという生活でした。順調に卵を産むようになり、兼業では中途半端でイヤだったので、そろそろいいかと4年後に退職して正式に独立しました。
4万円です。最初に仕入れたひよこ100羽で3万円。鶏舎の修理は自分たちでやったし、廃材を拾ってきて使ったりしたので、新たに購入した金網代金が1万円くらいです。養鶏場の敷地は1haもあるのですが、3人の地主さんともに無償で使用させてくれているので、幸運なことに地代はゼロ。土地を借りている農家の慣習として、年末に何か贈り物を持ってあいさつに行くのですが、3人の地主さんに「そんなことするな」と怒られるので(笑)、卵1パックをお歳暮にする程度です。
養鶏を始めた当時はまだ勤めていましたから、その収入を充てました。4万円ですし(笑)。
妻は賛成してくれました。天草への移住と同時に結婚したのですが、なぜか彼女は独身時代から「全国自然養鶏会」の会員だったんですよ。子どもたちも初めはひよこがかわいくて喜んで手伝ってくれましたが、最初の品種「イサブラウン」のオスが成長と共に凶暴な性格になったせいで、それ以来、養鶏場に遊びに来てもくれません(笑)。
初めて卵を産むまでは不安でした。残飯を発酵させる飼料化は誰もやっていませんでしたし、本当に成功するかどうか確証はありませんでしたから。それに養鶏場は山の中にあるので、最初のひよこ100羽を仕入れてからの1カ月間は心配で心配で。養鶏場にテントを張って寝泊まりしていました。
農業高校卒ですからある程度の知識はありましたし、以前勤めていた熊本の農場では養鶏も経験していました。農業関連の専門書は以前からよく読んでいましたが、一番役立ったのは、「全国自然養鶏会」の中島正氏の著書『自然卵養鶏法』。飼料の発酵には米ぬかともみ殻を使うと記してあったんです。本ではとうもろこしが主材料でしたが、僕はとうもろこしの代わりに、残飯を使おうと考えました。
「全国自然養鶏会」の知り合いを始め、農家の仲間たちです。始動してしまうと身動きできないと思い、始める前に2、3軒の養鶏場へ見に行ったり、意見をもらったりもしました。現在は異業種交流会の「天草倶楽部」にも入会したので、その仲間にもよく相談しています。
最初のひよこ100羽のうち、半分を野犬に襲われて失ったことです。初めてのひよこだったので1カ月間は心配で養鶏場に寝泊まりしていたのですが、そろそろ大丈夫かとテント生活をやめた直後にやられました。その後、ワナをしかけて2匹つまかえ、一時期は電気防護柵も取り付けました。最近はもう来ませんが、たまにイタチが来る程度ですね。今一番困っているのはガソリン代の高騰です。
「この卵を使ってデザートをつくったら、もうほかの卵は使えないよ。この違いがわからないのは料理人じゃない」と言ってくれるフランス料理店のシェフもいて、やはり「おいしい」と喜ばれるのは嬉しいものです。ですが、人からの評価があるからというよりも、自分が信じる正しい方法で、自分がやるべきことをやっているという自信。これが何より独立して良かったと思えることですね。
要は、どう生きたいかだと思うんです。僕は農業と環境問題への関心から、かつて有機農業研究会の理事を務めていました。でも、有機農産物認定制度が始まり、制度に頼るような活動に反対して辞めたんです。今自分が添加物などを一切使わず、残飯を飼料化する手づくりの養鶏をしてみて、これがホントの有機農業だと確信があります。でも、制度で認定されていません。だから、認定のあるなし、つまり人からの評価のあるなしに関わらず、自分のやるべきことをすればいいんだと。僕は、資源保護・ゴミ削減を通して、世界平和の実現を目指す農場にしたいんです。小さな卵から見えてくる大きな世界もあるんですよ。面白いでしょ?(笑)
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報