はやし・はるみ/福井県出身。大学卒業後、12年間勤めた衣料メーカーを退職しUターン。トマト、大根、米など有機栽培の専業農家「林農園」で独立。村づくり・環境活動にも励む。豆腐製造販売の新事業を起こし、2年後に農家レストランも開店。
おからを出さない特殊製法で、大豆のうま味と栄養価を丸ごと味わえる。絹豆腐、黒胡麻入り豆腐、絹生厚揚げ、豆乳のほか、林さん自慢の有機トマトなども販売
会社員の時はストレスからか、何度も潰瘍を患って手術寸前の重症でした。健康のことを考えるようになって、自然とたどり着いたのが食べもの。「自分で食べ物をつくれる農業になればいい」と気がついて、目からウロコが落ちました。実家はかつて農家で、子どもの頃から農作業の手伝いをさせられて、農業を嫌っていたので。都会に憧れていた高校生の時に、わざわざ都会から来て開拓農業を始めた人を見て、理解不能でしたよ。早く田舎から出たくて、家出の正当な方法として大学進学を選んだのですから。
そんな僕が脱サラして専業農家になった時、両親は別の仕事もしていて、自分らが食べる米作だけを細々と続けていた状態。農業が儲からないからみんなが離農する時代に、「なんで今さら」と周囲からは大反対でした。でも土地はあるし、遊休農地もたくさんありましたから、自分なりの有機栽培をやろうと。農協を通さずじかにお客さんに販売したり、個別の店にも置いてもらったりと販路も自分で広げました。
「できたて豆腐セット」1050円。卓上の萬古焼土鍋で豆腐を食べるだけでなく、つくる楽しさも提供。場所はのどかな丘陵地にあり、店内から日本海も見える
よく売れたし、味も評判でしたが、徐々にグローバル化の波を感じて不安を覚え始めたんです。類は友を呼ぶで、地元の4軒の農家仲間で話し合うようになりました。その中のひとりが、高校時代、僕が理解不能だった(笑)、新規就農者の山崎さん。彼の「おけら牧場」に夜集まっては、みんなで相談していたんです。農業から外れることなく、農業を生かして何かできないかと。そして見つけたのが、おからが出ない豆腐製造機でした。
おからは今や産業廃棄物で、処理する際にCO2を排出するでしょ。おからが出ない=環境にいい、しかも大豆の栄養を丸ごと食べられる。これは魅力だとすぐに機械メーカーに問い合わせて、関東の数軒の豆腐店へ見学に。それらの店では輸入大豆を使っていたけど、それなりの味でした。僕らがつくれば福井県産のおいしい大豆を使える。素材に自信があるから、もっとおいしい豆腐ができる!と、開業を決意したのです。
4軒の農家はすべてお客さんにじか売りをしてきたので、豆腐も自分らのファンに売ろうと計画。ところが予定外の事態に……。開業前夜に、NHKラジオでレポーターもしている山崎さんの妻・洋子さんが生放送でコメントしてくれた。これが大変で、福井県庁や県警に問い合わせが殺到し、翌日は店の場所を確認するためにパトカーまで来ちゃって(笑)。あまりの大盛況に店舗販売もすることに。2年後には試食の要望に応え、店の2階で木曜〜日曜限定の農家レストランも始めました。もちろんそこで使う食材もすべて、僕ら地元農家の仲間から調達しています。
開業前からずっと4軒の農家仲間で話し合って、今も協力し合っているけど、最初からいずれはそれぞれが得意分野で独立しようと決めていました。豆腐店開業のノウハウを生かして、2年後に「おけら牧場」がジェラート店を、「越後農園」が惣菜を始め、「なばたけ農場」は食育と助産で開業準備中です。土台にあるのは本業の農業で、新事業の素材をつくっているのも自分らだという自信が何よりの武器。これは僕らだけじゃない、ほかの農家でも国内外でも通用するはずです。もっと広めたいし、農業にかかわる人づくりにも挑戦していきたいですね
有機栽培を始めて10年、農作物の品質に自信はありました。でも、海外から安価な農作物が大量に輸入されるようになって、このまま自分らのやり方で農業を続けていけるのか、将来への不安を感じ始めたのです。規模を拡大するよりも、農業にこだわることをぶらさず、その農業を生かして何かできないかと。自信がある農作物を使った加工食品事業はどうだろう。そんなことを仲間と一緒に考えている時に偶然、農業の専門誌で見つけたのが、おからが出ない豆腐製造機でした。「本業の農作業も続けられる、自慢の農作物を生かせる、これはいいぞ!」と新事業として豆腐製造販売を開業したのです。
3000万円です。店の場所はもともとウチの土地でしたので、開業資金に含んでいません。建造費、設備備品・豆腐製造機の購入に充て、運転資金は計算に入れていませんでした。
農業近代化資金から1500万円を融資してもらい、残りの1500万円は4人で出資しました。僕の出資は400万円で知人に借りました。
農業で独立する時も、豆腐を始める時も妻は大反対。経理などの面倒なことは自分に降り掛かってくるとわかっていたからでしょうね。今では影の社長ですよ(笑)。いやホント、感謝しています。
特になかったですね。何事もあまり深く考えない性格ですから(笑)。借金して開業したけど、ダメでも命まで取られるわけじゃなし。開業前は待ち遠しくて、早く豆腐をつくって売ってみたいと思っていました。当時は意識していませんでしたが、これまで農業を10年やってきて、自分でお客さんにじかに売ってきたので、それなりに自信もあったのでしょう。農業も豆腐販売も商品を売るという気持ちではなく、自分でつくった食べものを売るという思いに変わりありませんから。
農家4軒が集まって相談していましたから、食材や味に関してはみんなプロフェッショナル。そんな仲間たちの経験と人脈は大いに役立ちました。農家レストランを始める時、周囲に声をかけたら、知り合いの農家の嫁さんが調理師の資格を持っていたり、スタッフも婦人会が紹介してくれたりなど、意外にも人材豊富でした(笑)。
やはり農家仲間です。特に僕が早く田舎を脱出したいと思っていた高校生の頃、わざわざ都会から来て開拓農業を始めた山崎さんには、Uターンしてからことあるごとに相談しました。開拓農業・有機栽培のパイオニア的な存在ですから。昔は、「この人はなぜこんな田舎に来たんだろう」と不思議に思っていたけど、今は彼を見ていて生き方に幅があるというか、ゆとりというか、いい加減というか(笑)。ファジーに生きていけばいいんだなと思えるようになりました。店名の「きっちょんどん」を強く勧めたのも山崎さん。僕の祖父がかつて営んでいた醤油醸造店の屋号なんです。
農繁期と重なる時期が一番大変です。ちょうど今、トマトの収穫時期なのでオーバーワークですが、とにかくやるしかないですからね。開業当初は、豆腐製造も4軒の農家で交代制だったのですが、今では僕だけの仕事なんです。普通ならみんなで考えた事業が成功すれば、その事業にしがみつくでしょ。ところが誰もしない(笑)。逆に、次は自分の番だとばかりに精力的に起業活動しましたから。いい意味でライバル意識もあるので、負けていられません(笑)。
安定した収入が見込めるようになったこと、人と人とのつながりがさらに増えたことです。ホテルや飲食系の料理人さんがメニューのアイデアを求めに訪れることもあって、特に異業種の人との出会いが増えましたね。もちろん観光客の方が、わざわざウチのお豆腐やレストランの料理を目当てに来てくれるのも嬉しいです。僕らの農作物のおいしさも認めてもらえるわけだし。味って言葉で説明するより、食べてみればわかるものですからね。
農業はもちろん簡単ではありません。生活レベルの農業ならできるでしょうが、ビジネスとして取り組むのは厳しいことも多いです。農業で生きていこうと思ったら、会社勤めの時と同じ生活や趣味を続けようとするのはエゴで、いかにそれらを捨てられるか覚悟が必要。でもね、実は農業には、いいビジネスアイデアもたくさんあるんですよ(笑)。会社勤めの営業職って、どこか無理しているつま先歩きのような気がしません? けれど農業は、地に足がついた営業ができるんです。自分で自信を持ってつくったものを、自信を持って売ることができるから。農業は、人とのつながりも世界もグッと広がります。農業を志すなら、僕らが応援しますよ。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報