かとう・けいいち / 愛知県出身。高校卒業後、碧南市役所に入所。議会事務局で速記者暦18年、図書館建設や哲学たいけん村勤務を経て、50歳で退職し独立。01年ハンズ大賞ハンズマインド賞受賞。釣りも趣味で、かつて知多沖でべっこう亀生け捕りも。
普通型からさや型まで多彩。心地よさが伝わる竹のしなり、楽に取れる薄いさじ、痛くない丹念な仕上げで、一人一人の耳に合わせて微妙な調整まで施してくれる
子どもの頃から身近な材料を工夫して何かをつくるのが好きで、耳かき創作にのめり込む前も、手動ながらリアルなミニボウリングゲームやサッカーゲーム盤をつくったりしていたんです。だから木の切れ端ひとつでも、捨てられないタチでね。たまたま職場で、どなたかにようかんをいただいて、その器の竹を机の下に入れておいたんです。数年後にホコリまみれで見つけた時、捨てようかと一瞬迷って、自宅に持ち帰り、頭に浮んだのが耳かき。それが耳かき創作の始まりでした。
以前から、市販の耳かきがどうも使い心地がよくない、何とかならんかと思っていたんです。竹を細く割ってつくってみたら、なかなかいい。もっとおもしろい耳かきはないかと工夫を重ねながら、20年近く趣味でつくり続けていました。
居間の片隅1畳が工房。100年以上も古民家でいぶされた煤竹を割り、火にあぶって曲げ、削り、磨いて一本の耳かきに。手間暇かけて1日わずか数本制作
碧南市役所では「アートリブ展」というのを毎年開催していて、私の耳かきが地元新聞で取り上げられたこともあったんです。そんなある日、職場の同僚から「ハンズ大賞に出してみては」と言われて、初めてその存在を知って。名古屋にある東急ハンズに行った時に募集のパンフレットを見ました。それが9月下旬で、応募締め切りまで2カ月しかなかったけど、さっそく出品作の製作に取りかかりました。たかが耳かき、されど耳かき、そんな思いを込めた31本の耳かきを「MIMIKAKI革命」と題して応募。その製作中に、市役所を退職して独立しようと決めたのです。
決意と同時に準備したのは、理論武装です(笑)。定年前の50歳で公務員を辞めることに対して、「賞をもらったら考えればいい」「定年後にいくらでもつくればいい」「定年まで10年、せっかくの恩給がもったいない」と周囲から言われることは予想できましたから。
独立して数年は売らなくてもいい、それより趣味の域をいかに越えるか、プロとしての技術を磨くことに専念しました。自分から営業的な行動をしたのは独立2年後。名古屋の松坂屋本店で開催されていた「日本の職人展」を見に行って、「こういうのものに出るにはどうしたらいいんですか?」と売り場のスタッフに実績もないのに聞いてしまった(笑)。その縁で、松坂屋岡崎店の催事場で実演販売することに。いざやってみたら、1週間でなんと200本も売れて、私も百貨店側も驚きでした。それ以来、本店の催事にも呼ばれるようになり、自然と全国各地からも声がかかり始めたんです。
耳かきは日常の道具でありながら、芸術としての道具にもなる。その両方を追い求め、さらに技術を磨きたいですね。かつてつくったボウリングゲームを今の自分の技術ならどうつくるか、いつかまた挑戦したいですが、今はまだ耳かき創作に夢中です(笑)。
ハンズ大賞に応募しようと思ってからの約1カ月半が、私にとって激動の時でした。出品作のアイデアが次々にわいて、それをまたかたちにできる技術があることに驚きました。何より、ここまで一生懸命な自分自身に驚いたんです。これほど情熱を注げるものとの出合いは、人生初にして最大の岐路だと思えた。果たしてここまでの力を注げるものがあったか、安全な道しか歩いてこなかったのではないか……。これから体力は下降する、精神力も衰える。定年まで待ったらどれだけエネルギーが残っているかもわからない。ビジョンも何もありませんでしたが、残りの人生を耳かき一本にかけよう。日本一の耳かき創作職人になるとロマンを抱いて決断しました。
開業資金はゼロです。ずっと自宅で創作していましたので。独立してから少しずつ工具を増やしましたが、それらを合計しても20万円ぐらいでしょう。
20万円を開業資金に含めるとすれば、すべて貯蓄などの自己資金です。
妻は賛成してくれましたが、周りの人からは予想どおり、心配する意見が多かったですね。役所には辞表を出しましたが一度返されました。でも、心配の声に備えて理論的に考えをまとめていましたし、私の決意は何ら変わりませんでした。
気付かない不安はあったのでしょうけど、それよりも面白い展開が待っているという確信のようなものがありました。もし事業としてうまくいかなくても、後悔するよりいい。歳がくれば年金で暮らすことができるという気構えでいました。
ネットで耳かきについて調べたくらいです。コレクターはいても、こだわってつくっている創作職人は見当たりませんでした。「自分が耳かき創作職人の第一人者になれるかもしれない!」という喜びでしたね。それにこれからはネットの時代だから、ここ碧南市からでも情報発信は十分にできると思えました。
目指すべき先駆者や対象者もいないですし、どこの誰に何を相談したらいいのかわからない。そもそも、人に相談するくらいならそのまま公務員でいたほうがいいと。相手の反応は想像がついたので、誰にも相談しませんでした。
困ったことはありません。ただ、全国各地から実演販売の依頼が多いのがぜいたくな悩みです。最近は、申し訳ないと思いつつご依頼をお断りすることも。お客さまとじかに接するのはもちろん楽しいですし、夫婦で行きますから帰りに温泉に寄ったり、耳かきの地域性を見聞きできたり、とても有意義ではあります。でもその反面、地方へ行く回数が多いと、それだけ創作時間が削られてしまう。実演販売の売り上げはとても好調ですし、日常的な道具としてより多くの人に使ってもらいたい。でも、創作そのものを極めたい、作品づくりに没頭したい気持ちも強い。そのバランスを今後どうしていくかは課題でもあります。
やはり使っていただいて、喜んでもらえることです。実演販売でも煤(すす)竹を割る工程など見ていただき、お客さま一人一人の好みに合わせて微調整をするんです。納得の仕上がりをじかに試していただく時、私の目の前でお客さまが使い心地の良さに驚いたような満足の表情になる。その至福のお顔を見られることが喜びですね。
自分がしたいこと、生涯を通じてやりたいことに出合ったら、一歩前進してチャレンジする強い気持ちが大切です。「あの時やっておけばよかった」なんて後悔しても戻れませんので。でも私も本来は、どちらかというと慎重型の人間でした。そう自覚していますし、そんな自分がきらいなので、後悔しないようあえて前進しようと努めています。やりたいことに出合ったら、すぐ始めないと。この出合いでわき出たエネルギーが、数年後に残っている保証はないのですから。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報