ふなばし・しんいちろう / 福岡県出身。高校卒業後、もっと稼げる仕事をと転職を繰り返す。一時はネットワークビジネスにはまり、大きく儲けては大きく損を出すという生活に。そこから脱出するため、廃校を活用した木工などの各種工房づくりに着手した。
山あいに立つ校舎は、まるで映画のセットのよう。昭和の、それも高度経済成長期以前にタイムスリップしたかのような廃校のたたずまいにひかれて工房に通うようになった人も多い
この廃校にたどりつくまで、お金を追いかけては、お金に追われる生活で、「人生このままでいいのか」と、私の心はすさみきっていました。それ以前から、本心ではお金だけでなく、もっと心から打ち込める何かをやらなければと思ってはいたんですけどね。この活動を開始する7、8年前だったでしょうか、特技の木工を生かして工房のようなものが運営できたらと、ふと考えたこともありました。
そんな思いが心の中を去来しているうちに、自分のように自己表現が苦手な人たちが集まって、木工やら陶芸やら音楽やら、みんなで使える工房のような場所がつくれないだろうかと考えるようになったんです。それで、学校の運動会で使うようなテントをもらって、空いている土地を使って建てることにしました。周りをブルーシートで囲って、これを仮の工房にしようとね。ところが、その晩の強い風雨で、あえなく崩壊(笑)。その片づけを手伝ってくれた友人が、「そういえば、この上に廃校があるけど、使わせてもらえうかもしれない」と。すぐ見に行きました。見た瞬間、「あー、ここだっ」と、その校舎が自分を呼んでいるような感覚を覚えましたね。
親子を対象に開催するウッドクラフト教室には、遠方から訪れる家族連れも。作品が並べられた廊下は、今も児童たちが通うにぎやかな学校のような様相を呈している
この廃校は、地域の方たちで結成された「もみじ会」という組織の人たちが手入れをしながら地域活動などに使っていました。私が、「ここを使わせてほしい」と申し出ると、「そういう人が今までに何人もいたけど、なかなかうまくいかないんだ」と、断られたわけではないけど、よく考えるようにという感じで留保されました。それでもしつこくお願いし続けると、「管理人的な役割も果たしてくれるなら」と、やっと了解していただくことに。
賃料は月に1万円。でも管理代として1万円出すからと、つまり相殺してゼロ(笑)。本当に助かりました。まず着手したのは、校庭の隅々まで生えていた雑草の草刈り。来る日も来る日も草刈りをしていたのですが、嬉しいことに、「手伝いましょうか」と言って協力してくれる人が日に日に増えていったんです。もちろん、みんなボランティアです。校舎内の清掃など、一通りの整備を終えて最初にスタートしたのは木工の工房づくり。子どもの頃は全教科の成績が最悪だったんですが、技術家庭の時間につくった本棚を褒められて以来、特技が木工になったんですよ。
そうこうしているうちに、「私もここに工房を持ちたい」という人が続々と訪れるようになりました。それも、「この人は、自分と同じ思いを持っている。自分にとっても必要な仲間だ」と思えるような人ばかり。その後、資金的な危機に陥ったこともありましたが、それを助けてくれる人が現れたり、校舎の整備は「もみじ会」を中心に、地域の人が無償で手伝ってくれたり。大勢の人の温かい支援で、ゆっくりと、一歩ずつ歩んできました。
現在、木工の工房以外に、バイオリンづくり、染色、木彫り、写真、パンづくり、クッキーづくりの工房が。それに不定期ですがお茶や燻製の教室も開催しています。土日になると、遠方から来てくれる人たちも多いので、この小さな校舎が大にぎわい。地域の人たちも、「校舎から響いてくる子どもたちの声を聞いていると、まるで学校が生き返ったような感じがする」と喜んでくれています。資金も、特別なノウハウも持たずに始めましたが、ひとつ言えるのは、いつもニコニコしていることが大事だということかな。そりゃイヤなこともあります。でも、気を持ち直してニコニコ。にらんだような顔をしているより、ニコニコして気持ち良さそうにしていたほうが、いいことをたくさん呼び寄せるんですよね。そして、そこには人もたくさん集まってきます。逆に、怒りたいような人には近寄らないし、近づけない。それが私の鉄則です。
お金に翻弄される生活に嫌気がさして、お金ではなく、人間一人一人や、出会った人との付き合いを大切にできる仕事に早く着手したいと考えるようになりました。またそれ以前から、才能はあるのに自分をうまく表現できないでいる人たちと、何か一緒にやれるような、そんな活動ができないだろうかと思いを巡らせていたんです。そうこうしているうちに、ポッと、この校舎が目の前に現れたという感じですね。「ここだ! ここで再起の一歩を踏み出そう」と、そう決意できたんです。
まったくなし。ゼロです。何しろ、当時は個人的にかかえた借金を返すのに必死でしたから。我が身ひとつで、お金をかけずに動くしかありませんでした。
集めるも何も、ゼロですから(苦笑)。でもこの校舎を借りることにより、建物の管理を任されることになり、借り賃を1万円出しても、管理費が1万円入ってくるということで、取りあえず出費もゼロ。いや、実はお金がないってことをわかってくれていたんでしょうね。感謝しています。
友人たちには、猛烈に反対されました。こんな廃校で何をするんだと質問攻めされて、「まずは木工の工房を始めて、イスをつくったり……」と説明しても、「それをどこで売るんだ、売れるわけない。メシも食えんぞ」と。それでも態度を変えない私に、「かあちゃんや子どもに迷惑かけるんだぞ。何考えてるんだ」と、怒りだす人もいたくらいです。しかし、自分のことを思ってくれている人ほど、やめておけ、むちゃするなと言ってくれていることがわかっていました。とはいえ、決意はまったくゆるぎませんでした。
お金もない、先も見えないという状況でしたが、不安はほとんどありませんでした。何しろ、お金だけが目当ての仕事で精神がボロボロになってしまっていたので、それから解放されただけで心を落ち着けることができたんです。「お金がなくても幸せだ」「やりたいことに着手した自分は、今、本当に満ち足りている」と、日々、心やすらかに、未来を見つめて体を動かすことができました。
廃校の活用事例がそんなに多くあるわけではないので、情報らしい情報はあまり得られませんでしたね。それでも活用例を耳にして、いくつか視察に行きました。ところがそれぞれの条件が違い過ぎて、自分がやろうとしていることにうまくマッチするようなケースはまるでありませんでした。たとえば、校舎の維持・管理には行政がお金を出していて、地域の人たちが資金的な心配をせずに使っているケースなどです。ウチのように公的な補助を得ずに、独立採算制で成り立っているところは皆無でした。
猛反対していた友人たちです(笑)。「無理だ」「やめろ」とか言いながら、自分の仕事が終わって夕方になるとひょっこり訪ねてきてくれて、作業を手伝ってくれました。そして、そんな友人たちの顔が、だんだんとほころんでいくのもわかりました。まるで、少年時代に戻ったかのような、放課後の遊びに夢中になる男の子のごとく、嬉しそうな顔をしてこの廃校にやって来るんですよ。作業を手伝ってもらいながら、何げなく交わした会話の数々。それが私にとって相談そのものといいますか、心の支えになりましたね。
できるだけお金を使わない運営をしていたのですが、活動を開始して3年目、とうとう存続が危ぶまれるような事態になってしまいました。それで所有していた畑を売って850万円を捻出。でも、それで何とかなったのはその後の2年間だけ。ガソリン代も出せないという状態になったこともあったくらいです。そんな状況を見るに見兼ねて資金援助を申し出てくれる人もいたんです。最初は「では、お願します」とは言えなかったんですよね。そうこうしているうちに、にっちもさっちもいかなくなってしまい、自分からその方を訪ねて、「やっぱりお願いします」と頭をさげました。現金をポンと手渡してくれたその方は、「貸したんじゃないからね。これは、あげたお金なんだから、返すことは考えなくていいんだよ」と。本当に救われました。
お金ではなく、人とのつながりで仕事ができていることを日々感じられることです。人が動く時って、「これがやりたい」という“本心”か、そうでなければ“お金”で動くか、大ざっぱに言えば、そのどちらかですよね。この活動を始めてからは、自分もスタッフも、みんなが動いて、本心で協力し合っていることを強く感じています。それができていること自体が、何よりも嬉しいことですね。
「こういうことがやりたいんですが」と、相談を受けることもたまにあります。中には基本的に何もわかっていない人、知ろうとしない人もいるんですよね。どう言えばいいんでしょうか、たとえば、バイクにガソリンを入れていないのに、動かないなと不思議がっているような人です。極端なたとえですが、つまり、そんな人は、独立には不向きということです。特別な能力がなくても、誰でも独立のチャンスはあるはずです。「コレだ!」と思ったら、できるできないではなく、やってみるしかない。それが究極の結論です。不思議なことに、ちょっと動き始めると、次にやらなければならないことが見えてくるんです。それをクリアしたら、また次のことが見えてきます。イメージとしては、階段を一歩一歩上がっていく感じですね。でもね、急に何段も駆け上がると、落っこちる確率も高くなってしまう。何事も一気にはできないってことですね。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報