ただ・しんや / 奈良県出身。大学卒業後、大阪の広告代理店に就職。3年後に退職し、結婚と同時に松本へ。インテリア会社に3年、リフォーム会社に6年半、造園会社に3年勤めた後に独立。38歳でエレキギターを始め、現在バンド活動も。一女一男の父。
初回打ち合わせから完成時まで多田さんが対応。顧客の要望を親身に聞き、余暇時間なども考慮して、平面図と3D画でイメージしやすいようにデザインを起こす
楽しい大学時代を過ごした松本に戻った当時、独立なんて考えてもいませんでした。勤務先の仕事が楽しくて、インテリアコーディネーターの資格まで取ったぐらいですから。ところが会社がエクステリアの事業を始めることになり、そちらの仕事を任されることに。最初は、早くインテリア部門に戻りたいと思っていたのですが、徐々にエクステリアの仕事が面白くなってきたんです。
インテリアコーディネーターは、建築士がつくりあげた建物という条件の中でベストを尽くすのが仕事。でもエクステリアの場合は、更地を使ってゼロからつくりあげる楽しさがある。そのうち、庭に植える木一本で家全体の表情まで変わる植栽に興味がわいて。1級造園施工管理技士、1級エクステリアプランナーの資格も取得しましたが、もっと木のことを勉強したくなって造園会社に転職したんです。
現場で職人さんと打ち合わせ。工事を担うのは、技術は当然、人柄にもほれ込んだスペシャリストばかり。付き合いも長く、気心の知れた大切な仲間でもある
職歴を見ると、独立に向かって着々と準備したように思われるかもしれませんが、まったくそんな気はありませんでした。自分には無理だと思っていたんです。ガーデンエクステリア会社の多くは展示場を持っていて、お客さまに実例を見ていただくことが商談の前提です。でも僕には展示場を借りられる資金などないし、土地持ちの親戚がいるわけでもない。
ある日、たまたま読んだ本から発想を得ました。展示場がない=それだけの経費をかけず安くサービスを提供できる。それが売りになるんじゃないかと。集客さえできれば、自分には経験も実績もある。独立できるのでは?と考えるようになったんです。それから1年半くらいは思い付いたことをノートに山ほどメモ書きしました。この落書きのような存在が、今思えば独立への気持ちを徐々に高め、企業理念と事業計画書の基礎となり、独立後に何をすべきかを明確にしてくれたのだと思います。
独立の半年前に退職のあいさつ回りと資金調達をしただけで、実動は独立したその日から。エクステリアは商品がない状態で契約するわけですが、僕には展示場もない。それなら僕自身の人間性を知ってもらうのが一番だとブログを開始。また、マスコミで報道されているような悪質業者もいるので、お客さまの不安解消にもなる。同時に、庭づくりのノウハウをまとめた小冊子の作成に取りかかり、半年後に希望者に無料で配布。ガーデンエクステリアに興味のある人だけにターゲットを絞り、僕の理念、やり方を知ってもらうことに専念したんです。ホームページはじっくりつくりたかったので、独立の1年後にアップしました。
僕のこだわりは、植栽・緑を生かして、ガーデンをトータルに設計・施工すること。完成後いかに庭の管理がしやすいか、お客さまの生活をより楽しくできるかを大切にしています。造園会社の勤務経験が、地域の同業他社との差別化かな。今後は、庭のグリーンメンテナンスなど、新規事業にも挑戦していきたいと思ってます。
一時期、実家がある関西へ戻ってほかの造園会社に転職しようと、ある会社の面接に出かけたんです。その際に健康診断を受けましてね。白血球値が高いから再検査が必要だと。再検査の結果が出るまでの約3カ月、不治の病ではと悩み続けたんです。ネットで調べると悪い情報ばかり。自分は死ぬんじゃないかと本気で落ち込みましたよ。どうぜ死ぬなら1、2年でも、本当にやりたいことをしたい、悔いを残したくないと。自分には無理だと思っていた独立への思いが一気に強まったんです。結局、白血球値が高かった理由は今もわからないまま。まぁ、大丈夫でしょう、こんなに元気ですから(笑)。
300万円です。事務所開設費、コンピュータや備品、車の購入などで120万円。残り180万円は運転資金です。
全額、国民生活金融公庫から借りました。
なぜか妻はいずれ独立すると思っていたようです。勤務先の造園会社の社長も、僕が開拓して受注した仕事を3、4社「そのまま持っていけ」と応援してくれましてね。現場の職人さんたちにも「やっと踏ん切りがついたか」と言われて。それまで付き合いのあった職人さんや資材メーカーの人も気持ち良く協力してくれました。
独立前に考えていた集客のためのアイデアが本当に通じるのか不安でした。でも、ともかく具体的にアクションを起こしてみないことには何もわからないですからね。これまでの仕事経験を大いに生かせる事業ですから、目の前にお客さまさえ来てくれればと。業務的にはかなり自信がありました。
自分の経験と職人さんから得た情報、それと起業セミナーにも参加したし、ビジネス書は100冊以上読みましたね。独立を意識する以前から、造園の勉強のためによく読書はしていたんです。特に感銘を受けたのは神田昌典氏の本。商売というのはとてもシンプルなもので、見込み客をつくって買ってもらうこと。どうすればお客さまが来るのかだけを考えればいいんだと。この考え方が、展示場がなくても独立できると思った最初のきっかけです。あと、白血球値事件で独立を真剣に考えた時に立ち読みした占いの本に、「3年前から大殺界だったけど今年から運が開ける」と書いてあって、「よっしゃ!」と勢いづきました。普段は占いなんて信じないんですけど(笑)。
独立前から付き合いのある職人さんたち。それと独立して4カ月後に、県内の同業者で創業者でもある4人で「信州ガーデンミーティング」というグループを結成したんです。彼らとは東京で行われる商材の展示会へ向かう乗り合いバスの中で知り合ったんですよ。経営のことから日常的な業務まで何でも相談できる、心強い仲間たちですね。
2007年の冬に資金繰りで困りました。どうしても季節的に冬は需要が減るんですね。その時は秋に受けた仕事の入金が遅れて、商材の支払いに見込んでいた200万円が不足したんです。この時は、生命保険の契約者貸し付けを使って乗り切りました。
好きなことを自分が思ったやり方でできることですね。ガーデンエスクテリアって、駐車場のコンクリートは土木会社、植栽は造園会社、フェンスはアルミ会社、ブロック塀は外構会社と、それぞれ専門業者と分業するんですね。僕の仕事のやり方は、デザインして職人さんを手配して終わりではなく、一貫して僕自身が対応するんです。家周り全体をトータルに考えて設計して、人柄まで熟知した職人さんに依頼し、現場にも足しげく通い、施工完了までお客さまとも密に接します。最終的にお客さまにも喜んでいただけて、それがまた次の仕事につながることが嬉しいです。
この事業はひとりでは完結できません。信頼できる職人さん、商材の関係者がいてこそ成り立つんです。もちろん決して打算的に付き合ってきたわけではありませんが、独立前から周りの人たちを大切にしてきたことが、独立後に大きな財産になっていると実感しています。資金面のことなんて後からどうにでもなる。でも、ひとりでも多くの仲間をつくりたいなら、勤務時代の姿勢が問われますから。要は起業するしないにかかわらず、常日頃から仕事仲間を大切にすることです。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報