みやした・じゅんいち / 群馬県出身。工業高校の建築科を1年で中退し、16歳の時には板前修業の経験も。その後、様々なアルバイトを続けながら通信制の高校に再入学。23歳で卒業。観光土産品の卸会社に就職し、14年間勤務した後に念願の蕎麦店を開業。
しっくいの白壁に黒い柱が映える外観。古民家を改装したように見えるが、実は元焼き肉店だった中古物件。妻を亡くし、3人の息子を育てる身でもあり、自宅の近くで探した
蕎麦店をオープンしようと決めてから一番力をそそいだのは、行動目標のフローチャートづくりです。これは「いつ、何を、どうするか」を細かく書いたフローチャートですが、そのとおりに進めていけば、必ずオープンにこぎつけるという綿密なものをつくり上げました。途中でスケジュールがずれ込んだ場合は、すぐに軌道修正し、やると決めたことはひとつも漏らさず行動に移しました。
具体的には、店舗の改装関係、設備関係、申請・手続き関係、仕入れ先関係、備品購入関係、人材関係などなど、項目別に時系列でグラフをつくり、そのとおりに進めていったんです。それを手帳に張り付けていつも持ち歩き、追加や変更は気づいた時にすぐ書き込みました。それがあったからこそ、大きなトラブルややり残しもなく、無事オープンにこぎつけたのだと思っています。
物件購入の決め手のひとつが、この吹き抜け天井。外観同様、白い壁にマッチするようにむく材だった柱を黒く塗った。新たにつくった囲炉裏端は、蕎麦好きのたまり場になることも
実は私には3人の息子がおりまして、しかも5年前に妻を亡くしていますので、開業準備中、それにオープン後もかなり苦労しました。子どもたちの世話は両親に手伝ってもらい負担を軽減できましたが、蕎麦店の開業は妻と一緒に実現しようと考えていたことなので、「妻がいてくれたら……」と悲しくなることがよくありましたね。
とはいえ、自分にとって「必ずやれる」というパワーの源のひとつは、20代の頃からの蕎麦店巡りで蓄積した知識と味への自信です。「いつか蕎麦店を開業したい」と考え始めたのは24歳の時ですが、その頃から現在まで約780軒もの蕎麦店を訪れています。最近は、中学3年の長男も食べ歩きについてくるようになって、「あの店の蕎麦のコシは……」とか、「つゆがちょっと……」などと、大人のような口ぶりで語ることに驚いているというか、笑ってしまうというか(笑)。でも、休みの日には率先して店を手伝ってくれるので感謝しています。
オープン前には2カ所の蕎麦職人の養成道場に通って卒業しています。それ以前の会社員時代にも、田舎蕎麦のつくり方を学びに行ったり、知り合いの蕎麦店を無償で手伝わせてもらったりと、知識や技術を着実に積み重ねてきました。食べ歩きや修業で学んだことは本当にたくさんあります。産地にこだわった蕎麦粉、つゆや水、薬味や添え物の素材にも自信を持っています。
お客さまに、「お店の雰囲気がとてもいいですね」と褒めていただくことも多いですよ。建物の改装に当たっては、古民家風の和テイストにこだわりました。土地、建物共に購入したものですが、もともと焼き肉店として使われていた物件なので、店内が油まみれだったんです。時間をかけて掃除して、一日中窓を開けてニオイを消したり、それはけっこう大変でした。店内のテイストは和風でも、流す音楽はジャズのスローナンバー。往年のジャズミュージシャンの写真を飾るなど、和と洋の雰囲気をさりげなく融合させているんです。地域の人に愛される蕎麦店を目指すことはもちろん、遠方から来てくれるファンもたくさん増やしていきたいですね。
10年ほど前に勤務先の上司からひどいパワーハラスメントに遭い、過労と精神的なストレスで神経系の病気になってしまったんです。こんなひどい目に遭うくらいなら、独立するのもひとつの方法だなと思ったのはその時ですね。その後も、相変わらず長時間労働の過酷な日々が続きました。そんな中、妻が医療ミスにより突然他界してしまったんです。私自身の病気もさらに悪化し、一時期は立ち上がることすらできない状態なり、会社を休職せざるを得ない状態になりました。実は、妻とは「定年退職後には、夫婦で蕎麦店をやろう」と、夢を語り合っていたんですよ。妻の死がきっかけとなったといってはなんですが、「よし、ふたりの夢だった蕎麦店の開業に踏み切ろう」と決意しました。不思議なことに、決意と同時に病気も少しずつ良くなり、今では完治するまでに至りました。
約1500万円です。会社設立諸経費が40万円、店舗改装費が690万円、厨房機器の購入に400万円、備品購入に100万円、食材仕入れに20万円、広告宣伝費に20万円、その他のもろもろの設備費に100万円、雑費が50万円ほどです。
すべて自己資金でまかないました。でも、これはあまり言いたくなかったことですが、その自己資金とは、医療ミスで亡くなった妻の損害賠償金です。ふたりの夢だった蕎麦店オープンのために使ったわけですから、天国の妻も喜んでくれているのではと思っています。それもあって会社の設立日は、妻の誕生日の4月5日にしました。
本当にひとりでやれるのかと、家族や友人たちは心配していたようです。蕎麦修業の養成講座で一緒に学んだ人の中に和食の板前がいたのですが、「あんた絶対に失敗するで。料理の世界は、そんな甘いもんやおまへんねん」と厳しい言葉を浴びせられたこともあります。それでも、蕎麦が好きで長年食べ歩きを続け、勉強もして、技術も身につけたことで自信を持っていましたし、絶対に成功させてやると自分を励まし続けました。
一番の不安は人材の確保。ホールや調理補助のスタッフをどうすればいいのかということです。時々、妻がいてくれたら彼女に任せられたのにと考えてしまいましたね。しかし、そこは気持ちを切り替えて、行動を起こし、知り合いに相談することで解決できました。
蕎麦に関しては、実際に自分の足を使って食べ歩いたことで蓄積していたデータですね。それが最大の情報源です。起業に関しては、勤めていた会社の研修や実践で得たノウハウも役に立ちました。本や雑誌もいろいろ読みましたが、実は『アントレ』も大いに参考にしたんですよ。さらに、会社設立の手続きについては商工会のベンチャー支援センター。店舗運営に関しては、商工会青年部の先輩で、飲食店を経営している方のアドバイスも助かりましたね。
両親、友人たち、蕎麦好きの仲間たちに、自分の気持ちも含めて、あらゆることを相談していました。開業に関することは、蕎麦店経営者、工事関係者、さらに友人を通じて知り合った税理士や社会保険労務士の先生方に。その友人とは、県議会議員をしている幼なじみの親友です。地元密着の彼の人脈には本当に助けられました。また、商工会の方々や、その商工会のベンチャー支援センターの先生にもたくさんの相談をしています。
オープン後の売り上げの確保です。経費がかさみ、かなり苦しい時期もありました。それでも、知名度を高めて親しみを持ってもらおうと、ホームページやブログを立ち上げてからは少しずつお客さまが増えていきました。遠方から来てくれる方もだんだん増えてきたんですよ。さらに、従業員総出で近隣にポスティングしたりと、今も努力を続けています。
様々な人たちとの縁が、次から次へとつながることです。お客さまから「おいしかったよ」と言われるのも嬉しいですが、それに続いていろいろな会話がはずんだ時、格別な幸福感を味わっています。励ましていただくだけでなく、時にはお叱りを受けたり、アドバイスをいただいたり……。会社員時代は人間関係が複雑な時期が長く続いたので、何か都合の悪い縁が多かったような気がしています。でも独立してからの縁は、良い縁ばかり。これからも、この良い縁の輪をどんどん広げていこうと思います。
やりたいことや、なりたいものがあったら、それを自分がやるとどうなるのか強くイメージすることが大事ですね。目標やビジョンを明確にすればするほど、次は何をすればいいのかがわかってきますので、その間に得た情報やピンときた何かは必ずメモするなど、わかりやすいかたちで残しておくことが重要です。そうしておけばチャンスが来た時、すぐ乗れることができますから。独立してやりたいことがあったら、「今やっていることは、いつか自分のために生かされる」と、地道な努力を積み重ねることをお勧めしたいです。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報