くれ・あきこ / 東京都出身。ゴルフ場運営会社、建設会社での勤務を続けながら、フットセラピーなどのセラピスト養成スクールに通った後に独立。サロンスペースには、静岡県の隠れた名産・ガーベラを飾り、それをイメージフラワーとしている。
お客さまとのコミュニケーションは大切。だが、自分がしゃべりすぎないよう、お客さまが自ら訴える症状をしっかり聞き、最も必要なケアを常に提供するようにしている
大学卒業後に就職してすぐ、何か仕事とは別に打ち込めるものが欲しいと思って通い始めたのが、以前から興味があったフットケアのスクールです。仕事を続けながらですので、夜間と休日に通うコースを選択しました。始めてみると、「これは私にとって趣味以上のものになりそうだ」と実感したんですよね。その後もリンパケアセラピストやハワイ伝承マッサージロミロミセラピストなどのスクールに通って技術習得に励みました。入学面接の際には、「目標はサロンの開業です」と宣言していました (笑)。
でも、そんな宣言をして、セラピストの資格を取った後も仕事としての経験がないので、なかなか自信を持てないでいたんです。そんな時に知ったのが、浜松市でこだわりの家づくりをしていることで知られる都田建設さんが運営する「キララ人工房」です。ここは特技や趣味を生かして教室を開きたい人のために開放している工房ですが、そこの陶芸教室に通っているうちに、「私もここで出張サロンをやってみたい」と思いついたんです。さっそく担当の方に相談すると、「ぜひ」と言っていただき、思ってもみなかった活動をスタートすることができました。それが2005年11月のことです。
これはセラピー用の専用ベッドだが、2つに折りたたんで運べるタイプ。カフェなど、出張サロンを中心に活動している呉さんにとって、なくてはならないもののひとつ
会社勤めは続けながら、休日に完全予約制でお客さんに来ていただくようにしました。キララ人工房での活動をとおして、このやりかたなら独立してやっていけるのではと、徐々に手応えを感じるように。そしてちょうど1年が経過した2006年の11月、経営の基本的な知識も身につけなければと、浜松商工会議所が主宰する創業塾を受講することにしたんです。そこで学んだことや、同時に受講した方たち、そのつながりで参加した異業種交流会の仲間たちの協力や助言などは、今の私にとってなくてはならないものばかりです。
現在、サロンとしての物件を持たず、キララ人工房や知り合いのカフェやレストランなどの個室をお借りするかたちでサービスを提供しています。実は開業準備中、半年くらい物件探しを続けていました。でも創業塾で収支シミュレーションをしてみたら、開業当初から家賃の出費があると厳しいことがわかりました。それでもと思い、安い物件を探したんですが、やはり安かろう悪かろうで……。自宅には使えるスペースがないしと悩んでいるうちに、異業種交流会で知り合った仲間のひとりが、「私の開くカフェの個室で、お客さんにフットケアを」と声をかけてくれたのです。私としては願ってもないことですし、その知人も、フットケアが受けられるカフェとして特徴ができると。それで2007年5月、会社を辞めて本格的に独立したのです。
もちろん、ゆくゆくは専用のサロンを持つことを目標にしています。でも、仲間がスペースを提供してくれたということは、何か目に見えない縁が私をいい方向に導いてくれたのだと思うのです。というのも、もしサロン物件を持っていたら、お客さまに対して待ちの姿勢でいたかもしれません。自分から出ていくというやり方だからこそ、「積極的にいろいろなところに顔を出し、人の輪を広げ、それがそのまま営業にもなるんだ」と、つくづく感じています。
名刺やホームページにも必ず書いているキャッチフレーズは、「癒し&足・靴・歩行の根本ケア」。単なるフットケアだけでなく、靴の中敷き調整や歩き方の改善など、それが心身のケアと癒しにつながるよう、常に足の不調をもたらす根本的な原因を追求しながらサービスを提供しています。現在、セラピストの養成も少人数で行っていますが、これからはそれをさらに本格的に展開することで、起業家としての自分も成長させていきたいと考えています。
フットケアのスクールに通ったことで、「これが私の求めていた仕事だ」と実感したことが一番の理由ですね。その時点ではいつとは決めていませんでしたが、必ず自分のサロンを持つという意思は変わりませんでした。本格的に開業したのは最初に通ったフットケアのスクールを卒業した7年後です。開業までの間は、取得した資格と技術を生かそうと、スペースを借りて活動を続けていました。さらに、創業塾に通って経営者としての知識を身につけたり、異業種交流会の仲間からの助言をいただいたり。それで、「なんとかやっていけそうだ」という自信がついたことで、会社員を辞めて開業に踏み切ることができました。
合計で約60万円です。内訳は、勤務時代にそろえたフットケアに使う専用道具の購入費用が30万円。残りの30万円は、2007年5月の実質的な開業時に、これだけは出費を惜しまないようにしようと考えたのが、ロゴマークのデザインときちんとしたホームページの作成費用です。どちらも、制作会社のプロのデザイナーさんに依頼してつくってもらいました。
すべて、会社員時代に貯めていた貯蓄でまかないました。やはりサロンとしての物件を借りなかったことが、大きな出費をせずに済んだことにつながっていますね。残りの貯蓄を運転資金に回すことができたので、結果的にいい判断だったと思っています。
そういえば、親やきょうだいなどみんなの反応はどうかなんて、あまり考えていませんでしたね(笑)。父方も母方も自営で事業をやってきた家ということが大きいかもしれません。ですから、私の独立開業に反対する人もいませんでした。
会社員時代とは違って定期的な収入がなくなるわけですから、それでうまくやっていけるだろうかという不安は少しありましたね。幸いにして、それは本当に不思議なほどに人とのつながりで仕事の場が増えていき、その不安も杞憂に終わりました。でも、今の状態で満足してはいけないと常に自分に言い聞かせています。安定しているからといって、そこで安心してしまうと、お客さまへのサービスを始め、追求すべきことを知らず知らずのうちに怠ってしまうと考えています。お客さまが何を求めているのかを探りながら、常に私の存在を意識していただけるよう、自分からの行動を惜しまないようにしています。
企画書のつくり方や、収支計画の立て方、物件を選ぶ際に注意することなど、浜松商工会議所主宰の創業塾で学んだことが多いですね。また、創業塾に参加した仲間たちとのつながりができて、今でも何かと情報交換を重ねています。それと2006年12月に、「財団法人浜松地域テクノポリス推進機構」が主催する「はままつビジネスコンテスト」に参加したのですが、それをきっかけに、その浜松地域テクノポリス推進機構が実施している起業家塾に参加するようになりました。その仲間たちからは、同じ地域で頑張っている同志として、いつも刺激を与えてもらっています。
一番相談に乗ってもらったのは母方の祖母です。祖母は長年ビル経営をしていたので、開業に当たって物件を持とうとした時にも、図面を見ていろいろな意見を出してくれました。また、その家賃で1日の売り上げがいくらいくらあれば、経営が成り立つなどなど、経営者ならではのアドバイスも。それから、「経営者は信用第一だから、常に周りから信用されるような行動を心がけなさい」「とにかく周りの人への感謝の気持ちを忘れないこと」などと、何度も言ってくれました。どんなことも自分ひとりでやっているのではないということを、身をもって知っているからでしょうね。私もその気持ちをいつも心に留めておくようにしています。
自分がブログに書いたことが、想像とは違ったかたちで影響することがありまして……。たとえば拠点としているのは浜松市ですが、別の地域でも出張サロンを展開すると書いたら、浜松のお客さまからの予約が減ったんですね。あるお客さまによると、「忙しくなって予約が取れないのではと思ってしまうんです」と。自分としてはますます頑張りますというつもりで書いたことなのに……。それからはブログでの宣伝ひとつにも、言葉の使い方を注意するようになりました。
人とのつながりが、大げさでなく会社員時代の何十倍にも広がったことですね。たまたま知ったキララ人工房に始まり、創業塾の仲間たち、それに異業種交流会で出会った人たちなど。こうして独立が継続できているのも、人との出会いがあってのことです。
周りの人とのつながりや協力なしに独立などできないことを実感しました。ですから独立を目標にしている人が自分自身で努力するのは当然ですが、どんなことでも自分だけの力だけではなく、いろいろな人の協力や温かい気持ちがあっての結果だと思う感謝の気持ちを忘れずにいてほしいですね。また、自分でこうしたいと思った時に、すぐ行動に移すことの大切さもよくわかりました。それと、考えていることをどんどんしゃべるようにすると、結果としていい方向につながっていくと思いますね。そうすると、自分が迷っていることをじっくり考える機会にもなり、頭の中の整理ができます。「足りないことは何か? これからやるべきことは何か?」という確認にもなります。また、どのようにしゃべると理解してもらいやすいかだんだんとわかるように。今でも出会った人たちにしゃべること自体がプレゼンだと思ってしゃべりまくっています。隠さず惜しまず、やりたいことは堂々と宣言すること。コレ、お勧めですよ!
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