わたなべ・ゆみ / 島根県出身。高校時代のバイトからブティック一筋で、10年以上複数の店で店長として活躍。今は多忙で休みなしだが、健康の秘訣は8時間睡眠と、毎日の夫との晩酌に幸せを感じること。記録力抜群で数年前に誰が何を試着したかも把握。
DMで送る季刊のおすすめカタログは、渡辺さんの手書きで実に繊細。メンバーズカードはネット利用客にも送付し、常にアナログな交流を心掛けている
20歳くらいから雇われ店長として、いろんな経験を積ませてもらいました。常連さんの多い店では、ただ洋服を見に訪れるのではなく、対話を楽しみにいらっしゃることも実感しましたし、人気ブランドの店では、流行や人気におごって、お客さまを第一に考えない経営方針に我慢できず直訴したことも。仕入れの重責や、個人的な主義主張を曲げざるを得ないジレンマも正直ありましたね。
自分が経営者なら本当にいいと思える商品だけを置けるのに! これが自分の店なら接客はこうできるのに!という思いがどんどん募りました。私はとにかく洋服が好きですし、何よりも、好きな洋服をとおしてお客さまと接し、自然と心が通い合えるコミュニケーションが好きなんです。そういう店をいつか開きたいと、ずっと思っていました。
渡辺さんの一番の理解者であり、開業をサポートしてくれた夫と。広告の商品撮影やWebショップの掲示板では回答も担当しており、仲良しの顧客も多い
その長年の夢がかなう、いざお店の賃貸契約をするという当日に、ストレスで倒れて1週間入院……。一番大変だったのは仕入れ交渉で、50社以上に断られました。同じ商業圏の他店とすでに取り引きがある、新規店とは取り引きしないなど、小売りキャリア10年強の私でもなかなか相手にしてくれない。ただ今もそうですが、自分の好みでない洋服は絶対に入れたくないので、向こうからオファーがあってもお断りしました。
その時はもうダメもとで、山陰地方の他店と取り引きがあるのを承知で好きなメーカーさんに電話したんです。どういう店にするのか、これまでの経歴などいろいろ質問されて、「商業圏が離れているし、展示会に一度いらっしゃい」と。すぐに東京へ向かいました。そうやって、当たって砕けろ!の気持ちで、開業当時は6社からの商品でスタートし、少しずつ取り引きメーカーさんを増やしてきました。
今も毎月数回、東京へ出張して必ず自分でじかに見て仕入れていますし、商品納品後は、縫製や細部の細部まで徹底的に検品します。連日深夜までかかりますが、手間暇は惜しみません。お客さまにお勧めするのは、絶対の自信作でないと。メーカーさんに私は遠慮なく返品や直しをお願いするので、「日本一、検品が厳しい店だ」とお褒め(笑)の言葉をいただくほど。こうすればもっと素敵だとフィードバックして、メーカーさんに喜ばれることもありますね。
ここ米子は転勤族も多く、お客さまと寂しい別れも……。接客好きな私は、ちょっと抵抗があったのですが、ご要望に応えて07年秋からネット販売も始めました。海外に転勤されたお客さまから国際電話をいただいて、「あのスカート、私に合うかしら」って。電話代が高いでしょうからメールでお問い合わせでもよろしいのにと申し上げたら、「声が聞きたかったから」と。嬉しくて、思わず泣きそうになりました。手法はどうであれ、心が通う店をこれからも目指していきます。
いつか自分の店をやりたい、そんな10年越しの夢が具体化したのは、私たち夫婦と2世帯同居していた夫の父が突然、なんの前触れもなく本当に急に亡くなったことがきっかけでした。その直後に夫が「人は明日生きている確証はない。やりたいことは生きているうちにやろう。店をやろう」と助言してくれたんです。それから半年後にはオープンしていました。自分の店は“いつの日か”の夢でしたが、夫が背中を強く押してくれなかったら、いつか、いつか、と逃げたままで実現しなかったかもと思います。
1000万円です。お店の賃貸保証金で50万円、改装費は知り合いに格安で受けてもらい、大型のショウウインドーなども含めて250万円、商品の仕入れと運転資金で約500万円です。メーカーさんとの取り引きは、2回目以降は商品納品後に支払いますが、初回の取り引きは必ず先に入金を確認できた後に納品される、キャッシュオンデリバリーが常なのです。なので、多めに予算を確保していました。
結婚してからの私の収入はすべて貯蓄していたので、その500万円を自己資金にでき、残り500万円は国民生活金融公庫から借り入れました。
義母や夫のお姉さんは応援してくれました。でも、準備を始めてからの事後報告ということもあって、私の両親は大反対。義父が亡くなったばかりでしたし、2世帯住宅のローンも長男である夫が受け継いだので。しかも実は同時期に、夫も勤め先を退社し、店も手伝ってくれながら、広告編集業で起業したんです。夫は東京の音楽雑誌の元編集者で、両親の強い希望で故郷の米子にUターンして、でもいつか取材・執筆活動を再開したいとずっと思っていたんですね。夫婦そろって同時に“やりたいこと”を始めたわけですから、親が心配のあまり大反対するのも理解できました。今は心配しながらも、応援してくれています。
お店の賃貸契約する前は、リスクばかり考えてしまって。正直、怖かったです。夢がかなうという喜びと同時に、たぶん、自覚していた以上にプレッシャーだったのだと思います。そのストレスで、内臓にじんましんを発症して入院するはめに……。あの時は死ぬかと思いましたよ(笑)。でも賃貸契約した途端、内装工事、メーカーさんとの交渉や小物・家具の納入など、やるべきことが次々とあって、もう進むしかなくなって。体を動かすことばかりの状態になると、ストレスや不安を感じる暇もないという感じでした。腹がくくれたのでしょうね。
とにかく洋服が大好きで、高校生の時のバイトから今日まで、ずっとブティックで働いてきましたので、10年以上の経験が何よりの情報源です。それに、メーカーの方やお店の改装をしてくださった設計士さん、税理士の先生など、いろんなお店をご存じの方々からの具体的なアドバイスをいただいたことも大きいです。お客さまの年齢層も10代?70代までと幅広く、皆さんとの世間話の中から新たな発想をいただくこともあります。07年秋から始めたネット販売もそうです。転勤されたお客さまからずっとご要望があったのですが、正直、対面接客が好きな私には抵抗があって。でも、思い切って始めてみて、喜んでくださる方の多さに励まされます。
夫です。今も何でも相談しますし、毎日晩酌しながら報告し合います。お疲れさま乾杯! これがないと1日終わった気がしないんです(笑)。夫も店にいることがあるので、男性ということで安心されるのか、恋人や奥さまのプレゼントをみつくろってほしいと単身で訪れる男性のお客さまも。一度うちにいらしたお客さまのことなら私は覚えているので、お手持ちの洋服に合うものやお好みに合わせて選んでさしあげられます。記憶力がいいことだけが、私の取りえでして(笑)。もちろんスタッフにも共有してほしいので、「お客さまカード」をつくり、詳細なデータ管理もしています。
異常気象ですね。特に07年の夏はいつまでも暑かったですよね? 例年なら、もう秋物のシーズンに切り替わって、お客さまも新作に目が向く時期になっているのに、夏物の需要がなかなか終わらずにどうしようかと。いつまでも暑かったり、いきなり寒くなったりせず、ゆるやかに季節がちゃんと変わっていく従来の四季に安定してほしいです。それと、嬉しいことでもあるのですが、スタッフさんが次々とご懐妊して、お店を退職(笑)。おめでたいことで嬉しいですが、あまりに不思議な連鎖が続いたので、今のスタッフさんのひとりは3人のお子さんのママを選びました(笑)。
お客さまとのいい出会いがたくさんあることです。うちのお客さまは私の一番の自慢ですね。お洋服を選ぶ楽しみだけでなく、ゆっくりおしゃべりをするのを楽しみにいらしてくださるお客さまが本当に多くて。お帰りの際に「なんか癒された」とか、「スッキリした」とか、言ってくださると嬉しくなります。本当は、そういうお客さまから逆に私が癒されているんですけどね(笑)。それと、常連のお客さまたちがご自分たちのことを「ナチュラーズ」と呼んでいるのも感激しました。私が一番に望んでいたこと、理想としていたことは、洋服をとおして心が通い合う空間にしたいということでしたから。最高のご褒美ですね。
商品そのものの魅力はもちろんですが、洋服が映える、ここにいるだけで気持ちいい、というような店づくり、空間づくりは重要だと思います。店主の気持ちが行き届いた空間であり、品ぞろえであり、接客も含め、すべて総合的に。それと起業は、いつかいつかと思っていたら、永遠にできないのではないでしょうか。決意することが大事ですよ。資金がないなどの何か理由があるなら、漠然とした目標ではなく、具体的な“いつまでに”を定めて準備するべき。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいですよ。人生、何があるかわからない、明日生きている確証はないのですからね。
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