さとう・みよし / 大分県出身。突然の母の介護をすることになり、第二の人生をスタート。従来の予定を繰り上げて独立を果たす。若い頃からの趣味は登山とマラソン。全国のマラソン大会にはせ参じること20年。フルマラソンはサブスリー(3時間以内で完走)。
ホールは、みんなが集まってきたくなるような温かみのある設計に。梁をむき出しにした吹き抜けの天井は開放感にあふれ、食事時に限らず一日中ここで過ごす人も
田舎でひとり暮らしをしていた母が交通事故にあったのがそもそものきっかけです。ひどいけがを負い、高齢なのでこのまま寝たきりの生活になってしまうだろうと。最後の親孝行として付きっ切りの介護をするために、勤務先のNTTを早期退職することに決めました。その時私は52歳。母の事故には本当にショックを受けましたが、それによって少し早く独立に踏み出すことができたことは確かです。というのも定年退職後は高齢者介護など、福祉関係の仕事に携わることができたらと以前から考えていましたから。
幸いなことにその後母はめきめきと回復し、一緒に住む私に炊事や洗濯の世話までしてくれるまでに。そして、やがてほぼ自立。時間ができた私は、地域の独居老人宅を訪ね回るなど、独立に向けた行動を開始しました。
大分の景勝地・九重山にも近く、施設の周辺は豊かな自然にあふれている。施設の前には入居者が管理する菜園もあり、収穫した野菜類は調理されて食卓に並ぶ
ここ大分県玖珠郡内でひとり暮らしをしている高齢者は、当時約650人いました。それぞれの生活の様子をうかがったり話し相手になるなど、一軒一軒を手弁当で訪問しているうちに、その一人ひとりが大きな問題を抱えていることが如実にわかってきたんです。早ければ1年以内に介護が必要になると思われるような人でも、その対策さえなされていない現実。これは一刻も早く手を差し伸べなければと、まずは高齢者を支援することを目的にしたNPO法人を立ち上げました。ボランティアで協力してくれる仲間を集めて、掃除や庭の草取り、病院への移送や話し相手など、2年間、夢中で続けました。
その間に、行政に対して“生活支援ハウス”の設置を申し出たのですが、予算がないということで拒否されてしまったんです。でも、このことが介護施設の早期開設の契機となり、半年後にグループホームをオープンするに至ったのです。
やはり最初のネックは資金不足でした。銀行から、利益の出でいないNPO法人には融資できないと断られてしまったんです。そこで慌てて有限会社を設立したところ、融資は即OK。やむなく会社での船出となりましたが、理念はNPOの精神のままです。
しかし、無償で動いていた間の努力は捨てたものではなくて、支援したいという人がどんどん集まってきました。NTT時代の先輩たちは足りない資金を集めてくれ、土地は2000?の農地をおばが提供。おじは車を一台寄付してくれました。私自身が一番精魂を注いだのは施設の間取りです。パソコンで自分なりに描いていったのですが、設計士さんから、このまま設計図として使えそうだと言われたほど丁寧に仕上げました。今、“グループリビング みなみの風”の入所者たちは、料理好きなら料理を、掃除が得意なら掃除をと、まるでわが家のように、それぞれが好きなことをしながら、ゆったりとした生活を楽しんでいます。
きっかけそのものは母の介護ですが、若い時から福祉関係に関心が強く、介護保険法がスタートした頃から第二の人生は高齢者にかかわりのある仕事に従事したいと考えていました。それによって、生涯、充実した人生を送りたいという思いがあったのです。
約5000万円です。そのほとんどが施設の建築費と設備費用です。
3000万円は銀行からの借り入れ、またNTT時代の先輩たちが1口100万円で合計8口、つまり800万円を出資してくれました。さらに自分自身の退職金をプラスして約5000万円を用意することができました。
スタート前の2年間は無報酬での下積み期間でした。その間の行動を見ていてくれた地域の方々や親戚は理解を示してくれ、様々なかたちで支援してくれました。ふたりの子どもは独立していましたし、妻ともども、静かに見守ってバックアップしていこうという感じでしたね。
当初は入居料を月に5万円くらいに設定したのですが、役所からグループホームとしてやるなら月に10万円くらい出してもらわないと手厚い介護ができないと言われてしまったんです。工夫次第で低料金でもできる自信がありましたし、10万円も必要だとしたら国民年金や生活保護で生計を立てている人は入所できないのではないかと。それが後にグループホームを廃止して、低料金で利用できる滞在型の宅老所の立ち上げにつながりました。
開所前に、県下の様々な高齢者施設を見学したことがきっかけで、介護の専門家や看護師の方々と出会うことができました。それらの方々と情報交換を繰り返し、中には職員になってくれた人もいます。今では逆に、うちを見学に来る方が増えましたので、できる限りの相談に乗り、惜しまず情報提供をしています。
施設のスタッフと役員たちです。看護師として長年病院に勤めていたスタッフなど、経験豊かな人たちの助言は心強いものです。私自身はあまり口出しせずに、何事もみんなで話し合いを重ねて進めてほしいというモットーでやっています。よく、「みなみの風には、なんでいいスタッフばかり集まってくるの?」と言われるのですが、それは私にとって何よりも嬉しいほめ言葉ですね。
やはり約10万円という入居料が高く、入居したくてもできない方がいることでした。グループホームは料金を高めに設定して、介護の質を高めるようにという役所の指導があるのです。そのとおりにしていては門戸の広い施設運営ができないと判断して、2007年の春からは、料金面で縛りの少ない宅老所に切り替えました。
利用者やその家族の方たちから、「みなみの風に入所して良かった。ここが私の住処です」と喜んでいただいていることです。また、スタッフからも、「ここに就職できて幸せです」と言われること。大きな施設では自分が理想とする介護ができないと悩む職員も多く、このような小規模施設で、入居者とスタッフとが家族のように過ごせることを望んでいる人がたくさんいるんですよね。
自分を必要とする人がいること。また、必要とする人を探すこと。そこから始めると独立するタイミングがわかってくるはずです。そして、「そのタイミングが来た!」と思った時が行動開始の時期です。それを見落とさずに、目標を決めて突き進んでください。私は52歳でのスタートでしたが、50歳を超えたらまさしく人生の“林住期”。特に中高年の皆さんにはぜひ頑張ってほしいですね。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報