いなば・かずお / 神奈川県出身。大学卒業後、大手OA機器販売会社で経理・総務を担当し、関連会社では経費節減にも従事。2001年にファイナンシャルプランナーの資格を取得し、同年に結婚。趣味は妻とコンサートに行くこと。最近ボウリングも復活。
会社員の時から25年以上も愛用している電卓。手が大きいので必然的に大きいほうが使いやすいとか。年代物だが、買い替えはしない方針
35歳を過ぎて、独立を検討し始めた時、これまでの経験と実績を生かすには、どんな資格が適しているかをいろいろと考えたんです。経理・総務一筋で勤務して、本社、支社を含め6カ所ほど転勤も経験していました。関連会社では、上司は社長というポジションで、総務・経理の責任者として決算業務から資金繰り、人事まで幅広く担当していました。当然、経費節減も業務のひとつでした。
社会保険労務士や税理士の資格も考えましたが、これまでの経験を生かすならファイナンシャルプランナーだと思ったんです。また当時、金融業界は大波乱の時代で、この先、ファイナンシャルプランナーが求められるとも感じていましたので。会社に勤めを続けながら8年間、通信教育で勉強し、また、土日の資格取得スクールにも通い、日本FP協会会員ファイナンシャルプランナー資格を取得しました。
会社設立時は、外出することも多く最低限のスペースで十分と、レンタルオフィスを使用。 賃月3万円で会議室などの共有スペースも充実
ファイナンシャルプランナーの資格を取得しただけで、ビジネスが成り立つとはハナから思っていませんでした。一般的にファイナンシャルプランナーは、対個人のコンサルティングが主ですが、私は22年間ずっと、会社の経費節減を担当してきましたから。その経験を生かして、対企業向けのビジネスをしたいと考えていたんです。
資格取得後も2年間はそのまま勤務。起業して1年間は無収入でいいくらいの覚悟が必要だと考え、2年間分の生活費は貯めておこうと決めていましたから。ちょうどいい頃に、勤め先で企業合併の話が持ち上がり、それを機に退職。事務所を探しながら、実践的な研修セミナーに参加したり、経費節減事業を行っている経営者に会って話を聞いたり、5カ月ほど準備に充てました。
経費節減と一言で言ってもその内容は様々で、実際にサイトなどで検索すれば膨大な数がヒットします。独立したばかりの私など埋もれてしまう。それで、経費の中で最も金額が大きなオフィス賃料の節減に絞ろうと決めたんです。ネットワークづくりやマーケティングなどを学びながら、賃料改定を前面にアピールしたサイトを立ち上げました。
賃料の減額や改定に成功すれば、お客さまからの信頼を得られ、いい関係がつくれる。その後で、賃料以外の経費削減も提案できるし、経営者個人を対象としたファイナンシャルプランナーの仕事もできる。何かモノを売り込むのではなく、得意分野でサポートして喜ばれ、当社の収入にもなる。独立前に考えていた、心も経済的にも充実した人生、そして生涯現役で社会的な貢献にもなるような仕事、それが今できていると実感しています。
30代の半ば頃に異業種交流会に参加していて、その会で出会った女性起業家たちが、自分の好きな道でイキイキと生きている。その姿にまずショックを受けました。ちょうど当時、証券会社や銀行の倒産が相次いでいて、自分の将来を考えるきっかけにもなりました。どんな大企業でも、会社員として60歳の定年まで働ける保証はない。たとえ定年まで勤めても、その後の保証はないのだと。心も経済的にも充実した人生を送りたい。生涯現役で社会的な貢献にもなるような好きな仕事を続けたい。そのためにまだ元気な40代、経験と人脈を生かせるうちに、資格を取って独立しようと決めました。
資本金として300万円を用意しました。それ以外にも、2年くらいは夫婦ふたりが生活できる資金を1000万円ほど。お客さまの仕事場に出向くことが多い仕事ですから、最初から事務所は最低限のスペースがあれば十分と考え、約100社が集まる横浜のインキュベーション施設「アイエスオー」の会員になり、レンタルオフィスを借りました。入居後すぐにビジネスを開始できる環境で、共有のラウンジや会議室、コピー機やファクス、受付もあり、起業したての経営者も多い。それで賃料月3万円ですから格安です。かつて、この横浜周辺に8年間勤務していたので、地の利も生かせる。それも所在地を決める際の理由のひとつでした。
資本金も2年分の生活費もすべて自己資金です。起業する7、8年前からいずれは独立すると決めていましたし、当座の生活費を確保してから退職しようと、こつこつ貯蓄。その期間にじっくり勉強できましたし、焦ることなく資格も取得できました。
いずれは独立すると妻には話していましたし、独立する時も賛成してくれました。ただ、私の母は反対していました。やはり20年以上も勤めてきたわけですから、親としては当然だと思います。でも人生は一度だけですから、私の考えを通しました。元同僚や後輩は、最初は驚いたようですが、後々になって「自分も独立した」なんて連絡をもらうこともあります。会社員時代は、互いに独立の話などをしたことはありませんでしたが、みんなそれぞれ将来を考えていたんですね。
22年間ずっと経理・総務畑でしたし、ゼロからお客さまを見つけなければならないので、営業面、マーケティング面が多少不安でした。ただ、私の実家は駄菓子店で、子どもの頃から店の手伝いをしていましたし、新聞配達とその集金もしていたんです。学生時代は紳士服の販売員のバイトをして、売り上げ成績も良かった。商人の気質というか、自分が営業に向いていることは何となくですが自覚をしていましたので、やり始めれば何とかなるとは思っていましたね。
会社員の時、起業への刺激を受けた異業種交流会。それと、アイエスオーです。ここで経営者セミナーなども開催され、同じような時期に起業した仲間にたくさん出会えました。情報交換する中で、営業やマーケティングなどのノウハウを学ぶことができ、仕事に大いに役立っています。
アイエスオーの会員仲間です。経営者、行政書士、税理士などもいますし、紹介の紹介で人脈も広がります。オフィスはもちろん個別ですが、レンタルオフィスはお互いにいい刺激を受け合えるし、情報交換もできるスタートアップ期には貴重な環境だと思います。会社をつくる際にどこにオフィスを構えるか。交通の便や建物だけでなく、人的な環境も重視して選ぶことをお勧めします。
起業してすぐ契約が取れるとは思っていませんでしたし、2年間は生活に困らないだけの貯蓄を蓄えていました。それでもやはり、なかなか売り上げが挙がらない時期があり、困ったというか、つらかったですね。まぁ、不安材料を見つけるための期間なのだと自分に言い聞かせて乗り越えました。実際に、そうだったと今は思えます。
やはり、自分が考えたビジネスで初契約を取れた時の喜びは忘れられません。何か商品を売り込む営業ではなく、相手が喜ぶサービスをして、喜ばれるうえに私の会社としての売り上げになるのですから。それは嬉しかったですね。それと、賃料を改定したことが縁となり、現在は起業サポートも行っているんです。若い起業家が大きく成長していく姿にも喜びを感じます。
やらないで後悔するよりも、何でもやって経験を積みながら成功への階段を一歩一歩上がるほうが、充実した人生をすごせると思っています。また、どんなにいい商品や技術、いいビジネスプランがあっても、それだけでうまくいくとは限りません。いい相談相手や、お互いが協力し合えるネットワークがあってこそ、いい商品や技術が生きてくるのだと思うんです。そのためにも、自分自身を磨くこと、人との出会いを大切にしてほしいですね。これから独立しようという人たちのサポートもしていますので、一緒に頑張りましょう。
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