もりた・えいこ / 愛知県出身。結婚後は専業主婦一筋で、子どもの成長と共に趣味や外へ出る機会を徐々に増やし、30代前半はテニス、後半からは海外ひとり旅も。現在、生徒数は約70人。レベルに合わせた仏菓子・仏料理教室、男の料理教室も新設。
教室は1クラス4人までの小人数制で作業台は生徒ひとりに1台。「実習は楽しくハードに、試食は優雅に」が信条で常に笑い声が絶えない
専業主婦の私が仏菓子人生をスタートさせたのは、東京の「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」というお店のお菓子“クロワッサン・アマンドゥ”との出合いでした。あまりのおいしさに感激したんです。その店では教室も開いていて、自分でつくれたらすごい!との思いで通い始めました。
当時の私は、フランス菓子って何? どんなもの? という程度でしたが、教室で基礎から教わって、本当に誰でもおいしいお菓子がつくれる、その喜びにどんどんハマりました。約2年間通い、本科、研究科とステップアップして、キッシュなどのお惣菜のトゥレ・トゥール、フランス料理まで学んで、師範Aを取得したんです。
室内の一画はサロン風に。実習後、生徒と試食を楽しむ場であり、土日だけ営業するティールームにもなる。森田さん手づくりの洋菓子も販売
教室に通っていた当時、3人の子どもたちはまだ小学生。私は、子どものことで絶対に後悔したくないと思っていたので、子育ては手抜きせず一生懸命やる主義でした。当然、私だけの時間は限られます。でもずっと、そんなテーマを持って専業主婦をしていたので、苦ではなかったです。子育てって、楽しいけれど大変ですよね? その大変さをいかに楽しむか。そのために日常生活を、家の中でできることを徹底して楽しむよう努めていました。
主婦のプロフェッショナルになることを目標に、料理などの家事はもちろん全力だし、子どもの服もほとんどが私の手づくり。夜は子どもを寝かせてから、朝も早く起きて、読書や洋裁をする。時間を自分でつくって、そのうえで、少しずつレベルアップしながら、楽しみながら実践していたんです。そんな“専業主婦を楽しむ”経験は、教室に通い始めてからも同じ。だから、学校に行っている時間を有効利用しながら、子どもの成長に合わせて無理せず菓子づくりをステップアップできたと思います。
子どもたちが少し大きくなった95年に、フランス国立高等製菓学校で研修を受けました。手順は日本ですでに学んでいるし、専門用語は同じなので、フランス語は話せなくても問題はないんです。数日間みっちり本場の実技を学びました。その時の楽しさを生徒さんにも体験してほしくて、教室で毎年、短期の研修旅行も実施してます。10日間くらいなら、主婦でも何とか参加できる日数でしょ?
本物のおいしい出合いから今日まで、その原動力は“喜び”でしょうね。生徒だった頃の楽しさ、おいしいと喜ばれる感動、技術がステップアップする喜び、そのすべての初心を忘れず、本物に出合える喜びを生徒さんに私流で楽しく提供していきたいです。
プロのおいしいつくり方が私でもできたから、誰でもつくれるようになることを知らせたい気持ちからですね。うちに遊びに来た友人や知人に自作のお菓子を出しているうちに、つくり方を教えてと言われて自宅で教えていたんです。そのうち注文もいただくようになって、徐々に量も増えてきて、自宅では手狭になってきました。子どもが大きくなったのと、この20坪ほどの物件も気に入って、そのタイミングがすべて合ったんです。当時、ここ横浜・元町は、みなとみらい線が開通する計画が決まっていて、交通が便利になるのも予想できた。自宅から車で数十分だし、お菓子を販売するにも元町は全国的にもネームバリューがある。それで決めました。
約1000万円を用意しましたが、なるべく節約しようと思っていたので実際に開業資金で使ったのは500万円くらい。そのうち約300万円は機材や器具などです。設置やインテリア、内装も設計士さんに頼まず、自分でサイズを測って、合羽橋へ行って選びました。大きなものは搬入さえしてもらえれば、あとは自分で動かせばいいし、使っているうちに使い勝手を変えていけばいいですから。もともと私は模様替えが好きで、自宅でも月に1回くらい模様替えをして楽しんでいたので。細かいものは工務店で安くつくっていただきました。それと最悪の場合も考えて、教室を閉じる時に撤去しやすいように、と後工程まで考えて設置しました。
夫に借りました。無理をしたくなかったし、借金をしない方針でしたので。物件を見つけてきてから「元町でやってみたい」と、夫には相談というより、お願いしていました。最初は反対されましたが、頭ごなしの反対というよりも心配からでしょうね。家族って、一番身近な存在ですし、客観的に見るのが一番難しい存在でもありますから。いろいろ話して説得して、最後には気持ちよく出してくれました。
夫も子どもたちも、協力してくれました。これまで子育ても家事も手抜きしてこなかったので、いろんな面で私を認めてくれていたのだと思います。今でも私、家事は手抜きしませんよ。食事も毎日つくるし、注文が多くて夜遅くまでお菓子を焼かなくてはいけない時も、一度自宅に戻って夕食をつくって、また教室に戻りますから。主婦が家族の理解と協力を得るには、食事づくりの手を抜かないことが一番です。私自身は、以前から何度か、海外へひとり旅をしていたので何かと度胸がついたのかもしれません。お菓子と関係なくヨーロッパを旅していましたし。フランス旅行は20回以上。パリの名店の工房に1週間くらい見習で入れてもらったこともありました。
自信はなかったです。でも、自信がつくまで待っていたら、人間なんて死んじゃいますよ。そうでしょ? 立ち止まってなんかいられない、前進あるのみ。プラス思考で進むしかないんですよ、何ごとも。この場所が元町のメイン通りではなく川沿いで、まぁいい言い方をすれば“隠れ家的”な立地なので、生徒さんが集まるかなぁというのは心配でしたが。どちらかかというと、今のほうが不安です。パティシエって、優雅な仕事に思われるかもしれないですが、実際は立ち仕事ですし、体力がいるんです。教室はほぼ毎日あるし、お菓子やケーキの販売・発送、パーティー料理のケータリングも受けているので、体力維持は課題ですね。
菓子人生の出発点であり、恩師でもある「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」の弓田亨先生と教室の仲間たちから。それとこれまで培ってきた経験や知識です。専門的に学んだことだけではなく、旅行で北ヨーロッパやイギリス、フランスを旅して、各地の地方のお菓子や文化に触れることもそう。それと専業主婦の頃から食にかかわることにはずっと興味を持っていたので、時間を見つけてはあちこち食べに行ったり、お店や食器などを見に行ったり。そういう日々の生活の中でだって研究はできるのですからね。常に研究し続けることから多くのことを学んでいます。
誰かに相談し始めたら、きりがないと思います。それは相談というより、どちらかというと、自分自身への宣言のようなものでしょう? 特に、仕事を家には持ち込まないようにしています。それが自分の中で決めているルール。家族って、言わなくても大変そうだなと察してくれるし、逆に仕事を持つ主婦にとっては、家族が何も言わないでいてくれて、心の中で応援してくれるって何よりの協力になる。だから助かります。オープニングや記念日などのパーティーには、手伝ってと言わなくても、夫も子どもたちも毎回手伝いに来てくれました。嬉しいですよ。
困ったというか、つらかったのは、何の連絡もなく、急に教室へ来なくなった生徒さんがいたこと。結婚や転勤など、何かしら理由を言ってくれればもちろんわかりますし、どんな理由でも話してさえくれれば、寂しいけれど今後もいいかたちでお付き合いできますよね。でも無断で来なくなると、どうしたんだろうと心配するし、人間不信になってしまいます。こういうのも最近の時流なのかもしれないけれど、寂しいですね。まぁ、それも新陳代謝だと前向きに考えるしかないですけど。
おいしいと喜ばれること。生徒さんの中でカフェをオープンした人や、家族に喜ばれるのが嬉しいなどと、それぞれ夢を持って楽しんでいること。私にとってはここが生活の場のひとつでもあるので、自宅のようにリラックスできる空間にしたかった。それでサロン風のコーナーも設けました。菓子教室の実習後は、ここで生徒さんに私のまかない料理を振る舞い、食後のデザートは、実習でつくった2種類のお菓子を試食するんです。それも楽しいですよ。また、ここでは販売もしているので、お客さまにもサロンで寛いでいただける。その延長で土日だけのティーサロンも始めました。すべての基本は、おいしいと喜ばれる喜び、それと私自身が楽しめることです。
男女関係なく、家庭を大切にすること。特に主婦は、食事づくりが大切だと私は思いました。自分も計算していたわけではないけれど、今思えば主婦業を全力でやってきて良かった。何より家族の健康が第一だし、家族に目に見える愛情も示せて、満足感が記憶としても残るんです。だから、いざって時に、気持ち良く応援してもらえるんでしょう。家事と仕事の両立は大変ですが、食事づくりは女の最大の武器ですから、頑張りどころです。それと、自分の時間は自分でつくれるということ。子育て中も情報を得たり、勉強はできる。後々の有意義な準備期間です。夢はあきらめずに、慌てずに、しかもその時々の状況に合わせて育てることです。子育てと同じね。
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