かわだ・しょうじ / 広島県出身。18歳からシェフを目指して、数々の飲食店やホテルで厳しい修業に耐え抜く。ホテルの飲食店経営を任されて燃えつき、東広島市で異なったコンセプトの飲食店を7店舗経営。地元を愛する、負けず嫌いの現場主義者
1号店となった「びすとろぱぱ」は、フレンチやイタリアンをベースにした無国籍料理の店。オープン初日の長蛇の列に、川田さんは涙
独立を意識した時に、中小企業大学校の「新規創業支援研修」の受講者募集の新聞広告を発見しました。10代から料理人として鍛えたハングリー精神は人一倍ありましたから、独立しても自分はできるという自信はあったんです。ただ、経営は甘いものではないわけですから、自信を確信に変えるためにも勉強しようと、中小企業大学校に入りました。
大学校では、講師の先生に叱咤されながら、何度も何度も事業計画書を書き直し。その繰り返しによって漠然としていた自分のビジョンが、どんどん数字として明確になっていきました。この時、しっかりした計画書を作成しないで開業していたら、どこかで頓挫していたかもしれません。
中古でそろえた厨房機器。7万円で買った製氷機は開業前に故障。義父から借りた資金で新品を買い直し、オープンにギリギリ間に合った!
開業資金は誰にとってもネックだと思いますが、実は私、大学校に通いながら、開業資金は一銭も用意してなかったんです。無謀といえば、無謀(笑)。しかし、計画書を何度も書くことで、自信は確信に変わっていましたから、おくすることなく国民生活金融公庫(国金)の門をたたきました。
国金では、担当者と何度も面談しましたが、その際、自作の事業計画書だけでなく、店の内外装の雰囲気が伝わるよう自分で描いた店舗のイメージ画や、雑誌の写真を切り抜いたスクラップブックなどを持参して、熱意を伝えましたよ。それによって、1200万円の融資を獲得。また、両親や義父にも国金同様、事業計画書を見せて借り入れの説得をしたことで、何とか計画どおりの開業資金を集めることができました。
借りるだけではありません。10年以上積み立てていた生命保険を解約して、その一部を資金に充てたり、開業資金を抑える努力もしていますね。例えば、高額な厨房機器は中古品を使ったり、お客さまに見えない備品類は100円ショップで購入したり。伝票やメニューなんかも最初は、妻にパソコンでつくってもらったものを使っていました。
妻だけでなく、人の協力なくして、独立はあり得ません。「運がいい」なんて言われますが、違います。出会いをいかにチャンスに変えるか。これだと思います。独立準備では金融機関や工事業者、不動産会社など様々な新しい出会いがありましたが、そういう方とのお付き合いをないがしろにしないことも大切です。出会いはお金以上の価値があるのですから。
18歳から料理一筋で休みなく生きてきましたから、大仕事を終えた後、いったん休もうと料理の世界から身を引いたんです。職業安定所に通いながら、先の人生を模索していたのですが、やっぱり根っからの料理人。書店に行くと、自然と飲食店経営に関する本を読んでいたりして。それで独立かなと思っていた時、義父から「ブラブラしてるなら、家の掃除でもしたらどうだ?」と言われて「くっそー、やっちゃるけん!」と火が付きました(笑)。
1660万円です。東広島市という土地柄、車で移動する人がほとんどで、店舗だけでなく、駐車場の土地も広く確保しておく必要がありました。車20台分の駐車スペースに店舗40坪。この広さの店を1660万円で開業できたのは「資金調達は情熱的に、節約はシビアに」という信条のおかげです。
自宅を担保にして国民生活金融公庫から1200万円借り入れたほか、両親から350万円、義父から50万円借りました。また、生命保険を解約し、その一部の60万円を開業資金に充てました。それで合計1660万円です。両親と義父に借りた資金は開業半年後に完済。国金には毎月約7万円を15年で返済する計画です。
地元ですしね。家族も親戚もみんな、応援してくれています。オープン日に駐車場の3分の1が花で埋まった時は、工事業者の方が「こんなたくさんの花輪は見たことない」と驚いていましたが、それを聞いてみんなに支えられて独立できたんだなと、熱いものが込み上げてきましたよ。
これがね、まるでないんですよ(笑)。ただ、オープン日の前の晩、オープンしたのにまったくお客さまが店に来ないという夢を見て、嫌な寝汗をかきました。大繁盛をイメージしながら、口では「やっちゃる!」と言いながらも、潜在的には不安だったのかもしれません。
経営者としての心得のようなものは、前職のホテル経営者から何げなく得ていたと思いますね。あとは、中小企業大学校でしょうか。ここで計画書の書き方から国金の存在まで教えてもらいましたから。
料理修業で早くに故郷を離れたので、そもそも地元の友達が少ない。ですから友人に相談するというのはなかったですね。中小企業大学校の先生、あとは妻! 1号店は女性のお客さまがメインターゲットでしたから、女性の視点で意見を言ってもらえるのはありがたかったです。
休みがなかなか取れないので、家族との触れ合いが少し減ってしまったこと。私が休まないのを見て、休みを取らないスタッフが出てきたことです。そのやる気は嬉しいのですが、体を休めて英気を養ってほしいと思います。それと仕事柄、朝早く夜遅いですから、若いスタッフの定着率が低くて……。いい人材の確保は今でも困ってること。
何といっても、たくさんの人に出会えたことです。お客さまもスタッフも工事などの協力業者さんも。お店でおいしいものを食べているみんなの笑顔を見られた時は、サイコー!
独立はお金があるだけでもダメ、やる気があるだけでもダメですし、ひとりだけでもうまくいきません。何度もいいますが、人との出会いをチャンスに変える努力をしてください。応援してくれる人がいれば、ひとりでは無理なこともかなえられます。漠然としたイメージで始めてしまわず、事業計画書を書くことで、しっかりと数字をイメージして不安要素を払拭し、いい出会いで、いいチームをつくって、スタートしてください。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報