THE REVENGE 逆境こそが人を強くする

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第2回 バブルに翻弄された倒産からの再起業

山中武志さんの写真

日本では倒産した経営者は
前科1犯扱い。
だが、そのハンディを乗り越えた
成功者は本物だ

今回のファイター

(株)オークハウス 代表取締役

山中 武志さん (57歳)

東京都豊島区

1951年、大阪府生まれ。京都大学卒業後、日本IBM に就職。営業担当としてトップクラスの実績を挙げる。81年、同社を退社しソフトウェア開発会社を設立。社員数150 名、売上高11億円の企業にまで成長させるも、バブル期の不動産投資などがアダとなり、92年に倒産。その後、個人所有の一軒家をカナダ人夫妻に賃貸したことをきっかけに、「ゲストハウス」をビジネスとして手がけるように。98年11月、オークハウスを設立。現在、東京・神奈川に約90物件を管理・運営している。
http://www.oakhouse.jp/

一軒家を複数の住人でシェアするゲストハウス。礼金も敷金も保証人もいらず、短期利用も可というスタイルが、外国人や日本の若者に受け入れられている。山中武志がこの事業に出合ったのは、今から16年前。最初に起業した会社をつぶした直後だった。

学生時代から独立心は旺盛。就職先に日本IBMを選んだのも、評価が実力主義だったからだ。70年代、それは画期的なことだった。山中は新人研修期間中に2000万円の小型機の契約を取ってしまうほどの、ずば抜けた営業の才を発揮。しかし、一方で外資系特有の不自由さを感じ始め、入社7年目にして退職。すぐさまソフトウェアの開発会社を設立した。

コンピュータの圧倒的な成長期、売上高も社員数も右肩上がり。しかしそれは、見せかけの成長にすぎなかった。バブル真っ盛りの89年頃にはすでに危機の予兆が表れ、不動産を担保とした借入金は地価の下落によって膨らんだ。加えて、社内の人間による会社乗っ取りや社員たちの独立の企てがそれに拍車をかけた。当然の帰結として92年、26億円の負債を抱えて倒産。だが、その時すでに彼の心中には期するものがあった。「俺は必ず経営者として再起する!」と。

最初の会社には、早い時期から危機感を持っていたようですね。

当時はソフトウェア産業の成長を見込んで、人材を大量採用していました。でも本末転倒なんですね。仕事が増えたから社員を増やすのではなく、増えた社員に与えるために仕事を取ってくるわけですから。銀行も、僕が持っていた不動産を担保にどんどん金を貸しに来る。融資付きで不動産物件まで持って来る。最終的には6つも不動産を抱えて、財務内容は相当ひどいものでした。さらに、銀行から来た大学の先輩が、僕に債務を押し付けて会社の乗っ取りを謀ったりと、あの時期は人間の本性を観察することができて、ある意味面白かったです(笑)。

その時から、必ず経営者としてやり直そうと決めていた。

結局、26億円の負債を抱えて倒産です。幸い家族や友人関係は盤石で、僕自身再起する気でしたから、会社はきれいにつぶしたかった。だから自分の資産はすべて差し出して破産しましたが、会社のお金には絶対手を付けず、怪しげな金融業者からの誘いも断った。「破産すると二度と経営できない」なんて言う人がいますが、ウソですよ。それを怖れて、悪あがきの末に着服なんかするから、再起不能になる。ただ現実のところ、やはり日本は一度失敗した者に厳しいですね。何しろ16年たった今でも、信用保証協会に倒産の記録が残っているために、協会経由の大口融資は受けられない。それを友達にグチったら、「お前は倒産で前科1犯だから当然だ」なんて言う。経営者にならともかく、会社員や公務員に言われたくねえやって(笑) 。でもそんなハンディを負わされた人間が成功者になれば、それは本物だと思いますね。

すると立ち直りは早かった?

またコンピュータ関係で起業するつもりでしたが、倒産直後はショックで体がフラフラするし、後処理はあるしでそれどころじゃない。数カ月後友人に、僕が持っていた不動産を外国人に貸すことを勧められました。日本で外国人が家を借りるのは大変だからって。もちろん物件は全部、銀行に担保として押さえられている。ただ、当時は競売処理まで3年もかかっていたので、その間は僕が賃貸してもいいそうなんです。3年という期限があるから、むしろ短期需要の外国人のほうが、こちらも都合がいい。それで中野の一軒家をカナダ人の夫婦に貸したんです。

それが再起のきっかけに。

オークハウスとして法人化したのは、さらに6年後ですけどね。最初は外国人に合ったスタイルだと思ってたんですが、そのうち日本人の若者が入居してくるようになった。バブル崩壊後、単身海外に渡って、様々な支援活動やボランティアをやってきた若い人たちです。『クーリエ・ジャポン』の記事によると、今、世界で一番尊敬されているのは日本人だそうですが、それは彼ら若者が世界中で草の根の活動を積み重ねてきた結果なんですよ。僕はそういう若者を尊敬しています。ところが帰国してみると、日本には彼らが所属すべきコミュニティがない。外国人と同じなんです。ゲストハウスには彼らの文化や考え方、ライフスタイルを受容するコミュニティとしての役割があったんですね。

最初の起業と2度目の起業の、一番の違いは何ですか。

今思えば、最初に失敗した最大の理由は「好きなことで起業しなかった」からなんですよ。手持ちの資金だの何だのを考えて、消去法で残ったのがコンピュータ業界だった。逆に、僕はもともと資産としてより生活の場としての不動産が大好きでした。だから仕事を楽しめるし、やりがいも感じる。好きだからこそ、もう一度、やり直すことができたと思うんです。

取材・文 / 神戸 真  撮影 / 刑部 友康  構成 / 内田 丘子

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