CASE38Web系エンジニア
PROFILE
増田 修さん(48歳)
1958年、神奈川県生まれ。工業大学を卒業後、ガソリン計量器メーカーに入社。その後、独立までに6社で各種ファームウェア、PCアプリケーション、ゲームソフトなどの開発を経験。93年に独立するが2年後に再就職。96年に再独立を果たす。
一度は独立生活を断念するもプロワーカーの利点を感じ再独立
増田さんは独立を2度経験している。というのも、一度フリーのプログラマとして独立するも2年で会社員に戻り、その後もう一度フリーとして再独立したからだ。しかし、この経緯があったからこそ、「自分がやりたいことを、自分のペースでやれる。そんな働き方ができるプロワーカーの良さを強く感じられる」のだという。
増田さんが初めて独立したのは今から14年前のこと。それまでの会社員時代には、プログラマとして6社に勤務し、各種ファームウェア、PCアプリケーション、ゲームソフトなどの開発に携わってきた。自分が興味のある技術フィールドでスキルアップを狙い転職を繰り返してきた増田さんだが、独立を考えるようになったきっかけは“組織で働く”ことに起因するストレスを感じていたことにもあった。
「忙しくて仕事がきついこともありましたが、本来自分がやるべきことじゃない業務をやらされるストレスが大きかったですね。ちょうどその頃、以前取引のあった工事業者から、直接仕事のオファーが来たんです。会社を辞めたい気持ちもあったので、渡りに船でその仕事を受けて、フリーとしてやってみようと思いました」
ほかに仕事のあてはなかったが、「そのクライアントの仕事をきっちりやれば、次の仕事がもらえる」という増田さんの読みは当たり、実際に3つの業務を発注してもらえた。また、当時独立した知人らも仕事を発注してくれたおかげで一度も営業することなく仕事が入り、収入も会社員時代より増えた。しかし、仕事が順調な半面、生活の歯車が徐々に狂い始め、独立から間もなく離婚。精神的に大きなダメージを受けた増田さんは、フリーで仕事を続けることに無理を感じ、仕事仲間がつくった会社に社員として入社した。
「ゲームソフト開発で仕事を共にし、気心の知れた仲間たちの中に身を置いて働きたいと思ったのです。しかし、そこでは私が年長者だったこともあり、任されたのは取引先対応など営業的な仕事でした。現場で開発がやりたかった私は、『組織では役割を与えられるが、フリーなら好きなようにできるじゃないか』と、あらためて感じたのです」
そして再独立から11年。この間、増田さんはWebアプリケーション開発会社と業務委託契約を続けてきた。
「取引はほぼこの1社です。常駐の働き方ですが、自分のペースで仕事ができ、手が空いた時間は他社の仕事をやっても構わないという好条件。この良好な関係を維持するためにも、自分の立場をわきまえ、どんな突発的な要望にもこたえられる柔軟性を決して失わないように心掛けています」
[ 2007.6.29 ]

長時間パソコンに向かい目を酷使する仕事のため、メガネレンズクリーナーとドライアイ用目薬は欠かせない
POLICY
取引先に対しては人への気配りを考えるように、自分に対しては健康に気を使うようにしている。
HOLIDAY
仕事の調整さえすれば、堂々と長期休暇も取れる。3年前には1カ月休んでカナダ旅行にも。
MONEY
独立直後から会社員時代の年収を上回る。再独立後も、年収は平均1000万円を維持。
SATISFACTION
自由に働けるので、仕事効率を上げられる。また、やっただけ収入になるのでやりがいがある。