先輩たちの独立事例集

先輩たちの独立事例集


松林宏治さんの写真

工場や病院など業務用の
消臭・脱臭専門会社

株式会社共生エアテクノ/東京都中央区
松林 宏治さん(33歳)

まつばやし・こうじ/愛知県出身。大学で環境経済学を専攻し、卒業後は建材メーカーへ。家業の建材会社倒産を機に起業。臭気判定士とシックハウス診断士の資格を持ち、「におい刑事(デカ)」の愛称でメディアにも多数登場している。

独立準備のがんばりどころ

病院での祖父の記憶がよみがえり、においビジネスに興味を持つ

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活性炭マスクと発煙筒、においセンサー(測定器)、においをサンプリングする無臭袋。これが、悪臭解決に必要な、におい刑事の基本アイテム!

曽祖父が創業した建材会社を継ぐつもりで、建材メーカーに勤めていたのですが、家業の経営が思わしくなく、倒産せざるを得ないことがわかりました。家業を継ぐための修業のつもりで入った建材業界でしたし、大学時代は環境経済学を専攻するなど、環境や社会の役に立つ仕事がしたいと思っていました。だったら、自分で起業して環境ビジネスをしようと。環境問題について調べていきました。その中で着目したのが、においです。というのも、脳いっ血で入院していた祖父のお見舞いに病院へ行った時、独特のにおいがしたんですね。それがふとした時に、またそのにおいをかいで、亡くなった祖父を思い出したことがあったんです。においは記憶を呼び覚ますんだなと、においに興味を持ち、市場調査を始めました。

調査を進めていく中で、アロマテラピーなどいい香りを商材にしたビジネスはたくさんありますが、いやなにおい、いわゆる悪臭防止を商材にした最大手といえる企業はまだないことがわかったんです。それに産業用の脱臭商品に関しては効果がわかりづらく、まだ不透明な世界だとも感じました。さらに調べると、悪臭防止法が改定されるなど基準が厳しくなってきていましたので、脱臭業界は追い風。また、臭気環境分野で初めての国家資格として「臭気判定士」があり、臭気判定士は国が定めた臭気測定法による測定を管理する責任者という役目。この資格を生かして、業務用の脱臭会社にしたらイケる!と決断しました。

代理店として独立する一方で、パートナー企業で1年間修業

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においの出所を探すため、煙を出して風向きを読みながら、センサーで臭気を測定する。コンセントの裏側はにおいのもとがありがちな場所だという

そして、脱臭装置などのメーカー探しをする中で、「カルモア」という品数も豊富で評判が良い企業を見つけました。私がいくら市場調査したとはいえ、脱臭業界に関しては素人。そこで、カルモアの代理店として起業すると同時に、タイアップするからとオフィスを間借りさせてもらって、しかも出向料までもらい、1年間修業させてもらいました。今から考えても、すごく待遇の良い修業でしたね(笑)。その間に、ずいぶん脱臭業界の慣習や常識を勉強させていただき、本当にありがたかったです。

一方で、営業活動もスタート。最初は工場地帯などを回り、悪臭のする工場に飛び込み営業していたのですが、100%門前払い(笑)。そりゃ、そうですよね。「おたく、くさいですよ!」と言われて、悪臭を認めるくらいなら何かしら対策してますもんね。プッシュ型営業は向かないビジネスだと思い、すぐホームページを立ち上げてプル型営業にシフト。インターネットでキーワード広告を出稿し始めたら、効果てきめん! びっくりするほどでした。工場や病院、マンションデベロッパーなどからの引き合いがどんどん増えていきました。

ブランド化と同時に、支社を開設。アジア進出も視野に!

事業を始めて3年目には少し心にも余裕ができて、事業のブランド化も進めるように。メディアからの注目を集めやすいキャッチーな愛称を考え、「におい刑事(デカ)」と命名し、商標登録しました。それでテレビの出演がグッと伸びましたね。ただ、注目を浴びたからには、多くのお客さまのニーズに応えたいですから、この時期、支社の開設も同時に進めました。とはいえ、あまり資金をかけるのはリスクが高いので、既存の事業者とタイアップするスタイルに。名古屋支社は自社運営ですが、大阪と福岡支社は、すでに脱臭を事業にしている中小企業数社に連絡を取り、やる気があって、信頼できる会社と提携し、支社を担ってもらっています(現在、大阪支社も自社運営)。

今後、地球温暖化問題では、炭酸ガス低減にからむ何かしらの対策が必要になってくるでしょうし、この業界の幅は広いと感じています。また、海外でも様々なインフラが発達すると、公害などのにおい問題は必ず出てくるはずですから、中国をはじめとしたアジア進出を視野に入れています。ちなみに、社名の頭に付いている「共生」は、倒産した家業の社名から取ったもの。事業は違っても、家業を継いだという気持ちは忘れたくないですし、名前だけでも残したいと思って。共に支え合って生きる「共生」、そういった社会に貢献し続ける会社であり続けたいと思っています。

取材・文 / 石田恵海 撮影 / 岡本 寛

ちょっと気になる10問10答

  • なぜ独立した?

    実家は、名古屋市内で曽祖父の代から建材会社を経営しており、私は継ぐつもりで建材メーカーに勤めていました。しかし、家業の経営が傾き始め、家を継ぐという未来はちょっときそうにないぞと。そうなると建材メーカーに勤めている意味もないですし、もともと商売人の子どもですから、自分で商売をすることは当たり前のような環境。家業でなくても、何か商売をしたいと独立を決意しました。

  • 開業資金は?

    300万円です。オフィス開設費や人件費、ユニフォーム代で100万円。機材や装置などで100万円。残り100万円が運転資金。最初は有限会社を立ち上げたので、資本金の300万円を開業資金として活用しました。

  • 開業資金はどう集めた?

    家業が倒産して、私は父親の連帯保証人にもなっていましたし、まったくのゼロスタート。なので、知人と身内のふたりから150万円ずつ借りて始めました。起業して1期目が終わった時に、全額ちゃんと完済しましたよ。

  • 周囲の反応は?

    みんな大反対でしたね! 会社の先輩にも、妻にも止められましたし、取引先の方には「だったら、うちに就職したらどうだ!」と言われたほどです。みんな、絶対失敗すると思っていたようです。今では「まさかねぇ」と言われています(笑)。

  • 不安だったことは?

    やっぱり仕事があるのかどうか、ですね。市場調査ではニーズがあると確信したものの、机上の調査ですから、実際のところはどうなんだ?と。起業当時は20代でしたし、もしダメだったとしても、まだ再就職する時間があるしと、飛び込んでいった感じですね。

  • 役立った情報源は?

    ビジネス書はものすごく好きなので、よく読んでいましたね。セミナーにも行きたかったのですが、当時はそんな余裕もなくて。経営の心得や資金繰りに関することは書籍から得ていますね。業界に関することは、におい・かおり環境協会の学会誌や、起業して1年間修業させてもらった脱臭装置メーカーから得ていました。

  • 相談相手は?

    勤務先の上司と両親、妻ですね。取引先に中小企業も多く、現状をよく知っているので、上司からは大反対され、引き止められました。両親や妻とは事業に関することだけでなく、人生設計を含めた様々な相談をしました。

  • 独立して一番困ったことは?

    まだ小規模なので、経営だけでなく人事や労務など様々なことをこなさなくてはいけないことです。コピー機をリースするのも、機種選びからすべて自分で決めなくてはならないし、個人としてリースの保証人にもならないといけないですしね。社長はリスクがあるし、経営にも専念できない。なかなか大変です。

  • 独立して一番良かったことは?

    会社員のままでは、なかなか会えないような人に会えるのは大きいでしょうか。また、いくら小規模だとしても社長は社長ですから、人生のステージが上がった気持ちにはなりました。

  • 独立を志す人へのメッセージ

    せっかくリスクを負って挑戦するわけですから、勝つためには自分が活躍できるフィールドを選ばないといけないと思います。自分が輝けないところに打って出ても、勝ち目は低いですから。それと、みんながやっていることはそれだけ敵が多いわけですから、ニッチなマーケットを狙うことです。ただ、競合がいないということは、ニーズがないからという場合もあります。本当に誰も気づいていないチャンスがある隙間なのかどうか、事前に市場調査をすることがその見極めとして重要ですから、できるだけ慎重に、必ず何かしら行ったほうがいいと思います。

設立
2003年10月

資本
600万円

従業員数
10人

年間売上高
3億円(2010年9月見込み)

アクセス
http://www.201110.gr.jp/


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