勇気と知恵を注入します!独立ビタミンの「増田堂」
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  第15回 カラダを使って目的を遂げる
養老先生は「虫の虫」だった

 不思議不思議。以前、このコラムで「養老孟司さんのお話はわかりやすい」と書いた直後でした。あるシンポジウムへの出演依頼があり引き受けてみると、何とその養老先生もご一緒だというのです。テレパシーが通じたのでしょうか。そんなわけで、5月下旬、新緑の季節を迎えたばかりの北海道へ養老先生と一緒に出かけてきました。

 養老先生はベストセラー『バカの壁』などで知られるように、人間の脳に関する研究者として有名な方ですが、実は昆虫採集マニアとしても我が国屈指の人物です。『私の脳はなぜ虫が好きか?』『三人寄れば虫の知恵』『虫眼とアニ眼』など、昆虫を題材にした著書も数多く出されています。まさに「ウワサにたがわず」で、移動中や食事中、宿舎での休憩中など、要するに仕事時間以外の先生ときたら、虫に関することしか口にしないと言ってもいい状態。「本の虫」という例えがありますが、先生の場合、完璧に「虫の虫」ですね。

 かくいう私も昆虫好きなので、先生が次々と開陳してくれる虫ネタには、終始しびれっぱなしでした。昆虫の関節がどんな構造になっているかなんて話は、もう、衝撃的そのものなのですが、関心のある方はそう多くないでしょうから、ここでは割愛します。万一、「その話を聞きたい」というオーダーが編集部に複数届いたら、書きますね(笑)。


体調不良のはずが、絶好調!?

 さて、大の虫好き先生が、虫談義だけで満足するわけがありません。シンポジウムの翌日、睡眠をたっぷり取った養老先生は、地元の方々との懇親会に深夜まで参加してヘロヘロになっている私を従え、朝っぱらから昆虫採集に出かけました。ようやく葉が茂り始めたばかりの北海道でしたので大漁とはいきませんでしたが、それでも先生はお目当てのゾウムシやら、ちょっと変わったテントウムシやらを捕まえて、まずまずといった様子でした。

 実は養老先生、北海道に行く前から風邪を引いていたそうで、シンポジウムの最中はたびたびせき込むような具合だったのです。地元の方々も「こんな状態で昆虫採集なんかに出かけて大丈夫だろうか」と、ずいぶん心配されていたのですが、それこそ杞憂というものでした。

 虫を追っかけている間はせきひとつ出ないどころか、「先生はいったいおいくつなんですか?」と、突っ込みたくなるほどの運動量を誇っていましたから(笑)。土手を駆け下り、小川を飛び越し、木の枝を手当たり次第ひっぱたく……しかも俊敏。お供しているこっちの息が切れそうなくらいでした。ほどなく先生もそんなご自分に気づかれたようで、「ははは。僕もゲンキンだよねえ」なんて言ってましたけど(笑)。

 ところが私にしてみれば、この一連のシーンは大変ありがたいものだったのです。実に勉強になりました。養老先生が日頃から話されている「脳への入力と出力」の関係を、まさに実地で見せてもらったのですから。


y=axのaが人間の持ち味である

 例の『バカの壁』にもわかりやすく書いてありますが、人間は五感を通じて脳に情報を取り込むと、その情報を脳内で回し、最終的には何らかの筋肉運動として出力していくわけです。この流れを先生は一次方程式を使って教えてくれます。入力をx、出力をyとするとy=axになると。aという係数には個人差があります。そのため、同じxという情報が入力されたとしても、人によって出力、要するにその後に取る行動が異なるという説明です。

 例えば「プ〜〜〜〜〜ン」という羽音が聴覚を通じて脳に入力されると、脳は「あっ、この季節、この場所、この音であるならば、それは蚊だな。刺されないようにせねば」と判断します。そして脳は耳に対してさらに羽音のする方角を追うように指示し、併せて目に対してはその蚊を視認するように指示します。また同時に、腕に対しては、「見つけたらすぐにたたきつぶせるようにしておけ」と指示をしますよね。無意識ですが、腹筋だの足の筋肉だのも、蚊を迎え撃つ体勢を取ります。これが「プ〜〜〜〜ン」という音を聞いた時の一般的な出力状態でしょう。

 ところが係数が特別に大きな数値だと、人は上記のような行動を取るとは限らないわけです。「何よりも蚊が嫌いだ」なんて人なら、その部屋から脱出するとか、大量の殺虫剤を散布するとかの行動を取るでしょう。また反対に、あえて蚊に反撃せず、刺されっぱなしにしておくことだってあるのです。本当ですよ。

 私が若い頃に測量助手のアルバイトをしていた時の話です。測量士に命じられた地点でレベルという板を持ってじっとしているだけの仕事なのですが、これが大変でして。ある竹やぶでその板を持って立っていたら、シマ蚊がわんさか顔のまわりに集まってきたのです。当然、払いのけようとしました。ところが測量士さんは「おーい、増田君。動いちゃダメだよ〜〜」と叫ぶのです。

 そ、そんな……。とは思いましたが、耳から入った雇い主の命令という情報を私の脳の中で回した結果、「これは従ったほうがいい。もし逆らって印象を悪くし、クビにでもなったら、もうこんな時給のいいアルバイトには当分就けないはずだ。生活費がギリギリなんだから、とにかく我慢するべきだ。むしろ、こんなにひどい目にあったのに頑張ったということで、時給がアップするかもしれない。よしっ、頑張れ、オレ!」となり、蚊を追い払おうとしていた手に対し、脳は「すぐに元に戻せ。その後は動かすな」という命令を伝えたわけです。

 つまりその時の私は蚊に対しての係数をあえてゼロにしたわけです。というより、雇用主の命令に対する係数を悲しいまでに巨大化させたと言ったほうがいいかもしれません。

 あっ、なんだか話題がそれてきたようです。元に戻します。要するに昆虫採集をしている時の養老先生の運動量のすごさは、「何よりも昆虫採集が好きだ」という係数aのなせるわざだということです。この現象を一般的に言えば、「好きなことのためなら、いくらでもカラダが動く」ということになります。養老先生の後ろ姿を追いながら、「人間、こうでなくっちゃ」とつくづく思ったのでした。


「エネルギー万歳」で本当にいいのか……

 しかし今の世の中、必要性の高さやら興味関心の高さやらが、必ずしも運動量の多さとなって表れないような気がします。珍しい昆虫が好きでそれを見たいなあと思うとします。図鑑を広げればいいのです。土手を下りたり、小川を飛び越えたり、木の枝をゆすぶったりしなくて済みます。いや、重たい図鑑を本棚から出してきて、ページをめくるのなら、まだ多少の運動は必要です。が、今どきは虫の名前を検索エンジンに入力して画像を探すだけでことは済みます。便利といえば便利ですが、本当にこれでいいのでしょうか。

 せっかく好きなことをしているのに、カラダを動かす必要がない。そんな状態を長く続けていれば、やがて脳は筋肉の動かし方を忘れてしまうでしょう。現に私は足の指を自由自在に動かすことができません。そんなの私だけではないと思いますが。「まあ、足の指くらい」と思っていると、そのうちあっちこっちも退化していくのではないでしょうか。

 石油だの原子力だのバイオだののエネルギーがたっぷりあって、それらが電気を安定的に生み出し続け、電気に頼る「便利なものたち」が正常に稼動している。この状態が保証されていれば、私たちは筋肉運動をかなり放棄しても生きていけます。

 だからエネルギーが大切だという話ではありません。エネルギーのせいで人間の脳への入力と脳からの出力のバランスが悪くなったのだと言いたいのです。

 むろん今さら電気のない生活を選択することはできません。が、「ないつもりで」くらいのことなら日々できると思います。パソコンで文字を打たずペンで紙に書く。内線電話を使わず相手のところまで歩いていって用事を伝える。エレベーターの代わりに階段を使う。エアコンの代わりに団扇(うちわ)や扇子を使う。カラオケに行ってもマイクを使わずナマで歌う。洗濯物は風呂場でゴシゴシ洗う。書き出したらこんなこと、いくらでも出てきますよね。

 あるいは日常の中ではどうしても運動量を増やせないというのなら、養老先生のように「カラダを使わないと目的が遂げられない趣味」を持つといいかもしれません。


出力方法の豊富な選択肢が起業家の財産

 起業・独立するということは、人生のありようを選ぶことです。単に仕事の中身が変わるとか、勤務地や勤務時間が変わるとか、職場の人間関係が変わるとかだけの話ではありません。どういう人生を過ごしたいのかを考え、そこに向かって舵(かじ)を切っていくための転換点にほかならないのです。

 多少、速度を落としても電気の代わりに筋肉を使って物事を処理する。多少、生産量を落としても趣味の時間を確保してカラダを使いまくる。つまり入力と出力のバランスのいい脳の使い方をして生きていく。こういう選択だってできるのです。

 言うまでもないことですが、起業家はありとあらゆる事柄を自らで判断しなければなりません。そこを間違えると命取りです。ネットで調べるより実際に見に行ったほうが100倍理解できることもあります。メールを送るより相手のところへ走っていって口で説明したほうがいいこともあります。電話で怒るより胸ぐらをつかんでやったほうがいい相手もいます。

 要するに、出力方法の選択肢の多さが適切な判断のもとになるのです。だから、日頃からできる限りカラダを使って、自分のカラダがどのくらいの解決能力や処理能力を保持しているかを認識しておくことが大切です。脳内活動と電気だけで幸せになれるほど、人間は単純ではありません。
Profile
増田氏写真
増田紀彦
株式会社タンク代表取締役
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌および別冊「独立事典」編集デスクとして起業・独立支援に奔走。また、経済産業省後援プロジェクト・ドリームゲートでは、「ビジネスアイデア&プラン」ナビゲーターとして活躍。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会う。現在、厚生労働省・女性起業家支援検討委員、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会・女性起業家支援セミナー検討委員などを務める。また06年4月からは、USEN「ビジネス・ステーション」のパーソナリティーとしても活動中。著書に『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)、『小さくても強いビジネス、教えます!起業・独立の強化書』(朝日新聞社)。ほか共著も多数。



   

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