勇気と知恵を注入します!独立ビタミンの「増田堂」
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  第16回 「禍福」考――夏休みの思い出
夏がくれば思い出す……

 唱歌では、「夏がくれば思い出す」のは尾瀬沼の光景です。作詞者がこの記憶を得たのは何歳の頃だったのでしょうね。恐らくは子供時代でしょう。人によって夏の思い出は様々だと思います。また、決してひとつやふたつのエピソードではないかもしれません。ただ不思議なことに、夏を感じた時に頭に浮かぶのは、やはり子供の頃のことばかり。皆さんもそうではありませんか? 今回は私が小学生だった頃の、とある夏の一日をご紹介します。

 その当時の私は夏休みになると決まって午前4 時半に目が覚めていました。起床するやいなや朝食は後回しにして虫捕りに出掛けていました。朝日が昇りきってしまう前まで(夜間から早朝)がカブトムシやクワガタの活動時間帯だからです。※毎回虫の話題ばかりですみません。


1時間の寝坊が運命を変えた

 ところがある日、珍しく1 時間ほど寝坊をしてしまいました。慌てて雑木林へ出掛けようとする私を母がつかまえて「たまには弟も連れていきなさい」と言うのです。1 時間遅れたことで幼い弟の起床時間に間に合ってしまったんですね。この展開には閉口しました。ただでさえ出遅れているのに、まだ目が覚めきらない弟は着替えるのにもやたらと時間がかかる始末。おまけにようやく出発したものの弟を自転車の荷台に乗せたので、走行速度も普段よりダウン。私がもっぱら「猟場」としている林に着いた時は、完全に空が明けてしまいました。

 こうなるとカブトムシやクワガタは休憩のため、木の根本に穴を掘ってもぐり込んでしまいます。エサになる木の樹液を求めて幹に張り付いていてくれれば比較的簡単に捕獲できるのですが、いったん隠れられると探すのは手間。とはいえ何もせずに帰りたくはありません。仕方なく兄弟で手分けしてあちこちの木の根本の土を掘り始めました。

 目ぼしい木に当たりをつけ、根本の土を真っすぐ下に向かって10cm、20cmと掘っていきます。しかし何カ所掘っても、一匹も捕まりません。だいたいこんなに深く掘っても見つからないということは、いないんです。もうすでに誰かが捕獲した後かもしれません。

 が、半ばキレている私は、弟に「見つけるまで掘れ」と命令をくだしました。「こいつのせいでボウズ(一匹も捕獲できないこと)になりかかっている。バチを与えてやるんだ」くらいの気分だったのかもしれません。ひどい兄貴です。しかし兄が兄なら弟も弟。言われるままに掘削作業を進めた弟は、とうとうクヌギの木の根がむき出しになるほど深く掘ってしまったのです。地表から50cm以上掘り下げていたと思います。

 不思議なもので、本来は苦役ともいうべき弟のやっている「土木作業」が、なぜか急に面白そうに見えてきたんですね。自然物に働きかけて、その結果、自然物を思い描いたような形に変えていく。そういうことが無条件にうれしい男子は少なくありませんから。そこで急きょ私も加わり、とうとう2 人がかりで深さ1m前後の穴を木の周囲に掘ってしまいました(笑)。へたすれば木が倒れるかもしれないのに……。いや、倒れたら倒れたですごいことくらいに思っていたような気がします。僕たち兄弟は何かに取りつかれたように、それでもまだ穴を掘り続けました。


歴史を塗り替える世紀の大発見!?

 カツン。やがてスコップの先端に何か硬い物が当たりました。石だろうと思って取り出すと、何とこれが縄文土器の破片だったのです! 正確にいうと、縄文早期前半の撚糸文系土器群に属するタイプの土器片です。

 「これはすごい。大発見をした少年ってことで新聞に載るかも」。興奮した私と、なぜ私が興奮しているのかまるで理解していない弟は、さらに力を合わせて発掘に取り組みました(探索から掘削に変わり、今や発掘)。出るわ出るわ、同じ模様の土器片が。復元すれば壺ひとつ分くらいになるのでしょうか。当初の目的が昆虫採集だったことなど、当然、忘却の彼方です。

 何時間その林にいたことやら。帰路に就こうと思ったのは昼近くだったかもしれません。まさに「我に返る」という感じでした。朝飯の時間にも戻らず遊び歩いていた理由を母に何と言えばいいのか、それを考えると泣きだしたい気分でした。私は自らを叱咤激励しました。大丈夫だ。こんな大発見をしたのだから怒られるどころか褒められるはずだ。堂々と帰ればいいと。意を決した私は、弟に土器片を持たせ家へと自転車を走らせました。その途中でした。同級生たちがベーゴマで遊んでいるところに遭遇したのです。


その少年の特技はベーゴマと押し売りだった(笑)

 やりてー! 仲間に入りてー!! でも、自分のコマを持っていない……。本当の問題は「コマがないから参加できない」ではなく、「早く家に帰らないといけないから参加できない」なのに……。課題の設定を間違えた私の欲望はもはや止まるところを知りません。

 そうだ! 私はベーゴマ遊びに参加するいい方法を思い付いたのです。「ねえ山下クン。僕の土器全部とベーゴマ2 つを代えてよ」。子供の世界には子供の世界なりの絶対的な力関係が存在します。山下<増田。強制商談はアッという間に成立しました。すでに私は「考古学上の世紀の大発見」などという幻想から解き放たれていたのです(笑) 。実際、縄文早期前半の撚糸文系土器は大量に出土していて大発見でも何でもありませんでした。

 それこそ世紀の大勝利を収めるのに1 時間も要しなかったでしょう。そこにいた子供たち全員のベーゴマをひとつ残らず巻き上げました。合計30個以上を獲得したと思います。ガハハハハ。うまい具合に持っていた虫かごに戦利品(ベーゴマ)をぎゅうぎゅう詰めにして弟に手渡し、私は二人乗り自転車を再びスタートさせました。


大失敗に気づき、茫然自失

 あ! しまった〜。家まであとわずかという地点で、私は自分の犯した大きなミスに気付きました。帰宅が遅くなった「偉大なる理由」を母親に説明するための証拠品=土器を同級生に渡してしまっていたのです。どうしよう……。

 正直に土器をベーゴマに交換したと言えば、「あら、あなたは本当に商才のある子ね」と褒めてもらえる……わけがありません。「あんた、また無理やりそんなことしたんでしょ。お父さんに言いつけます」と言われるに決まっています。失意のどん底にたたき込まれた私は、さすがにペダルをこぐ足を止めてしまいました。

 泣きたいような気持ちで荷台の弟を振り返りました。弟も半泣きのような顔をしていました。兄弟っていいですね。苦悩を分かち合えるだけでも救われる気がするものです。って、あれ〜? まだ私は弟に何も言っていません。どうしたんだ、こいつ? あらためて顔を見ようとすると、弟はすっと視線を外しました。どうも様子が変です。


悪い事は重なるもの

 とんでもない悲劇が起こっていました。弟の肩からブラ下げられた虫かごの中が、空っぽになっていたのです。間違いなくいっぱいに詰め込んだはずのベーゴマが、ひとつ残らず消えているではありませんか!

 事情はこうです。鋳物でできた重たいベーゴマで虫かごを満杯にしたせいで、かごの網が破れてしまい、どうもそこから全部落ちてしまったようなのです。当時の道路はアスファルト舗装などされていなかったので、金属製のコマが落ちても、大した音もしなかったのだと思います。弟はそんな事故が発生していることに気づかなかったのでしょうね。ベーゴマを、というか、虫かごを弟に託した私が愚かでした。いや、もう事件がここまでこんがらがってくると、何がどう愚かなのかもわかりません。来た道を引き返してベーゴマを拾い集めればいいのか。しかしそれらを持って帰ったところで母の難詰から逃れられるわけでもなし……。

 いっそこのまま家出しようかとさえ思ったほどです。が、子供特有の帰巣本能というか、平たく言えば空腹には勝てないというか、結局のところ、これといった言い訳も思い付かないまま、私は家に戻りました。

 鬼。恐らくそういう表現がピッタリの形相で私の前に立ちはだかる母を想像しながら、私はしおらしく勝手口から家の中へと入り込みました。まさか、その直後に大逆転劇が待っているなどとは夢にも思わずに。


「子が子なら親も親」の一発大逆転!

 「紀彦。ごめんねえ。お母さんうっかりしちゃって……」。な、何だ? 何だかは全然わからないけど、どうも想像していた展開とは正反対の雰囲気。

 「本当にごめんね。今日ね、登校日だったのよ」。

 ウッソー! 何て親子なんでしょう。母だけでなく私も弟も登校日のことなどまるで頭にありませんでした。そんな母の息子たちですから(笑)。当代随一のバカ親子としか言いようがありません。どおりで、ベーゴマの対戦相手の同級生たちが、私の顔を怪訝そうに見ていたわけです。(注・怪訝そうに見ているだけ、というところに力関係が表れている)

 「今日のことはお父さんには内緒よ」と母が言いました。これはうれしかった。のぼせ上がるような気分でした。生まれて初めて母と秘密を共有したのですから。

 結局、カブトムシも土器もベーゴマも何ひとつ手にすることができませんでしたが、この日が夏休み最良の日になったことは言うまでもありません。


想定外も人生の大切なひとこま

 さて、このおバカな親子の話、いったいどんな教訓を含んでいるのでしょう? 蛙の子は蛙。この親にしてこの子ありといったところでしょうか。全くそのとおりです。

 ほかに言えることがあるとすれば、禍福はあざなえる縄のごとし、ということでしょう。良いこともあれば悪いこともあるし、悪いこともあれば良いこともある。それらは交互に現れる。また、良いことは悪いことが原因で生まれるし、悪いことは良いことが原因で生まれる。当たり前の話ですけどね。ただ大人になると、その当たり前を忘れてしまう人もいるものです。大人は努力によってある程度の禍福をコントロールできますから。

 かくいう私も今では目標を持ち、計画も立て、準備もして日々をそれなりにコントロールして過ごしているつもりです。でも人生を振り返ってみると、ずいぶんと想定外のことも起きたし、そのことによって進路も確実に変わってきたのも事実です。要するに、結果的には計画どおりになど全然いっていないということです。

 人生を概観すると、何となくあの夏の一日と似ているような気がします。あの日、たまたま1 時間寝坊し、たまたま弟が土を深く掘りすぎ、たまたま土器を見つけ、たまたま同級生と出会い、たまたまベーゴマ勝負に勝ち、たまたまそれらを全部落としてしまい、たまたま母のミスでいっさいが不問に付され、結果、母の秘密を握って幸せいっぱいな気分になれた……。

 人生を成功させようと思えば、ひとつには自らが人生を切り開く努力を怠らないこと。そしてもうひとつには、たまたま起こるあれやこれやにあまり逆らわず、むしろそれを受け入れたうえでまた新たな努力を開始すること。この両方が必要なのではないでしょうか。


Profile
増田氏写真
増田紀彦
株式会社タンク代表取締役
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌および別冊「独立事典」編集デスクとして起業・独立支援に奔走。また、経済産業省後援プロジェクト・ドリームゲートでは、「ビジネスアイデア&プラン」ナビゲーターとして活躍。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会う。現在、厚生労働省・女性起業家支援検討委員、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会・女性起業家支援セミナー検討委員などを務める。また06年4月からは、USEN「ビジネス・ステーション」のパーソナリティーとしても活動中。著書に『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)、『小さくても強いビジネス、教えます!起業・独立の強化書』(朝日新聞社)。ほか共著も多数。



   

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