勇気と知恵を注入します!独立ビタミンの「増田堂」
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 第1回 トヨタから学べること、学びたくなること(前編)
名古屋の書店にはビジネス書コーナーがない!?

 縁が縁を呼ぶというのか、最近、名古屋での仕事が急激に増えています。以前は新幹線の駅を降り立っても、東西南北の区別すらつかなかったのですが、今ではおおよその地理も掴めています。先日も空き時間があったので、さっそく「土地勘」を生かして本屋さん巡りをしてみました。いやあ、驚きました。

 仕事柄、どうしても真先にビジネス書コーナーへ向かうのですが、栄地区の大手書店さんに入って、唖然。ビジネス書コーナーがないんです! いや、本当はあるんですが、見つけられなかったんです。何故かというと、一般ビジネス書コーナーの前に、「トヨタ書コーナー」が立ちはだかっているからです。

 それは圧巻でした。ちょうど新刊が出たタイミングだったのかもしれませんが、棚の端から端まで、トヨタ一色。極論すれば、名古屋(愛知)では、ビジネス=トヨタ、学ぶべきもの=トヨタ、なのかと。あらためて、今、自分が立っている場所は、世界に冠たるトヨタのお膝元なのだと痛感した瞬間でした。


「知っている」と「学ぶ」の違いは大きい!

 ジャスト・イン・タイム、「かんばん」方式、自働化。可働率(べきどうりつ)、見える化……。トヨタの生産方式のすごさを語るこれらのキーワードは以前から頭に入っていましたが、やはり、名古屋書店ショックというのか、私はもう一度、トヨタのすごさを勉強したいと思い始めました。それに、名古屋に行く機会が増えるにつれ、知り合いの中にトヨタ関係者が増えてくるんですよね。「トヨタのことはよく知らない」じゃあ済まない気もしてきて(笑)。

 やはり勉強はすべきですね。漠然と頭にある知識と、「いっちょう学んだるか」と、覚悟して吸収した知識とでは、その後に見えてくるものが違います。

 トヨタ経営には、これから独立を目指す人や、独立してまだ間もない人にも大いに取り入れられることがしっかり詰まっていました。その中から2点を取り上げてみます。ひとつ目は「そもそも」の話です。


「ガチャコン」から「ブロ〜〜〜」への華麗なる転身

 トヨタの源流が、豊田自動織機にあることは大半の方がご存じでしょう。最近の事情はわかりませんが、私の小学校時代には、豊田佐吉の発明物語は、ちゃんと授業の中に組み込まれていました。「通学路沿いにある工場の中で、ガチャコンガチャコン音を立てているアレのことか」と、思ったものです。書いていて、かなり古いなあと苦笑しました。かれこれ40年ほど前の話ですからねえ。とはいえ1960年代には、まだ織物工場は市中で稼動していたわけです。

 しかし、自動織機の豊田が自動車を世に送り出したのは、それよりももっと前、1935年のことです。つまり、自動織機の需要がなくなってから自動車に転じたわけではない、ということです。ここが大事なポイントです。厳密には、社内に自動車研究室を設けたのは、豊田自動織機製作所がフル稼動しているさなかの1930年でした。もちろん私は生まれていません(笑)。

 強いて言えば、「自動つながり」。「自動」織機から「自動」車へ。人力に頼ることなく稼動する機構を開発するという意味では、その思想は共通しています。詳細はわかりませんが、自動車開発のために、織機開発技術が何かと応用されたことでしょう。これ、学べますよね。この発想、真似できますよね。


「今の力」が生かせる「次の舞台」を探しておこう

 今の今、あなたが取り組んでいるビジネス、あるいはこれから始めようとしているビジネスを仮にA としましょう。AはBという経営資源(ビジネスモデルや技術や設備など)を活用して、Cというマーケットで展開します。しかしBは、果してCでしか活用できないのでしょうか。Bを少し改良すれば、Dというマーケットにも適応するかもしれません。もしかすると、DはCよりも何倍も大きくて、しかも何倍もBが生かせるマーケットの可能性すらあります。そこで思い切ってAというビジネスに取り組みながら、Bの改良とDの研究を進め、しかるべき時にEというビジネスを開始すればいいのです。

 あえて抽象的に書きました。ぜひ、上記のAからEに、あなたならではの言葉を入れてみてください。機を織る機械とクルマ。一見、まるで無関係のように思えますが、言うまでもなく、自動織機はA、自動車がEです。もし、豊田父子(佐吉と喜一郎)が自動織機の生産だけに満足していたら、今日のトヨタはあり得なかったのです。

 社会は変化します。どんなに人気を博した製品やサービスも、やがては凋落します。どんなに隆盛を極めたマーケットも、やがては衰退します。でも、大丈夫。その製品やサービスは売れなくても、そのマーケットは小さくなったとしても、その製品やサービスを「提供する力」が失われるわけではないのです。その力を新たな分野に応用・展開していけばいいのです。そして、その力を必要とする新たなマーケットを日頃から探しておけばいいのです。

 豊田佐吉の長男・喜一郎は何と1921年(大正10年!)に欧米視察を敢行しています。この時に自動車に出合っているのです。自らの力を認識し、それを求める次の相手に見当を付けておくこと。これが大事です。そしてこれは、誰でもができることなのです。
Profile
増田氏写真
増田紀彦
株式会社タンク代表取締役
1959年生まれ。87年、株式会社タンク設立。97年、「アントレ」創刊に参加。以降、同誌および別冊「独立事典」編集デスクとして起業・独立支援に奔走。また、経済産業省後援プロジェクト・ドリームゲートでは、「ビジネスアイデア&プラン」ナビゲーターとして活躍。講演やセミナーを通じて年間1000人以上の経営者や起業家と出会う。現在、厚生労働省・女性起業家支援検討委員、中小企業大学校講師、(財)女性労働協会・女性起業家支援セミナー検討委員などを務める。また06年4月からは、USEN「ビジネス・ステーション」のパーソナリティーとしても活動中。著書に『正しく儲ける「起業術」』(アスコム)、『小さくても強いビジネス、教えます!起業・独立の強化書』(朝日新聞社)。ほか共著も多数。



   

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