先輩たちの独立事例集

先輩たちの独立事例集


島崎 ふみひこさんの写真

ネットでBtoBを結ぶ
電子部品の調達代行業

株式会社フィギュアネット/横浜市神奈川区
島崎 ふみひこさん(49歳)

しまざき・ふみひこ/神奈川県出身。日立製作所に16年2カ月勤務。 在職中に電子部品の調達販売の代行ビジネスを思いつき、1年間 の準備期間を経て独立。趣味は音楽で、合唱団ではバスを担当し、アルトサックス教室にも通う。5年後の路上ライブが夢。

独立準備のがんばりどころ

電子機器メーカーと購入希望者の双方にメリットあるネットサービスを考案

トロフィーと鐘

第3回「かながわ”キラリ”チャレンジャー大賞」の 盾(右)と、「シダックス志太起業塾」の志太勤氏か ら贈られた言葉と記念の鐘がオフィスに飾られている

ある試作品を製造する際、電子部品が入手できずに困っていました。自分の業務とは無関係でしたが、とりまとめの立場から、部品探しを手伝おうとネットで調べてみたら、仲介業者が見つかったのです。「こんなサービスがあるんだ」と驚きましたが、すぐ電話してみると、対応したおやじが驚くほど横柄(笑)。日立と言えば通常はていねいに対応してくれるのに、社名を名乗ってもひどい態度で、なんて接客をしているのだろうと呆れました。後日、部品が届いたのですが、かなり高価。その時、あんな横柄な態度でもビジネスが成り立つなら、ごくごく普通に、社会人として当たり前の接客をしたら商売は成り立つかもしれない、と思ったのが最初のきっかけでした。

以前から、余剰部品はどのメーカー企業も悩みどころで、企業資産でありながら所有していればそれだけ税金もかかるため、使えるにもかかわらず節税のため償却処分さえしてします。常々「もったいない」と思っていましたが、流通販売するルートがないんです。その部品を必要とする企業があるのかもしれないのに、です。ネットで販売することも可能ですが、手間もかかり、いろいろなリスクも発生するため、面倒でそんなことはしたくない。また、逆にネットから購入する立場になると、確かに便利だけれど、部品の信憑性や相手の信頼度も見極めにくい。そんなリスクまで負って購入したくないというのが企業の心理です。それじゃ、便利なネットを使いながら、BtoBの双方のリスクや手間を減らす役割が担えれば、喜ばれるのではないか。そう思い、この事業で独立することを決めたのです。

マーケットを見定めて、確信を持てるようになってから退社して本格始動

女性社員と作業中

商談が成立した電子部品はすべて同社に搬入され、 フロアの一画に設けたコーナーで専門スタッフが ていねいに検査。データベース化した後に出荷される

とはいえ、いきなり退社して独立するのは自分にとってのリスクが大きいので、まずは本当にマーケットがあるのか調べることにしました。退社する1年前のことでした。パソコン店の店員にデータベース作成のお勧めソフトを聞いて、それを購入してまずは勉強。Webサイトも自作し、「電子部品のお助け隊(R) フィギュアネット」を立ち上げました。ネット上の掲示板などで告知をする以外、特に宣伝しませんでしたが、数カ月後にはマーケットニーズを感じられるようになりました。ちょうど勤め先では早期退職制度の対象年齢が40歳まで下がってきたので、本腰を入れようと退職を決意。退職後、さっそく1000通のDMを各社に発送し、さらに電話やメールで営業をかけたのです。

事業内容は、入手が困難な電子部品の「調達代行」と、余剰在庫となっているような電子部品を世界中の市場で販売する「販売代行」です。技術的な進歩が早い現在、部品の製造サイクルも短く、欲しい時にはもうない、なんてことも多いのです。部品は世界中に張り巡らせた独自ルートで探します。余剰在庫でお困りの企業から在庫リストをお預かりし、世界中の市場で展開します。電子部品の売買では、当社が間に入って受けるので、お客さまと在庫元がじかにコンタクトを取ることは最後までありません。商談が成立すれば、当社を通じて決済および契約し、部品は当社で品質確認をしてから購入企業へ配送します。この仕組みにより、在庫元は、社名を明かすことなく販売でき、余剰部品もさばける。購入希望企業も、購買リスクなしに調達ができる。ネットを活用しながら、双方のリスクが回避できるわけです。

公的機関のビジネスオーディションも、広報周知の一環として積極的に活用

リスクヘッジを提供するのですから、設立当初は当社の信用をどう構築するかに注力しました。どこの馬の骨ともわからない会社を信用してもらう必要があったのです。公的機関に評価されれば、少しは信用してもらえるかと思い、いろいろなビジネスオーディションに積極的に応募しました。長年、企業対応のSEでしたから、お客さまの立場になって誠心誠意対応すること、そのために創意工夫する姿勢がしみついています。話題が少しそれますが、退職前、16年勤めた会社に決意表明するため、会長に面談を申し込みました。大企業のトップですから、退職予定の一社員がそうそう会ってはいただけないことは承知のうえ。そこで、会長の生年月日から小学校入学、卒業、成人、入社後と、人生の節目ごとのニュースを調べ上げ、それを分厚い冊子にして、面会の申し込みに添えたのです。そのためでしょうか(笑)、面談でき、会長には「巨艦、日立を引っ張るタグボートになります!」と宣言してきました。ほかにも在職中、いかにお客さまに早く名前と顔を覚えていただけるかを考え、打ち合わせにはサスペンダーをして行ったり、「大吉」の印鑑を買ってきて名刺に一枚づつ心を込めて押してお渡しするような工夫も。大吉は今でもやっています(笑)。同じ発想で、事業を本格始動して以来、小さな創意工夫を繰り返しています。

いろいろな賞を受賞しましたが、それらを宣伝材料と励みにして、地道にていねいな対応を心がけた結果、現在、会員顧客数は1万7000社、発行しているウィークリーニュースの購読者は8600人、お見積もり依頼は1日に150から200通届いています。ポリシーはとてもベタではあるのですが、「相手が喜ぶことを考え、信頼に誠実に応える」ことに尽きます。起業したからというわけではなく、会社員時代から常にそんな姿勢で仕事をしてきましたし、これからもその気持ちは変わりません。事業の規模を拡大するというよりも、社員の幸せと、より多くのお客さまから信頼される堅固な企業にしていきたいと考えています。

取材・文 / 岡部恵 撮影 / 岡本寛

ちょっと気になる10問10答

  • なぜ独立した?

    日立製作所入社時に将来の目標を聞かれて、「社長になります!」と答えるような性格で(笑)、もともと独立志向があったのでしょうね。当時は漠然と思っていただけですが、10数年も勤めていると、先が見えてくるじゃないですか。いずれは系列会社へ異動になるのが普通ですが、僕は「人に決められる人生はイヤだな」と思ったのです。社内でも異質だったと思うのですが、いろんな提案をする社員で、でも提案が採用されるのは希。雇われの身では、いいことでも実行させてもらえない。それなら、たとえ失敗しても自分でやってみようと独立を決意しました。最初は独立準備のつもりでテストマーケティングを行い、1年後に退職して本格始動したのです。

  • 開業資金は?

    30万円です。データベース作成と会計ソフトの購入費に20万円、残りは会社登記費用とロゴの制作費です。自宅の一室で事業を始めたので、さほどかかりませんでした。現在の場所にオフィスを構えたのは起業して5年後。自宅でやっていた時は、6畳の部屋に4人分のデスクを置いていたのですが、書類でも何でも全部座ったまま手渡しできて便利でしたよ(笑)。法人設立時の資本金は300万円用意しました。

  • 開業資金はどう集めた?

    すべて自分の貯蓄を充てました。

  • 周囲の反応は?

    家族は僕の性格を知っているせいか、驚きもせず手伝ってくれました。親には事後報告でしたが、案の定、反対されました。社内では早期退職者を募っていた時期でしたし、大企業ですから僕ひとり辞めても大した損失にはならなかったと思います。でも、上司はとても心配してくれて、今でも連絡を取り合っています。

  • 不安だったことは?

    不安はまったくありませんでした(笑)。ニーズも市場もあると確信していましたし、勤めながら起業してみて数カ月後には多少の手応えを感じることがきたので。これなら会社を辞めてちゃんと本腰を入れて打ち込めば、もっとうまくいくと思えました。万が一ダメでもバイトしてでも家族は食べさせる!と思っていました。

  • 役立った情報源は?

    会社員の時にいくつかの異業種交流会にも参加しましたが、どちらからというと反面教師的なところで役立ったと感じます(笑)。事業プランに関しては、インターネットで収集した情報と、交友関係から入手した情報が役立ちました。僕はあまり人間関係の垣根をつくらない性格で、勤めていた時から、職種や部署、組織に関係なく、いいと思えばアクションを起こしてきました。たとえば他社の社内報を読んで感動すれば、手紙を書く。著名人の書物でも同様です。感動したから感謝の気持ちを伝えるわけです。別にリアクションを求めているわけではなく、そういう自然発生的なご縁で生まれた交流が起業後も役立っています。

  • 相談相手は?

    退職前、知り合いの経営者に「起業するってどうなんでしょう」と聞いたことはありました。その時に言われたことは、「起業して生き残る企業は全体の3%だ。その状況を理解しているか」と。さらに、「これまで後輩に使われたことがないだろう」でした。前者に対しては、理解していました。後者の意味は、「万が一ダメだったら、元の職場には戻れないだろうが、小会社や孫会社でなら再就職の可能性がある。その時に、かつての後輩の下で働く覚悟があるか」ということです。家族を養うために、「いざとなったらその覚悟はある!」と自覚できたので、その方に相談して良かったと思っています。

  • 独立して一番困ったことは?

    独立して6年目だったか、全社員3人がそろって退社したことです。僕が翌日から海外出張という前日に、数枚の紙を渡されて、「この要求が通らなければ、3人とも辞めさせていただきます」と。不満のもとは、僕とのコミュニケーション不足でした。出張をキャンセルして話し合ったのですが、結局3人とも退社。自分の方針や業務の綿密さを理解してくれていると勝手に思い込んでいましたが、意思疎通ができていなかったんだと反省しました。自分にとってはいい勉強になったと、今となってはあの3人に感謝しています。

  • 独立して一番良かったことは?

    同年代の会社員に比べて、老けて見えないことでしょうか(笑)。経営者は「常に何かをしなくては」と前向きに考えているせいか、人生を楽しく感じられる。つまり老けているヒマがない。それって幸せなことだと思いますよ。それと、サックス教室に通い始めて気づいたのですが、経営者って人に怒られたり、恥ずかしい思いをする機会があまりないんですよ。どんなに練習していっても吹けなくて先生から怒られる、ほかの生徒に笑われる。そういう経験が楽しいと感じられるのも、独立して得られたことかと思います。

  • 独立を志す人へのメッセージ

    事業の目処も立っていない段階で、会社を辞め、全財産を投じて事業を開始するケースもあるでしょうが、それではリスクが大きすぎると思います。僕のように、小さく始めて、準備期間を経た後、足元が固まったタイミングで本格始動するのも独立のひとつの方法だと思うんです。生活のためには食べていかなければならないですから、事業がうまくいかないことも想定して、一年間は家族を食べさせるだけの備えをしておくことも大事。そして最悪ダメだった時に、これまでのプライドを捨てて、昔の部下に使われるというような屈辱に耐えられるか、その覚悟を見極めてから、独立すべきだと僕は思います。

設立
2001年4月(2002年4月に前職を退社。2007年4月に株式会社に改組)

資本金
1000万円(設立時300万円)

従業員数
8人

年間売上高
1億7000万円(2010年6月実績)

アクセス
http://www.figurenet.com/


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