しまむら・たくみ/高知県出身。大学卒業後、富士重工業に入社し、「LEGACY」、はとバスの新型観光バス「パノラマビューはとまるくん」、携帯メール端末機「ポケットボード」などのデザインを手がける。ボランティアで高知県の第3セクター「エコアス馬路村」に協力し、4年後に独立。趣味は素材発見、工場見学、料理。
左から、和紙の代わりに透明フィルムを用いた竹の和傘、インテリアにもなるジョーロ、「monacca」、防水の紙製バッグ。どれも素材を生かした独自の世界観が魅力
会社員の時から、すでに個人でSOHOオフィスを借りていました。副業のためじゃないですよ(笑)。休日も就業規則を気にせずに仕事をしたくて。主に業務の打ち合わせをしたり、個人的に参加するデザインコンペや展示会の準備のため。それと、素材を探しに今でも月に2回は全国各地に出向くのですが、これも会社員の頃から続けています。友人からは“イージーゴーング”と呼ばれますが(笑)、まず現地に行く、人に会う、やってみる!という性格。そんなフットワークの軽さと素材探究心が友人に見込まれ、2002年に高知県の文化を紹介する本の取材協力を求められたのです。
調べたら、高知の馬路村(うまじむら)では、杉の間伐材を成形加工した低価格のトレーやお皿を製造販売していました。この素材でバッグやインテリアをつくってみたいと思い始めたんですね。さっそく村を訪れて提案したら、若い営業の方に反応がよかったけど、すんなり受け入れてはもらえなかった。実はすでにほかのデザイナーと組んで照明器具の開発を始めているとのこと。ところがなかなか製品ができずに困っていて、「また別のがやって来た」と警戒されたわけです。それでも隔月に、自費で何度も村に通いました。数カ月後に村の会議に参加させてもらえた時には、村として事業を中止しようか検討している段階。ラストチャンスと思って2003年の秋の展示会に出してみましょうと商品ブランドを提案したんです。村長も前向きになって、展示会参加費用の出資を決めてくれました。
独立を機にSOHOのシェアリングオフィスに入居。打ち合わせできるパブリックスペースは広々。個室は2畳ほどだが国内外を飛び回って留守がちなので十分
大急ぎで試作品に取りかかりました。村の予算が少ないこともわかっていたので、再利用できる既存の型や、木を縫うことができる工場を僕があちこち探して。試作品づくりの費用100万円程度はもちろん自腹です。ボランティアでなぜここまで夢中になったかというと、僕は変わっているのか、お金儲けよりも自分がやりたいことを見つけた喜びのほうが大きかったから。今までにないもので、ムーブメントが起きるかもと感じたし、それが地域にお金を生むことにつながれば最高じゃないですか。
そして秋にデザイナーズブロックという東京の展示会で、間伐材でつくったバッグ「monacca 」をショップの一角に置いてもらったんです。その評判が良かったものですから、村も乗り気で量産化してテスト販売しようと。ところが、1、2個なら縫えたけど、100個となると縫えるミシンがない。また縫製工場を一から探して、結局は専用のミシンまでつくることに(笑)。ようやく完成したのは2004年の夏。すぐにそれを秋の展示会に出品。そこで気に入ってくれたスイスの団体が、チューリッヒの展示会に招待してくれることになったんですよ。もう会社の休日だけでこの活動は無理だと思って退職を決意。チューリッヒの後すぐに、世界的なインテリアデザインの展示会ミラノ・サローネに出展することにしたので、会社設立準備もそこそこに製品づくりに没頭していました。
現在は青森、静岡、京都などの自治体や企業と立ち上げた複数のプロジェクトも進行中です。高知と同じように、商品そのものが魅力的であることが僕のポリシー。小さなパーツやディテールにこだわってつくり上げていくのは、きっと車づくりの経験からでしょう。単にデザインするだけでなく、企画から開発、デザイン、コンサルティング、販促、製造ラインまで、つまりトータルなブランディングまで行うんです。ひとつのプロジェクトはだいたい3年スパンですし、ほかの仕事や海外の展示会も年4、5回あります。だから、僕がいなくても進行できるよう、先方にスタッフを増員してチームをつくってもらっています。会社員の頃からいくつものプロジェクトを同時進行していましたから、いかに最小限の人数で最大の効果を生むか、その経験が生きていますね。振り返ってみると、特に独立するために何かをしたというより、自分がやりたいようにデザインに打ち込んできたことが自然と独立の準備というか、特訓になっていたのでしょうね。
展示会は僕にとって作品を発表する場というより、人と出会い、ビジネスの話をする場です。その後も実際に会いに出向く。じかに話して素材や技の改良を繰り返すことで、既存の素材がアップデートされ、より新鮮な製品へと発展するんです。それがビジネスという塊になって、新たな産業を生み出していく。人と人がつながって、人の連鎖反応でスパークしてこそ、新しいものができると実感しています。だからこれからもフットワーク軽く世界中を飛び回って、ずっとその土地のビジネスとして続いていくようなデザインサービスをしていきたいですね。
約3年間、高知県の第3セクター「エコアス馬路村(うまじむら)」の製品づくりにボランティアで携わってきました。勤務先に事業化の提案をしたのですが、企業としてはボランティアでやるわけにはいかないと。たとえ利益を生む事業になったとしても、村の予算は少なく、自動車産業とはけたが違いすぎますしね。それじゃ個人でやるしかないなと。ちょうど海外の展示会に招待されて、急いで試作品をつくる必要があったし、海外展示会ともなれば2、3週間は現地に滞在しないといけません。さすがに会社をそんな長期間休めないじゃないですか。「ならば会社を退職して独立しよう」と決めました。
100万円です。新しくSOHOのシェアオフィスを借りる契約料に40万円。残りの60万円は運転資金です。それ以前にも、高知に通った交通費や試作品の経費で、300万円くらいは使っていると思います。
退職金でまかないました。
会社では主任でしたから、「このまま会社に在籍して好きな仕事をすればいいのに」とか「会社員のほうが楽だろう」「仕事がなくなったらどうするんだ」と、当たり前のように言われました。でも僕は、組織から抜けたほうがもっと自由にできると感じていたし、このままでは近い将来ジレンンマに陥るとわかっていたので、気持ちはまったく変わりませんでした。上司は、まぁ仕方がないという感じでしたね。それまでボランティアで活動していたことを黙認してくれていたこともありがたかったです。村長は「うちのために会社を辞めるのか」と驚いたようで、心配していました。それできちんと契約書を交わしてくれることに(笑)。妻は建築士で、僕はインテリアもやっていましたから、「一緒に仕事ができるからいいんじゃない」と賛成してくれました。
今思えば、高知のプロジェクトだけでよく独立を思い切ったと思いますね。しかもまだ試作段階で、量産化して市販できる状態ではありませんでしたから。でもまぁ、何とかなるだろうと楽観的に考えていました。
以前にデザイン雑誌で、「デザイナーで独立」という記事を読んでいたけど、その時から、「そんなに甘くないだろう」と思っていました。そのとおり、甘くはないですよ(笑)。役立った情報をしいて挙げれば、会社を辞めるまで自分が実践してきたことすべてでしょうか。会社員だった頃から、作品を個人的にデザインコンペや展示会に出展したり、いろんなプロジェクトに携わっていたので人脈もあった。あと、フットワークの軽さにはかなりの自信がありましたから。
特にいませんでした。デザイナーで独立している人は多いけれど、僕のように地方の人を助けたいという構想を持っている人はいなかったし。いろんな人とプロジェクトの話はしましたが、独立するための相談ではなかったですね。
特に困ったわけではありませんが、仕事の依頼を断れないことかな(笑)。デザインするのが好きだからしょうがないですけど。困ったというか、いい勉強になったのは、「monacca」を商品化した時ですね。最初の半年間は、工程途中の木目の向きや塗りの具合、最終の品質チェック、海外とのやり取り、通関手続きなども全部僕がしていたんです。でも、いつまでも僕に頼っていては村の事業として続きませんから、各工程でチェックできるスタッフを置いてもらい、海外とのやり取りの指導をしました。自ら実践し、大変さも苦労もわかったうえで具体的な指導ができましたから。
自由にできること、束縛を受けないこと。これに尽きます。企業に属していたらいろんな制約もあるし、地方の情報もなかなか入手できませんが、自由な身なので羽が生えた状態ですよ(笑)。高知のプロジェクトでいえば、間伐材の処理の問題、伝統工芸の継承の問題、地域産業衰退の問題、その課題をすべて一気にクリアできたことですね。また、少しずつ僕の手から離して独立するようにしたので、村の事業として成り立っていった。この経験は、ほかの地域や産業にも生かせるわけですしね。「何かやりたい」でも「誰と組んだらいいかわからない」という企業や団体はまだまだ全国にたくさんあるはずですから。
「どうしてもやりたいことがある!」という人以外は、独立しないほうがいいでしょう。独立=ビジネスをする=お金を回すこと。すべてが自己責任の世界ですし、当然、リスクを伴います。リスクを最小限にするためにも、独立前にしっかりビジネスプランをつくって、シミュレーションしておくことです。デザイナーとして独立を目指すなら、どんどん外に出て、いろんな人に会うべき。会って話をすることで何かが生まれる。コミュニケーションは、デザイナーにとってアイデアの宝庫なんですから。それと、日本ではデザイナーの名前があまり表に出ませんが、海外では逆です。僕も最初は恥ずかしかったけれど(笑)。海外では実績のあるデザイナーの名前で商品が売れる。そんな日本と海外との違いも知っておいたほうがいいと思います。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報