さる5月のこと。現在公開中の映画『ダイハード4.0』の主人公を演じるブルース・ウィルスが、自身の最新作をPRすべくある映画ファンが運営するサイトのチャットルームにアクセスしたのである。当然ながらインターネット経由、しかも文字だけのやりとりということでほかの閲覧者は誰も彼が本物だとは信じない。最終的に氏に彫ってある入れ墨の画像を提示することで本人と確認。それ以降は本物の映画スターがやってきたと大騒ぎになったという。その映画ファンサイトこそが「Ain't It Cool News」(http://www.aintitcool.com)なのである。
「Ain't It Cool News」の主宰者、ハリー・ノールズ氏が同サイトを起こしたのは1996年のこと。極度の肥満体とぼさぼさの長髪に眼鏡をかけた風貌は、典型的な「オタク」だ。そんな彼の一番の趣味は映画観賞。長期入院中に気晴らしのために始めたのは、もちろん大好きな映画のファンサイトであった。
「映画以外にはあまり娯楽がなかったんだ」という氏が、現在も住んでいるのはテキサス州オースティン。典型的なアメリカの田舎町である。しかし距離も場所も関係がないのがインターネットの世界。根っからの映画オタクが始めた中身の濃いサイトは人気サイトとなるのに時間は要しなかった。ファン同士の情報交換や討論が活発に行われるようになり、それがまたファンを呼ぶという好ましい状況となっていったのである。
同サイトが一般には知られないような情報を掲載できる秘密に「密告者」の存在があげられる。サイトが映画関係者の間でも有名になるにつれて、彼らもこのサイトにアクセスするようになり、自身の立場を隠したうえで特ダネを提供するケースが出てきたのである。
公開前の試写会に参加した評論家がここでは本音を伝え、制作にかかわったスタッフがこぼれ話を提供する。彼ら匿名の映画関係者は「スパイ」と呼ばれ、自身の立場を守りながらもファンの期待にこたえるべく情報提供を続けていくこととなる。スパイが増えるにつれ情報の量と質は向上し、サイトの価値はますます高まる。そんな時に、このサイトが一般にも知られることとなった事件が発生したのである。
大手映画製作会社、ワーナーブラザースの大作映画『バットマン・アンド・ロビン』(1997年)の公開直前のこと。関係者向けの試写会で見たと思われる人物による書き込みがあったのだが、これが酷評ばかり。映画そのものも期待されるには遠い興行成績だったこともあり、ワーナーブラザース社は同サイトでの悪評が収益を悪化させたと、ノールズ氏にかみついたのだ。
しかし氏はひるまない。企業からの高圧的な書簡をサイトに掲載することで逆にファンを味方につけたのだ。そしてこの事件をめざとく見つけた芸能ゴシップ誌が先を競って氏へのインタビューを試み、この時初めて氏の存在が一般に知られることとなったのである。映画配給会社がこれを逆利用しようとするなどの画策を行うこともあるが、どこにスパイがいるかわからない状況ではあっという間にその意図が暴かれてしまう。まさに業界関係者にとっては同サイトは「あまりよいニュースではない」(Ain't It Cool Newsの意)となってしまった。
当然ながら現場で働く映画関係者たちには、ノールズ氏は人気の存在となる。メル・ギブソンやクエンティン・タランティーノらとは親交が厚く、彼らへ新しい映画のアイデアを提供したり、イベントに参加したりすることもあるという。エキストラとして映画に出演したこともあるし、映画評論家として映画祭などの各種イベントにゲストとして招かれることも多い。サイトとノールズ氏自身の成功物語は番組が制作され、さらには自身がプロデューサーとして映画の制作にかかわるなど、今やその活躍ぶりはマルチタレントといって良い。そしてここまでたった10年もかかっていないのは驚きだ。サイトをオープンしてからはその人気故に広告収入が見込めるようになり、今ではサイトは法人組織となっている。オタク転じて起業家となったわけだ。
今現在「ニート」とか「オタク」「引きこもり」と呼ばれ否定的な見方をされている日本の若者たちの中からも、いつこのような立身出世の物語が生まれてきてもおかしくはないはずだ。大いに期待したいものである。