CASE63機械設備設計エンジニア兼極地設営コンサルタント
極寒の地で磨いた技術を生かし、設計や施工管理の悩みに応える
南極大陸の気象や地質などの観測を行うために派遣される南極地域観測隊。以前、産業機器メーカーの子会社に勤務していた林原さんは、第49次観測隊・夏隊(2007年7月から2008年3月まで)の研究チームを裏で支える設営隊員として、“しらせ”の最終航海に参加した。機械設備設計エンジニアとして独立して1年あまり。「日本の仕事をほっておいて大丈夫?」と妻は心配したが、50歳で独立した時、「プロワーカーになったからには、会社員がしたくてもできないことにチャレンジするぞ」と誓った思いを貫いた。
自らが設計した漏液検知・位置検知システム付き燃料移送用パイプラインの調整や空調・給水配管改修の設計施工を手がけて無事帰国。収入は会社員時代の約6割程度にとどまったが、極地設営コンサルタントという肩書を持つことで、初対面の相手とでも、南極の話を出せば場が和むことが多いとか。
「“しらせ”とは、処女航海の時からのつきあい。会社が発電棟のレイアウトや機器基礎、配管などの設計を受託し、私が担当者になりました。短い工期で、建設や機械に関しては素人同然の隊員たちが施工しなければならないため、プラモデルのように組み立てが簡単で、かつ精巧なものを供給できるように設計に工夫をこらしました。自分が現場に同行するとは予想外でしたが、無事に建設されて観測の役に立っている様子を目にした時は、言葉にできないほどの満足感がありましたね」
当時の林原さんは、まだ27歳という若さ。技術、体力、気力共に充実したエンジニアとして、その後4度も南極地域観測隊に招かれた。2度目の越冬時には設営主任に抜擢され、ほかのメンバーの指導にもあたるなど、やりがいも増した。ところが、所属部門が別会社に移管されることとなり、極地設営のプロフェッショナルだった林原さんの社内的な立場が微妙なものに。
「意に添わない異動辞令が続き、2003年頃から退職を考えるようになりました。そんな時、団塊の世代の方々が独立して会社を起こしたり、プロワーカーとして活躍している記事を読んで、自分もやってみたいなぁと」
そこで、満50歳から適用される選択定年制を使うことを決め、残り1年間を独立準備にあてた。高専時代の先輩たちが結成した技術者集団「ACT135明石」に加入したり、知人の設計士にあいさつに行くなどして人脈を広げ、営業先を開拓。現在、売り上げの約8割が機械設備や建築設備の設計・施工管理によるものだ。もちろん、南極で共に働いた仲間も応援してくれた。だからこそ、冒頭の「しらせ」最終航海への参加が実現したのである。
「人間関係のしがらみがなくなり、人からの恩恵を強く感じられるようになって幸せです」
将来は仲間と協力し、設計・制作・販売のすべてを自分たちでできるような製品に挑戦したいと、夢を描いている。
PROFILE
林原 勝美さん(52歳)
1955年、兵庫県生まれ。明石工業高等専門学校卒業後、転職によりヤンマー機器サービス(現ヤンマーエンジニアリング)入社。81年からは昭和基地の発電設備設計に携わり、「しらせ」の処女航海にも参加。満50歳からの選択定年制を利用して退職し、2006年4月にoffice LIN(オフィス リン)として独立。
取材・文●服部貴美子 撮影●マツラヒデキ
協力●NPO法人インディペンデント・コントラクター協会
[ 2008.07.18 ]
営業の時に持参する業務案内。息子さんからの助言で南極のイメージ写真を載せた
POLICY
人生80年。30年間働いてきて、後半の30年間は会社員時代にできなかったことに挑みたい。
HOLIDAY
日曜を定休日に決めて、日曜大工などの家族サービスや登山、DVD観賞などでリフレッシュ。
MONEY
南極訪問期間を除けば、収入は会社員時代の約6割。営業や経理など間接業務の大切さを痛感。
SATISFACTION
メーカーの枠にとらわれず設計できるのが楽しみ。「頼んで良かった」の一言が最大の励みに。