なんもく・まさかず/群馬県出身。防災設備メーカーに就職し、8年間富山で勤務。同社・男性初の“寿退社”で、妻の故郷・宇都宮に移住。ITインストラクターとして転職。子どもと一緒に過ごす生き方を求め独立。趣味のバンド活動では年4回ライブも開催。
デスクの正面には、長女の一夏ちゃんが小学1年生の時、「下野教育美術展」で入選したダンスの絵が飾られている。二女の心恵ちゃんもお絵描きが大好きだとか
最初の勤務先を“寿退社”したんです。「彼女が住む宇都宮に行って結婚したいので、退職させてください」と申し出たのですが、従業員数1300人の大企業の中で、寿退社した男性社員は私が初めてだったようです(笑)。その後、結婚して、パソコン教育事業を行う会社に再就職。その当時はまだ、独立起業という選択肢があるとは知りませんでした。特にITに精通していたわけでもなかったのですが、初出社の翌日にはITインストラクターとしていきなり教壇に立つことに。もちろん、必死で猛勉強しましたよ。そのうち、指導法や行動心理学まで学ぶようになり、人に教えることの醍醐味や、人を育てることの楽しみを知ったんです。
その頃でしょうか、経営スキルに興味を持ち始めて勉強するようになり、人生に独立という道もあるんだと気がついたのは。当時、上の娘が2歳で、そろそろ幼稚園に行くかどうかを決める時期。インストラクターの職務を通じ、人が育っていく喜びを体感していたので、うちの子もこうして育っていくのかなぁと。そう思ったら、自分で育児もやってみたくなったんです。ITを使えばオフィスを構えず自宅で仕事ができる。そう思い、独立を決意しました。育児がしたいからという独立動機も、寿退社したのと同じくらい珍しいかもしれませんね(笑)。
PCモニター3台が並ぶ自宅リビングのデスクが仕事場。家にいながらも、毎日ビシッとスーツ姿で仕事に臨むのがポリシー。この日はプログラミング業務に大忙し
自宅のリビングを仕事場に、IT教育サポートとインフラ管理業務を事業としてスタートしました。これまでご縁のあったクライアントさんからのご紹介で仕事の依頼をいただけましたが、自分からも営業せねばと、チラシをつくり飛び込み営業もしてみました。でも、たったの2軒で断念(苦笑)。このスタイルは自分の性に合わないと感じたからです。独立の第一動機である育児の喜びは十二分に実感できる毎日でしたが、「ビジネスとして成り立っているか」と自問した最初の半年は、落ち込むことも正直ありました。
そんな時、近くに神社があることを思い出し、何げなく参拝。古びた神社ですが、ほこらの中に他の神社のお札もまつってあって。きっと、なくなってしまった近くの神社のものでしょう。それを見ていたら、この神社はとても地域の人に大切にされている。ほかの神社も、「ここならば」とお札を預ける地として選んだのだろうと。その時、「かけがえのない存在は生き残れる」と思えたんです。お客さまにとって、自分もかけがえのない存在になろう。この思いが精神的な支柱になり、お客さまの要望に自分ができることで精いっぱい応えようと強く意識するようになりました。その効果かどうかはわかりませんが、“ITの何でも屋”でスタートしたのに、起業2年後には、Webサイト制作、プログラミング、Webシステム開発へと、事業内容も方向性も広がっていったんです。
自分で計画して事業展開をしたのではなく、お客さまから「こんなことできる?」という要望に応えていくうちに、自然と業務内容が広がっていきました。宇都宮など地方都市の場合、ひとつの専門分野よりも、IT関連全般のスキルや業務を求められるケースのほうが多いですし、何かひとつ実績をつくると、それがひとり歩きして次の仕事につながるように感じます。紹介が紹介を呼ぶというのでしょうか。現在の事業のメインはWebシステム開発ですが、今後も事業内容は変わっていくと思います。もちろん、自分の知識やスキル以上のことを望まれることもあります。IT業界は技術進化が早いですから余計に。しかし、ITインストラクター時代にノウハウも何もないレベルから始めた経験からか、「世界の誰かがつくり出した技術なんだから、その人も人間。きっと自分もできる」と妙な自信のようなものがありました(笑)。未経験分野でのオファーであれば、正直に告げ、「勉強させてください」と伝えて仕事を受けています。有料で勉強させていただけるようなものですから、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
独立して3年後に法人化しましたが、これは別にお客さまから要望されたわけではないんです。子どもたちに、お父さんが何をしているか、わかりやすいかなと。「お父さんは社長で、君たちは社長令嬢なんだよ」と(笑)。まだ意味はわからないでしょうが、何か嬉しそうでしたよ。家で仕事をする姿を、育児を楽しみながら働くお父さんの姿を、子どもたちが見て育つ。こういうパパが世にいてもいいでしょうし、こんな経営の楽しみ方をもっと多くの人にも知ってほしい。働きたいパパ、ママを応援する活動もしていきたいですね。
30歳の頃まで、独立という選択肢があることを知りませんでした。再就職し、PCインストラクターをしているうちに、人を育てることの醍醐味を知り、自分の子どもも真剣に育ててみたいと思ったんです。独立したら子どもと過ごせる時間が増えるのではないか。自宅で仕事をすれば、子どもが保育園や学校から帰ってきた時に「パパただいま」「お帰り」と迎えられるのではないか。「理想の生活スタイルが送れる!」。そう思い、独立を決意しました。
自宅のリビングをオフィスとしていますし、仕事道具のパソコンも持っていたので、開業資金は特にありません。
スタート時の開業資金はまったくのゼロです。3年後に法人化した時は、自己資金を充てて資本金を100万円にしました。
勤務先は残念がってくれましたし、私は当時管理職でしたので、部下の何人かは「雇ってほしい」と言ってくれました。その余裕はなかったので断りましたが。妻はフルタイムの仕事を持っているので、私が育児をしたいと言い出したことに少し安心したのではないかと思います。ちょうど長女が幼稚園に入園するかどうかの時期でしたから、近い将来、何かとイベントも増えるだろうと予測できましたし。親族はほとんど会社員家庭で、自営のイメージがつかないようでした。家にいてパソコンに向かっていると「今日も遊んでいるのか」と言われたこともあります(笑)。でも、株式会社化した時にはとても喜んでくれました。
経営は初めてですから、いろんなことがやはり不安でした。でも、子育てができることへの期待のほうが大きかったですね。
インターネットがとても役立ちました。そこで収集した情報をもとに、試行錯誤 してきた経験が、今に生かされていると思います。PCインストラクターとしてコンピュータ関連を猛烈に勉強したこと。また、技術面だけでなく、人を指導するためのスキルアップ、経営面のスキルアップへと興味が広がり、経営戦略やMBAのセミナーなどにも出席して自主的に学んだことも役立っています。
特にいませんでした。独立するとクライアントに報告した時に、数社から「今後も何かしらお仕事をお願いしたい」と言っていただきました。
昨年末、複数の仕事が重なり、仕事のしすぎで“うつ”になりかけたことです。オファーを受けた時は、スケジュール的に重ならず、可能だと判断したのですが、後で個々のスケジュールが変更になってしまい、結果、作業時期が重なってしまいました。とはいえ、一度引き受けた以上は、睡眠時間を削って対応するしかありません。それで体調を崩し、精神的にも追い詰められました。友人から、「うつになりかけているんじゃないか?」と忠告され、気づいたんです。その仕事をやり遂げた後、マイペースを守ろうと強く意識するようにしました。自分のペースを守るということは、時にはオフォーを断らなくてはなりませんから、とても勇気がいることです。が、頑張りすぎて、体を壊したら、元も子もないですからね。
すべてです。家にいる時間が増え、子どもと一緒に過ごせる生活が送れること。朝、子どもたちを見送ってから帰宅するまで仕事して、子どもたちが帰宅後は育児に専念。寝かしつけてから、また仕事する、という毎日です。PTAや学校行事にも積極的に参加し、子育てをする父親の姿を広く知ってもらえること。働くお父さんの姿って昔ほど見る機会がないでしょう? 子どもだけでなく、親にも、こういうお父さんもいるんだよ、こういう生き方もあるんだよと示せる。自分が思う理想の生活スタイルを実践できているのは、独立したからこそだと思います。
まずは「自分の生き方は今のままでいいのか」と自問してみることです。「今の生活が大変だ」と言う人が多いですが、今と違う生き方を考えてみてはどうでしょう。未来の自分の姿を予想する、イメージするんです。昔の人の生き方に思いを馳せるのも参考になります。予想するというよりも、妄想に近い。妄想したその姿を実現するためにどうしたらいいか、具体的な計画はその後で考えるんです。「何の仕事をするのか」の前に、生き方を考えてみる。それが独立を成功させるための最初の一歩だと私は思います。そして、計画がうまく実践できなくても焦らないこと。何もかも計画どおりになんていかないのが世の常ですから。
独立した先輩の体験エピソード&独立支援情報