みつい・たつや / 愛知県出身。大阪芸大卒業後、日産自動車で工業デザイナーとして活躍。一転してウクレレ職人に。制作・演奏活動、鎌倉の七里ケ浜と東京・恵比寿で教室も主宰。海が見える自宅で、妻・息子・愛犬と、ストレスフリーな暮らしを満喫。
正面に海が見える工房で、ほぼ毎日制作に没頭。ほとんど機械を使わないハンドメイドで、月産1、2本を受注生産。足元には愛犬ルーシーがまどろんでいる
ウクレレと出合ったのは大学生の頃。当時、僕は友人とバンドを組んでベースギターを担当していたんです。でもベースって、ひとりじゃ完結しなくて、部屋でひとり弾きながら歌えるような楽器が欲しいなぁと。そんな時、同じ下宿の友人が弾くウクレレを聴いて、ぽろんとした温かい音にひかれたんです。独学で始めて、会社員になってからも仲間とバンドをやりながら、ウクレレも続けていました。
友人に誘われて訪れた、ウクレレ職人の教室で演奏を習いつつ、見よう見まねで制作も始めました。もともと僕は工業デザイナーですから、ものづくりは大好き。自分で弾くウクレレを自分でつくってみたかったので。週末に教室へ通い始めて4年たった頃、その工房・教室のオーナーから、「ハワイへ移住するので、自宅ごと工房も教室も引き継いでくれないか」と言われたんです。光栄でしたが、悩みましたよ。
通称「ミツレレ」と呼ばれている三井さん作のウクレレ。音色はもちろん、鎌倉彫のすり漆や箱根寄木細工など、温もりのある質感もこだわりのひとつだ
それ以前からすでに、僕はその教室の生徒でありながら、自分が属しているクラスで演奏ノウハウを教えていたし、制作教室でもウクレレのつくり方を教えていたんです。自分が初めてつくったウクレレがいい音を出したことで、オーナーに見込まれたとは思うのですが、不安は大きかったですね。自分よりも年歴の長い生徒さんもたくさんいましたから。
1年ほど悩んで、決断しました。紆余曲折もありましたが、ありがたいことに、独立2カ月後には自作のウクレレをお客さんに買っていただけたし、生徒さんも6、7割が残ってくれたんです。認めてくれる人が少しずつ増えてきて、個人やプロミュージシャン、大手楽器店からも制作依頼の連絡をいただきました。でも、僕がつくるウクレレはハンドメイドで、月産せいぜい1、2本なんです。「それでもかまわない」と言ってもらえた時は、本当に嬉しかったですね。
当時も今も、少量生産のオリジナルにこだわっています。木材も2、3年寝かせて、ここ湘南の空気、湿気を吸わせて、日本の気候に適したメイドイン鎌倉のウクレレです。音色はもちろん、装飾や仕上げにもこだわって、日本だからできる、ここ鎌倉だからできる、誰のまねでもない、この僕ならではのウクレレをつくろうと。教室も上達目的というよりも、来るのが楽しみと感じてほしい、そう思って生徒さんに接しています。この空間も僕自身もウクレレらしく。これがテーマなんです。
ウクレレって、初心者でも初日からそれなりの音が出て楽しめるし、上達したら当然そのレベルで楽しめる。何よりサイズが手頃で、気軽に弾けるし、遊びにも持っていける。バイオリンとかギターって何やら高尚な雰囲気があって(笑)、ある程度のレベルに達するまで楽器に対して「下手ですみません」みたいな気にさせられるでしょ。でも、ウクレレは、初日から楽しめて、日常生活の相棒のように肩ひじ張らずに付き合える、自分と等身大でいてくれるんですよ。それに、あの優しい音色。思わずホッとする、程良い日常感ながら独特の世界観がある。そんなウクレレのような、職人であり講師であり、ひとりの人間でありたいですね。
ここで工房と教室を主宰していた田村一雄さんから、「引き継いでくれないか」と声をかけられたのがきっかけです。でも1年ほど悩みました。ちょうど会社ではインテリアデザインのグループリーダーで、やりがいも責任も十分に感じていましたから。ただ同時に、少し先を考えると、数年後には社内での立場が上がって、折衝ごとがメイン業務となり、実際のデザインワークはできなくなるだろうとも予想できたんです。僕はずっと現場にいたい、手を動かしていたい。それで決断しました。2年ほど前からすでにウクレレもつくっていて、1本目からいい音だったので、これはいけるかなとも思っていたんです(笑)。その時は職人としてというのじゃなく、次はもっとこうしたい、ああしたいという、つくる喜びです。ものづくりが好きという気持ちが、決断した一番の理由ですね。
約100万円です。内訳は、工房の設置で20万円ほど、工具や材料の購入などで70万?80万円です。この場所を買い取ったのは会社員の時でしたし、自宅も兼ねていますから、その費用は開業資金とはいえません。
開業資金の約100万円はすべて貯蓄から捻出しました。
そろそろ結婚をと考えていた彼女、現在の妻は、「いいんじゃない」とあっさり(笑)。当時、彼女の趣味はボディーボードで、ここ七里ケ浜は僕と付き合う前からなじみのある場所だったんです。両家の両親も、応援してくれました。彼女の両親には、結婚したいというあいさつと同時に初めて会って、退職して独立したいと伝えました。妻の父親は開業医、僕の父は理容店で、それぞれ一定期間勤めてから独立した、いわゆる自営業ですから、気持ち良く理解してくれました。会社での反応は半々ですね。ちょうどカルロス・ゴーン氏が就任したばかりで、車種変更も多くて、忙しくも面白い時期でしたから。生徒さんは、もともと僕が教えていた人もいたので、全体の6、7割の人がそのまま残ってくれました。今は当時の生徒数と同じくらいに増えています。
生活できるのかという資金的なこと。教室では、生徒さんが残ってくれるのか。制作では、引き継いだだけで、その先の発展のパイプはゼロでしたから不安でした。でも、作為的に動くよりも、自然に身を任せるのが一番ですね。不思議と人って自然につながっていくなぁと実感しました。対人面での不安はなかったですよ。僕は会社員の時、2年ほど出向して販売店で営業もしたんです。デザイナーですから営業トークなんてできません(笑)。お客さんの要望を聞いて、「それなら○○がいいから見に行ってみては?」なんて、他社メーカーの車種を薦めていましたから(笑)。この性格とヒゲが印象的だったのか、お客さんに喜ばれて、出向者の中で売り上げNo.2でした。その時にわかったんですよ。自分は人と話すのが好きなんだということが。それと、“モノがいいから売れるんじゃない、モノと人で売れるんだ”と。いい経験でした。売り込みをせず、その人が欲しいものを一緒になって考える、当時も今も変わりません。
友人知人の人つながりです。制作については、京都のウクレレ職人・占部英明さんですね。占部さんと知り合えたのも生徒さんからの紹介です。具体的に相談するというよりも、実際に自分が制作した作品を見ていただくんです。「今度、京都へ行くので、僕がつくったウクレレを見てください」という感じですかね。
妻です。彼女の趣味はフラダンス。ウクレレを弾かないので、先入観なく客観的な意見を言ってくれますね。それが参考になります。漆に関しては、鎌倉彫の漆職人さんです。いろいろじっくり相談して、僕のウクレレ専用に特別なレシピをつくってもらっています。
イヤなことはすぐ忘れるタイプです(笑)。初めの頃に苦労したのは楽譜を書くことかな。僕、楽譜が読めなかったんです(笑)。音楽の授業をもっと真面目に受けておけば良かった(笑)。ずっとベースギターはやっていたのでタブ譜は読めたのですが、教室用に、課題曲を楽譜にしなくちゃならないので苦労しました。よくあるウクレレの教本って、音符ではなくフィンガーボードの上に手の形が書いてある、というのが多いんですね。僕は独学で練習していた頃は、自分でタブ譜に書き直していました。教室を始めるに当たって、それを音符に直すんです。今ではもう慣れましたけれどね。コードを音符に変換するソフトもあるけれど、なんか自分なりのニュアンスとか工夫を書き出したいので、わざと手書きにしています。
何より、ウクレレの魅力を広められることですね。オーダーやカスタム、修理、教室も含めて。それと、たぶん会社員の頃より今のほうが仕事していると思うんです。土日の休みもないし、働いているという気がするんですが、ストレスはない。追われている感じがしないんです。車だと大勢の人間がプロジェクトにかかわる。それはそれで楽しいけれど、自分の意見が通らないことも、決められた納期もある。でも今は、相手の顔を見て、話して、いろいろ考えながら自分のペースで好きにつくれる。とことんこだわって、自信を持って売れる。そういう意味で、ものづくりの理想です。そして、家族といられる、人間らしい生活を過ごせること。工房では犬が足元にいたり、子どもが遊ぶ声が聞こえたり、昼は妻がつくった料理を食べられる。人間らしい生活をしているなぁと思います。
会社員で、ある程度、社内で認められてスキルもある人なら、何でもできると思うんです。後押しをする何かがあれば、一歩踏み出せると思うんです。先のこと、将来のことなんて、わからないじゃないですか。「やってみるか」とちょっとアバウトな思い切りも時には必要ではないでしょうか。頭で考えているだけじゃ、何もできない。何も始まらないと思います。
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