株式会社ビストロパパを起業して7年半。“パパ料理研究家”という新しい市場を開拓し、さらに活動の場を広げるために今年の春からは新会社も設立。そのほかにも講演会や料理教室など、東奔西走の日々をおくる滝村雅晴さん。
今回は、独立時の心構えから、いかに自分の事業や地位を確立させたのか、そして“パパ料理研究家”という仕事への想いなどを語っていただきました。
そこには4年前に天国へと旅立った長女への想い、家族への愛情という、揺るぎない信念がありました。
デジタルハリウッド株式会社で執行役員等歴任後、09年4月、株式会社ビストロパパを設立。
パパ料理によって、家族の食育・共食と健康作り、ワークライフバランスを広める、日本で唯一の料理研究家。
ブログ「ビストロパパ~パパ料理のススメ~」は、10年半以上にわたり更新中。
2015年12月には47fishプロジェクトをスタート。2016年4月、ヨンナナフィッシュ株式会社を設立。
http://bistropapa.jp/
http://47fish.jp/
「報酬があるから働く」のではなく、「まず働く」。その結果、仕事がつながっていく。
―最初に、滝村さんのお仕事を改めて教えてください。
私の仕事は、料理を通して家庭を幸せにすることです。仕事が忙しいお父さんが「仕事を早く片付けて家に帰ろう。今日の晩御飯は俺が作ろう」という気持ちになってもらえるように、マインドを変えられたらと思います。
―アントレnetでも以前に取材させていただきましたが、ご活躍の場がますます広がっていますね。
「家族の笑顔のために料理をつくるパパを増やす」というテーマを元に、料理教室や講演・セミナー、ブログなど、様々な活動を株式会社ビストロパパの仕事として行っています。
そのビストロパパと並行して、2016年4月から、家庭内の「魚食」の推進に特化した事業を手がける47fish(ヨンナナフィッシュ)という会社を設立しました。子育て中の家族がターゲットで、魚を食べる習慣、そして魚の味覚をこどもに教えることが目的です。
―ビストロパパの起業から事業を推進していく上で、大切にしていることはありますか?
もちろん、ビストロパパも最初から成功していたわけではありません。成功させるためにはとにかくがむしゃらに働く、ということが1番ですね(笑)。それと同時に意識したことは「自分がやりたい仕事」と「自分ができる仕事」をきちんとセパレートして考えるようにしていました。
というのも、仕事はほかの人に目に見えてわかるキャッチーな部分と、あまり人の目に触れず、裏でこつこつやる部分に分かれます。ビストロパパの仕事の場合、多くは前者に該当する、いわば私のライフワークです。
一方、私はデジタルハリウッド出身ということもあり、現在でもコンサル・宣伝・広報戦略の仕事もやっています。ビストロパパに比べると、こちらの仕事は表からは見えません。
でもこうした仕事が基盤にあるからこそ、ビストロパパという、自分がやりたい仕事ができるのです。
このように「自分がやりたい仕事」と「自分ができる仕事」のバランスを取ることが非常に大切だと思います。
仮に「自分のやりたい仕事」がなかなかお金になりにくい仕事だったとしても、「自分ができる仕事」でお金を稼いで事業や生活を支えることができるからです。独立を考えている人は、まず自分のやりたい仕事とできる仕事をきちんと考えてみると良いかもしれません。
―自分できちんとお金を稼げる柱を作ることはとても大切ですね。ほかに何か心がけていることはありますか?
大切にしているのは「10万円分報酬として受け取るからその仕事をする」のではなくて、報酬の前に「10万円分の仕事を自分からする」という考え方です。
これは逆に、ビストロパパを立ち上げて少し経ってから改めて再認識したのですが、ある程度お金を稼げるようになると「これくらいの仕事ならこれくらいの売上になるだろう」と判断して仕事の質を無意識にセーブしてしまいがちになります。
そうではなく、とにかく自分が先に仕掛けて報酬以上の仕事をする。そうすることで、たとえその時々に自分の満足する報酬が得られなかったとしても、回り回って相応の報酬が得られるようになり、結果的に事業は軌道にのっていきます。
だからよく立ち上げ当初は「売る物がなかったら恩を売れ」と言いますがこれは、僕が思っていることで一般的な話ではないかと思いますのでニュアンスを変えていただければ、それは立ち上げ当初に限らず、ずっとその気持ちを持ち続けることが大切。「初心忘れるべからず」ということです。
退路を断って、覚悟を決める。がむしゃらになることで拓いてきた道
―ビストロパパのプロジェクトの1つに、一澤信三郎帆布さんのエプロンを展開されていますね。ほかにはない企画だと思うのですが、どのように実現させたのでしょうか。
これは、私がビストロパパの事業を始めた時に、「パパが似合うエプロンをつくること」を1つの目標に掲げました。そこで私が京都出身ということもあり、一澤信三郎帆布さんにエプロン作りを依頼したんです。
―一澤信三郎帆布さんといえば、京都の歴史ある有名な布製カバンのメーカーさんですよね。
はい。なので、事業を始めたばかりの自分が、こんな歴史のあるメーカーさんと取引できるはずがない…とどこかで思っていたのですが、ダメ元でお願いしてみたんです。
その際に、最初は「どれくらい売れるか」といったような普通の企画書を持参しようとしましたが、ふと手が止まり、結局書き直しました。
そして新たな企画書には「いかにパパとしての想いが強くて、どんな世の中にしたいか」という想いを込めた企画書を書き上げ、伝えました。
そしてその想いが伝わったのでしょう。一澤信三郎帆布さんからは快諾が得られ、日本全国どこへも卸していない貴重なエプロンを、唯一ネットで売ることに成功しました。
―素敵な話です。始めたばかりの頃のがむしゃらな気持ちって大切なんですね。
はい。この話ではないですが、起業したてで無我夢中の時はとにかく、自分の事業や想いを人に伝えること。がむしゃらになるためには「退路を断つ」ことも大切です。
私がビストロパパを始めるとき、あいさつまわりをする際、一緒にデジタルハリウッドの名刺も渡すようにしていました。しかし在職しながら準備しているうちに、だんだんデジタルハリウッドの名刺を出さなくなっていきました。
なぜならインパクト的にはビストロパパのほうが大きい上に、何より私の本気の意気込みが伝わっているからか、みんな話を聞いてくれました。
会社を辞めて独立するといって本気で話をするときは「退路を断っている」わけなので、みんな応援してくれたんです。
そして、先輩の起業家たちもみんな同じような過去があるので、こちらが本気だったら応援してもらえます。そういった縁をつないで、今に至っています。
自分にしかできないことで、オンリーワンからナンバーワンへ
画像出典:http://blog.livedoor.jp/tuckeym/
―毎日更新されるブログも知名度向上に大きく貢献していますね。滝村
ブログ「ビストロパパ」は、2006年3月19日から1日も欠かさず続けています。もともとこの「ビストロパパ」はブログタイトルだったのですが、結局それが社名になりました。―情報発信の方法として、ブログ以外には?
滝村
ブログだけですね。それで必要十分でした。私のブログ「ビストロパパ」の編集方針は「パパ料理」というワンテーマです。パパ料理、すなわちパパが作る料理ということですので、ブログでは外食で食べた料理を紹介する記事をメインに書いたことはありません。日々の当たり前な食卓を描いていますが、必ず家族と一緒に食卓を囲んでいるのが特徴です。格好良く見せるのではなく、食器や食卓が写り、家庭の温かな景色を切り取っているというのが、パパ料理のコンセプトです。
―ビジネスチャンスを広げるには、SNSを通じた情報発信も大事ということですね。
滝村
はい。人に自分の想いがうまく伝わらないのは、自分の「想い」が弱いか「伝える力」が弱いかの、どちらかです。伝えることに関しては、デジタルハリウッドで培ったノウハウがありましたし、何より私は「パパ料理を広めたい」という強い想いがありました。もうひとつ大きなポイントとなったのは、「パパ料理研究家」という新しい職業を自分で作ったこと。だから、パパ料理と検索すれば必ず自分の名前が出てきます。
そうした決定的なオンリーワンを続けることで、第1人者としてナンバーワンになる日が来ます。このブログがあるからこそ、今の自分があります。
「料理を通して家庭を幸せにすること」―長女がくれた、パパ料理研究家という使命
ブログ「ビストロパパ」は、2006年3月19日から1日も欠かさず続けています。もともとこの「ビストロパパ」はブログタイトルだったのですが、結局それが社名になりました。
ブログだけですね。それで必要十分でした。私のブログ「ビストロパパ」の編集方針は「パパ料理」というワンテーマです。パパ料理、すなわちパパが作る料理ということですので、ブログでは外食で食べた料理を紹介する記事をメインに書いたことはありません。
日々の当たり前な食卓を描いていますが、必ず家族と一緒に食卓を囲んでいるのが特徴です。格好良く見せるのではなく、食器や食卓が写り、家庭の温かな景色を切り取っているというのが、パパ料理のコンセプトです。
はい。人に自分の想いがうまく伝わらないのは、自分の「想い」が弱いか「伝える力」が弱いかの、どちらかです。伝えることに関しては、デジタルハリウッドで培ったノウハウがありましたし、何より私は「パパ料理を広めたい」という強い想いがありました。
もうひとつ大きなポイントとなったのは、「パパ料理研究家」という新しい職業を自分で作ったこと。だから、パパ料理と検索すれば必ず自分の名前が出てきます。
そうした決定的なオンリーワンを続けることで、第1人者としてナンバーワンになる日が来ます。このブログがあるからこそ、今の自分があります。
―そもそもなぜビストロパパを起業したのでしょうか。
まず、当時は「料理をしないお父さん」をターゲットにしている人や事業はそう多くありませんでした。そういった意味でこのターゲット層はまさに、ブルーオーシャンです。
そして何より、私自身が「料理をしないお父さん」だったからです。仕事ばかりしていた私が、長女が生まれたことがきっかけで料理を勉強するようになりました。なので、こうした「料理をしないお父さん」の気持ちがわかるのが第1ですね。
―そんな料理をしないお父さんに対して、どんなことを教えているのでしょうか?
私が教えているのは、お父さんとして奥さんやこどもの空腹に気づくという気持ちや、思いやり。そして実際に料理を作るスキルです。
そして、この「料理が楽しい」という感覚が芽生えると、家事や子育ても楽しくなってきます。そのマインドを伝え、育むのがパパ料理研究家の役割だと思っています。
つまり、私が教えているのは料理だけでありません。料理を始めとする、家族との付き合い方、ライフスタイルの提案です。
―料理だけではなく、そこまでコミットする理由はなんでしょうか?
私の長女の存在が大きいですね。先程も少しお話しましたが、以前は仕事漬けだった私が料理を始めたきっかけが長女の誕生でした。けれどそのきっかけをくれた長女は4年前に病気で天国へと旅立ちました。
それから私は、料理教室で「家族が一緒に食事ができる回数は有限」だということを伝えています。家族全員がそろって、全員健康で笑顔で食卓を囲むことは、当たり前なようで、本当は奇跡に近いわけですから。
―滝村さんにとって「パパ料理研究家」の仕事は、家族への深い愛情の証であり、1つの使命でもあるのですね。
そうですね。繰り返しになりますが、私の仕事は料理を通して家庭を幸せにすること。長女が誕生して料理を始めた私のように、お父さんがもっと家庭にコミットすることで家庭は幸せになりますので。
また、最近「誰かのために料理を作ることが、結果的に健康寿命を延ばすことになる」のではないかと考えています。
具体的には認知症は守るべき誰かを失った時に発症しやすい、と聞きました。つまりご飯を作ってあげる誰か、すなわちパートナーや子どもの存在がいるからこそ、人は自分がしっかりしていないといけないと思い、認知症になりにくいのかなと思っています。
誰かの命を守り、つなぐことは、誰かを生かすこと。長い目で見たら、こうして家族にご飯を食べさせてあげることが、自分や家族の健康寿命を延ばすことにもつながっているのではないでしょうか。
パパ料理研究家という仕事が、誰かの命を生かすことにも役に立っていたら、とても嬉しいですね。