少子高齢化、年々増える社会保障費、新聞やインターネットを見なくとも、意識せざるを得ない暮らしへの不安や社会の圧迫感。明るい未来につながるニュースとなかなか出合えない今、「福祉」と「ペット」という一見相容れない業界をつなぐ取り組みで、福祉業界に影響を与え続ける企業が注目を集めている。
今回ご登場いただくのは、動物看護師によるペットのホームケア事業を展開する株式会社CARE PETS代表の藤田英明さん。2018年にスタートした新たな事業モデル“保護犬と暮らす障がい者グループホーム「わおん」”立ち上げの背景に加え、人とペットが同じ歩調で歩んでいける、福祉の未来についてお話を伺った。
藤田 英明(ふじた ひであき)さん
1975年11月生まれ。明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業
1998年より福祉の世界に従事、社会福祉施設の現場介護業務、経営などを経て、
2004年に夜間対応型の小規模デイサービスを行う施設を埼玉県熊谷市に開設する。
2007年に株式会社日本介護福祉グループを設立。
2016年より株式会社CARE PETS代表を務める。
車、サーフィン、フットサル、読書と多趣味。1日に1冊を読破する読書家。5匹の保護犬と4匹の保護猫と共に暮らしている。帰宅後に行う8kmの散歩は、忙しい暮らしに癒やしをもたらすかけがえのないひとときだそう。
ぶつける場所を見失ったバイタリティ
活かしたのは、まるで知らない福祉の世界だった
―早速ですが、福祉業界に入られたきっかけを教えて下さい。
若い頃の出来事です。
ある時、日本に駐留するアメリカ人兵士といざこざがあったのですが、その時に彼がこう言ったのです。「お前のそのバイタリティを人の役に立てたらどうだ?」と。
もともとサッカー選手として世に出るのが人生の目標だったのですが、それが叶わず自暴自棄だった頃にその言葉は強く響きました。
人の役に立つ仕事って何だろう? その答えが、埼玉の特別養護施設で働くことだったのです。
―そこからキャリアがはじまるのですね。
当時は無我夢中でした。
いわゆる介護職としてがんばっていましたが、パソコンが使えるという理由だけで、24歳の頃に事務長に抜擢、そのまま25歳で施設長になりました。
―スピード出世というやつですか?
いえいえ、今も昔も人不足ということです。
睡眠時間は平均2時間で、きつかったですけれど、自分が人の役に立っているというリアルな感触がありましたね。
その一方で、福祉業界やサービスの制度全体を俯瞰できたことで、福祉が抱える問題をつぶさに知るきっかけにもなりました。
現場の最前線で社会と福祉の構造を理解
新しい福祉の在り方を模索する
―福祉が抱える問題とは、どういったことだったのでしょうか?
細かなことを挙げるとキリがないのですが、簡単に言うと「社会福祉法人」という組織の在り方の理想と現実の乖離についてです。
労働環境の改善はもとより、入居者とそのご家族が、共に残された人生を有意義に過ごす生活の提供には、「社会福祉法人」の枠組みでは限界があると感じはじめたのです。
―なるほど、20代の藤田さんにはそれが見逃せなかったと。
ただ、社会福祉の根底を動かすことは、一個人の力ではどうにもならない。
だとすれば、「社会福祉法人の力を借りない仕組みがあれば良いのでは」と考え方を切り替えたのです。
―そのあたりから、起業へと進んでいくのですか?
そうなりますね。2004年頃になります。
当時、老人ホームに入居できず、自宅で過ごしている高齢者の方が40万人以上。
その他にも、入院を繰り返している方が13万人も存在すると言われていました。
さらに2045年には日本の高齢化率は約40%に増加するなど、行政主導による社会保障の枠組みだけでは向き合っていけないことは火を見るよりも明らかでした。
―民間の福祉サービスがますます必要とされる社会になる。と?
それは、私の起業から10数年がたった現在の社会が証明していますよね。
街のあちこちに民間の福祉サービス施設があることもその答えの1つだと思います。
手持ち10万円からのチャレンジ
事業への情熱と先見性で起業の扉をこじあける
―なるほど、今の社会のひずみのようなものを予見されていらっしゃったのですね。
それほど大げさではないですよ。
社会といえば、当時から少しずつ問題視されてはじめていた日本の空き家問題も重要な要素でした。
余っていた空き家を、宿泊も可能な小規模デイサービスの場所として作り替え、24時間365日利用できるサービスで独立開業しました。
このサービスは日本初で、日中は保険内、夜は保険外のサービスを受けられる混合介護型です。
体調がよければ利用者の方の都合でご自宅に戻っても良い。
そんな民間企業ならではの、ゆるやかなルールに基づきつつ、創意工夫が凝らされた「夜間対応型高齢者デイサービス」は、利用者の皆さんから「使いやすい」と好評を博したんです。
―順風満帆ですね。
いえいえ、とんでもない。
「夜間対応型デイサービス」のアイデアはあったのですが、先立つものがない。
あるのは熱意と体力と行動力だけ(笑)。
思い立ったらなんとやらで、すぐに勤めていた老人ホームに退職届を提出して、起業準備をスタートさせました。
元手となる資金は、預金口座に残された10万円のみ。
全く足りなかったので、事業計画書を作り、日本政策金融公庫・信用金庫・都市銀行・大手銀行まで、銀行という銀行を回りました。
若造だった当時の私に耳を傾けてくれる方が珍しいくらいで、どの銀行でもシビアな現実に直面しました。
13行目に訪問した地方銀行の副支店長がその場で400万円の融資を決めてくれたおかげで、ようやく起業できたのです。
―熱意が伝わったのですね。
もちろんそうかもしれません。
ただ、熱意だけでは融資は受けられないことはわかっていました。
ですから、A4で1,100ページにも及ぶ膨大な資料を作ったんですよ。
―1,100ページ!
分厚い辞書みたいな事業計画書でした。
サービスの内容、利益確保の仕組み、運営コストはもとより、2045年の高齢者の数など、何十年も先を見据えたビジネスであることを説得できる材料は全て揃えました。
その地方銀行さんとは現在もお付き合いがあります。
そういったご縁がなければ、今はなかったかもしれませんね。
◆後編へ続く◆
独立のきっかけとなった「夜間対応型デイサービス」を全国に広めるため、株式会社日本介護福祉サービスを設立。最終的に約900店舗にまで拡大するに至った。福祉産業の革命児とも評された藤田社長が次の一手として打ち出したのが、ペットと人との共生という福祉の新しい姿だった。