モザイクタイルの名産地として知られる、岐阜県多治見市笠原町。
モザイクタイルとは、菜食された装飾用の小さなタイルのこと。モザイクタイルで作られたシンク(流し台)など、どこかで見たことがある人も多いのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、笠原町にある「作善堂」店主・水野典康さん。
「作善堂」では、シンクやテーブル、小物などモザイクタイルで作られた様々な製品を製作、販売されています。
もともと鈑金塗装を専門としていた、という店主の水野さん。なぜモザイクタイルの製品を作り、販売することになったのでしょうか。その理由を伺いました。
水野典康さん
株式会社MIZNO代表取締役・作善堂(さぜんどう)店主
高校卒業後、鈑金塗装業社に6年間従事。退職後、実家が営む「有限会社水野モータース」に転職、鈑金塗装部門の部長に就任。
就任後、岐阜県多治見市笠原町が全国一の生産量を誇る、モザイクタイル(彩色された、装飾用の小さなタイル)を使った製品の製作を開始し、副業として収益を得る。
その後「有限会社水野モータース」から鈑金塗装部門をスピンオフ。鈑金塗装とタイルシンクをはじめとするモザイクタイル製品の製作を専門とする「作善堂」の2つを主軸事業とし、株式会社MIZNOを立ち上げる。同社の代表取締役を務める。
自分で製品を作って、自分で売る。モザイクタイルを救う、インターネットの可能性
―水野さんの経歴から教えてください。
親父が岐阜県多治見市笠原町で、中古車販売の会社をやっている家に育ちました。
僕は3兄弟の末っ子だったので、会社を継ぐ必要はなかったのですが、なんとなく昔から、大人になったら実家の会社を手伝うような雰囲気があって。
とはいえ学校を卒業して、そのまま親父の会社に入って仕事をするのも違うなあ、と。親父の会社がやっていないことを外に出て学ぼうと思ったんです。
―お父さまの会社でやっていなかった事業が、鈑金塗装だったんですね。
そうそう。
どうせなら家族の誰も持っていないスキルで仕事をしようと(笑)。それで6年位経験を積んで、満を持して実家の会社に返ってきたんです。
―そうだったんですね。
6年修行して帰ってきたので「鈑金塗装のスペシャリスト」として、そのまま部も立ち上げさせてもらいました。
親父を始め、兄たちもできない仕事の領域だったので、比較的好きにやらせてもらってて(笑)。
そんな中、鈑金塗装の仕事とは別で興味をもったのが、モザイクタイルだったんですよ。
―鈑金塗装とモザイクタイルは、ずいぶんかけ離れたものに感じますが…なぜ興味を持たれたのでしょう?
この笠原町は、全国でも有数のモザイクタイルの生産地。そのシェアは実に、日本の90%以上を誇るほど。
とはいえ昔は飛ぶように売れていたモザイクタイルも、今は時代とともに売り上げも下降気味だった。
その理由の1つは、モザイクタイルの製品を販売業者に卸すだけの商売、つまり「to B」のビジネスで留まっていたから。
時代とともにモザイクタイル製品の需要も減っていく中で、その製造業者がどんどんいなくなってしまっている。
モザイクタイルが売れていた時代ならそれでも良かったのかもしれないけど「タイルの生産と製品の製造、販売の分業制があまりに深く根付きすぎてしまったところに、衰退の原因があるんじゃないか」と考えたんです。
現に僕が知る限りで、モザイクタイルから製品を作って売る、という工程を一貫して行っているところは、ほとんどなかった。
「笠原町の代名詞とも言えるモザイクタイルが、このまま衰退していくのを見ていられない!」と思い、本業の鈑金塗装とは別にモザイクタイルを使った小物などを自分で作り、ネットオークションなどで売り始めてみたんです。
―反響はいかがでしたか?
良かったですよ。
モザイクタイル製品の全体の需要はピーク時と比べて減っているとしても、インターネットを使えば「モザイクタイル製品が欲しい」と思う人に、ピンポイントに直接販売することができる。
正直「これはイケる!」と思いましたね。
笠原町から世界へ! Instagramで加速する、モザイクタイルの魅力
―それで分社化したんですね。
ネットオークションで手応えを感じていたから、というのもあるけど、もっと直接的な理由は他にもあって。
笠原町でタイルシンク(モザイクタイルでできた流し)を製造していた最後の1社だった、会社の社長さんが急死されてしまったんです。
画像:作善堂のタイルシンク
僕がモザイクタイル製品を作るにあたって社長にはいろいろお世話になっていたから、とてもショックだった。
それと同時に、社長が作ってきたタイルシンクをなんとしても後世に遺していかなければと思ったんです。
そして社長のお葬式の時に「タイルシンクは僕が作り続けます!」と宣言しました。当時はまだ分社化して起業する前だったので、完全に見切り発車だったのですが(笑)。
―見切り発車で宣言してしまうほど、タイルシンクへの情熱があったんですね。
タイルシンクっていいじゃないですか。インテリアとしてもかわいらしいし、おしゃれだし。
社長が亡くなられたことで、笠原町を支えた製品が潰えてしまうのはあまりに悲しすぎる。
そう思い、会社の鈑金塗装部門をスピンオフさせて分社化し、株式会社MIZNOを設立しました。
そしてそのモザイクタイル事業の部門として「作善堂」を発足させ、僕がデザイナーとして設計し、職人を雇用して製品を作っていきました。
―モザイクタイルの「作善堂」と鈑金塗装の2軸で立ち上げた株式会社MIZNOですが、業績の方はいかがでしょうか?
起業して6年経ちますが、ありがたいことにとても安定していますね。
鈑金塗装では、決まった取引先から定期的にお仕事のご依頼を受けるので、比較的安定して収益を担保できています。
一方、モザイクタイルの「作善堂」は、注文が殺到しすぎて回らないほどご好評いただいています。
―売れ行きが伸び悩んでいたタイルが、なぜそれほど人気なんでしょう?
理由は大きく2つあります。
1つ目は、2年前に「多治見市モザイクタイルミュージアム」が開館したこと。
このミュージアムができたことで、モザイクタイル製品の需要がより高まりました。「作善堂」ができたのが2012年なので、自然と「作善堂」に来られる方が増えてきました。
もう1つは、Instagramの流行。
今や「作善堂」のInstagramのフォロワーは1万2000人を記録し、全国各地に留まらず、全世界から「作善堂」の製品を見てもらえるようになりました。
さらにこのInstagramの流行の余波は、先程の「多治見市モザイクタイルミュージアム」にも波及しています。
開館当初は年間2万5000人程度の来場者を見込んでいたそうですが、開館後はその6倍の15万人が来場し、現在もたくさんの方が来場されているそうです。
これも「インスタ映え」の影響です。
その結果、以前は「楽天」などのネット通販を中心に販売していましたが「商品を直接見たい、買いたい」という声が増えたため、今年の5月からここ笠原町に直営店をオープンしました。
どれだけ売れても、商品の質にはこだわりたい
―Instagramの追い風もあり、まさに絶好調の「作善堂」ですが、製品を作る上で大切にしていることはありますか?
どんなに商品が売れていても、職人の手によって1つ1つ作る、というスタンスだけは譲れないですね。
「作善堂」の製品は「安く大量に消費される」のではなく「価格も高い分、質の高いものを大切に使っていただきたい」という願いを込めて、作り上げています。
SNSを通してたくさんの方に知っていただける分、良い評判も悪い評判もすぐにできてしまう。だからこそ、1つずつ手を抜かないで使っていただける方のことを考えて大切に作っていきたいんです。
故に納期的な問題で、製造を制限(品切れ扱いに)することも多々あり、お客さまにご迷惑をおかけしてしまっているのですが…。
―製品へのこだわり故の悩みですね。
はい。テーブルとタイルシンクは製作に特に時間がかかるので、ひと月に数個程度しか受注できないんです。
その代わり全世界のお客さまに満足していただけるよう、全身全霊で制作していますし、フルオーダーをされる際には、私が直接伺ってお話をします。
この間は韓国の方から「ぜひ作善堂さんの製品を購入したい」と熱烈なオファーがあり、その方のあまりの熱量の高さに圧倒され、韓国まで行って打ち合わせをしてきました(笑)。
お客さまのハートを動かせるような製品を、これからも作っていきたいですね。
―水野さんらしい、素敵なエピソードですね。最後に、読者の方へアドバイスをいただけますでしょうか?
基本的には自分のやりたいこと、好きなことをやっていくべきだと思っています。
ただし「自分が儲けること」を第1に考えすぎるのは、よくありません。たとえば「作善堂」では、モザイクタイルを次の世代に繋げることを目的に始まりました。
自分がやりたいこと、好きなことであり且つ、みんなが喜ぶこと、誰かのため社会のためになることを事業として始めると良いのかもしれません。