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音大出身の音じゃない。でも、それでいい。フィドラー・悠情が語る、自分の個性の活かし方

音大出身の音じゃない。でも、それでいい。フィドラー・悠情が語る、自分の個性の活かし方

個性。

他者とは異なる、その人特有の性質や性格。価値を見出され重宝されれば強い武器にもなりえますが、使う場所やタイミングを間違えると弱点にもなります。

今回お話を伺った、悠情(ゆうじょう)さんも、その個性を武器に活躍される「フィドラー」(バイオリン演奏者)です。

悠情さんは、音大出身者が大多数を占める「バイオリニスト」ではなく、人を楽しませる音楽を体現する「フィドラー」。

そんな悠情さんに、自分の個性の活かし方を伺いました。

<プロフィール>
悠情(ゆうじょう)

愛知県岡崎市出身。

3歳の頃、60~70年代のフォークソングの好きな父親の勧めでバイオリンを始める。
16歳の頃バイオリンを辞め、ロックドラムを始める。後にジャズ、フュージョンなども含め名古屋を中心に東京、横浜などでも活動。

その後25歳の頃にバイオリンを再開。ヨーロッパ数ヵ国を訪れた際、日本とは違う自由な音楽感を目の当たりにし、フィドラーとして音楽活動の道を再び志す。

独自解釈でのアイリッシュ、ノルディック(北欧)、ジプシー、クラシックアレンジ、ジャズ、オリジナル楽曲など様々なジャンルを演奏し、思い感じるがまま表現し、即興演奏のスタイルを多く取り入れている。

有名アーティストとのコラボレーションや異種アーティストとの共演も多く、芝居、ミュージカル、リーディング、レコーディング、コンサートサポート、プロデュースとしても活動している。

現在は自身のアンサンブル『悠情楽団』を中心に活動。

フィドルとは―。
バイオリンはイタリア語から派生。フィドルは英語。弓を使って演奏する弦楽器のこと。

要するにバイオリンもフィドルも同じ楽器であるが、弾くスタイル、ジャンルによって呼び方が変わる。

主にクラシックなど高度なテクニックを要する場合はバイオリン。民族音楽などを弾く場合はフィドルと呼ばれている。
一部抜粋:YOU JOE, THE FIDDLERより
http://www.youjoe.com/mutter.html

料理以外でお客さまに喜んでもらいたい。フランス料理店のシェフから、フィドラー・悠情が生まれるまで

―悠情さんが現在に至るまでの経緯を教えてください。

悠情さん
バイオリン自体は、3歳の頃から触れていました。親がフォークソングが好きだったので、小さい頃から僕に習わせていたんです。

幼少期からずっとバイオリンを弾き続けてきたのですが、思春期を迎えると、小さい頃から打ち込んでいたバイオリンに対して、いろいろ疑問を抱いたりするんですよね。

なんというか「バイオリン=お坊ちゃんのやる習い事」みたいなイメージがあったりして(笑)。

高校進学と同時に、バイオリンを辞めてロックバンドを結成し、ドラムを叩き始めました。

―バイオリンではなくドラムに転向した理由は?

悠情さん
まぁ、当時はとにかくモテたかったんですよね(笑)。

モテるためにはどうすればいいかと考えた結果、バンドを組もうと思ったんです(笑)。

高校を卒業して、大学進学をした後もバンドを続けていたのですが、活動するためにお金が必要だったので、日本料理店でアルバイトを始めました。

昔から僕は凝り性だったのですが、このアルバイトがきっかけでバイオリンとドラムの他に料理にもハマってしまいました。

そして大学卒業後はインテリアが好きだったこともあり、就活の末、家具を扱うメーカーに正社員として入社しました。

―会社員も経験されているんですね。

悠情さん
はい。

当初は楽しくその会社で働いていたんですが、3年経った頃に「やっぱり包丁が持ちたい」と思うようになり、会社を辞めて地元に戻りました。

そして地元でフランス料理のシェフの師匠に出会い、そのお店で働くようになったんです。

―現在、フィドラーとして活躍されている悠情さんの過去とは思えないくらい、言ってしまえばバイオリンと関係ないキャリアが続いていますが…?

悠情さん
たしかにそうですね(笑)。

でも、これらの経験の1つ1つが、今の仕事にも活きているんですよ。

そして僕が再びバイオリンと出合ったのは、フランス料理の師匠の元で仕事を始めた時でした。

―なぜフランス料理店で、バイオリンと出合ったのですか?

悠情さん
フランス料理店という特性上、お客さまの多くは結婚記念日や誕生日など、特別な日に来店されることが多かったんです。

わざわざ特別な日に来店してくださるお客さまへ、何かお料理以外でおもてなしができないか、と考えて披露したのが、バイオリンの生演奏だったんです。

―お料理の席でバイオリンの生演奏。まさに悠情さんならではの発想ですね。

悠情さん
そうですね。当時はブランクもありましたし、自分の中では「昔と比べると、あんまり上手く弾けてないな…」なんて思っていたんですが、思いのほか、お客さまからの反応が良かったんです。

そして入店してからしばらくして、師匠と一緒にフランス・イタリアへ料理の修行に出た時に、パリでアイリッシュパブに初めて足を運び、衝撃を受けました。

―なぜですか?

悠情さん
アイリッシュパブというのは、いわゆる「洋風の居酒屋」のことですが、居酒屋といっても現地の人は老若男女問わず盛んに利用します。

そして店では、頻繁にバイオリンやその他の弦楽器の生演奏が行われているんです。

プレイスタイルはというと、動きがあったり、即興でアレンジしたりと、とにかくなんでもあり。「お客さまが楽しんでくれれば、それでいい」と言わんばかりの演奏が、衝撃でした。

日本で言うところの「バイオリン」のイメージって、どこかクラシカルというか、上品で品位の高いもの、みたいなところがありますよね。

自分がかつて弾いていたそれとは全く異なる性質の、プレイスタイルに感動しっぱなしだったんです。

―それが今日の悠情さんのプレイスタイルの原点なんですね。

悠情さん
はい。もちろん、今までやってきたクラシックも好きなんですけどね。

クラシックはいわば、タイタニックで言うところの1等船室の音楽。それに対してアイリッシュは3等船室の音楽、といったところでしょうか?

今はそれぞれのいいとこを組み合わせて、プレイしています。

―本来、旅の目的は「料理の修行」だったはずなのに、なぜか音楽的な刺激を受けて帰ってくることになったんですね。

悠情さん
そうですね(笑)。

その後、見よう見真似で現地のアイリッシュ風音楽を自分のお店で披露したら、とても反響が良くて。

この経験がきっかけで、お店を辞めて音楽で食っていこうと、フィドラーとして本格的な活動を始めました。私が30歳の頃の出来事です。

短所も長所も、個性の一部。1番ダメなのは、その個性を殺してしまうこと

―フィドラーとして独立されてからは、いかがでしたか?

悠情さん
まず、普通の「バイオリン弾き」と比べると、かなり遅めのキャリアスタートだということ、且つ私は音大出身者ではありません。

そんな僕のキャリアを見た人から、「音大出身者じゃないなら、話にならない」と出演を断られたこともありましたね(笑)。

―出身で演奏を断られてしまう、なんてことがあるんですね…。

悠情さん
そうですね。こういう世界だと、少なからずどこの音大を出ているのか、みたいなところが未だに1つの尺度になっていたりするので。

だから最初の頃は、バイオリンを弾いて活動する傍ら、アルバイトをしながら生活をしていました。

そんな状況の中、転機が訪れたのは2005年の日本国際展覧会(愛知万博)の頃でした。

―愛知万博で何があったのですか?

悠情さん
愛知万博と同時期に、名古屋港の近くにイタリア村というアミューズメント施設がオープンしたんです。

そこのアイリッシュパブに演奏者として招かれて、バイオリンを弾くようになりました。

―なぜ悠情さんが招かれたのでしょう?

悠情さん
僕がバイオリンを弾いていて、しかも日本人なのに、金髪だったからですかね(笑)?

「君、金髪でおもしろいから弾いてみなよ」と言われたことを覚えています(笑)。

愛知万博の影響もあって、外国人観光客が増えて店は繁盛しました。もうこの頃にはアルバイトはしていられないくらい、忙しかったと思います。

そのうち、店で演奏をする楽団を作って欲しいとも頼まれました。

イタリアから演奏者が何名か来ていたのですが、そのアンダー(控え)として、現地(名古屋近辺)の演奏者チームを作りたかったのだと思います。

そこで僕が作った楽団が、現在まで続く「悠情楽団」の原型です。

―「悠情楽団」ではフィドラーだけでなく、ピアノにドラム、ベースなど、公演ごとにメンバーをチェンジしながら活動されているとお聞きしました。悠情さんはどのようにメンバーを集められたのですか?

悠情さん
メンバー個々人との出会いはそれぞれですが、このアイリッシュパブでの仕事を始めてからの出会いがほとんどですね。

当時イタリア村が運営していた、いろいろなアイリッシュパブを回って演奏しており、その中で、彼らと一緒にセッションする機会がありました。

その流れで「じゃあもう一緒にバンドやっちゃう?」みたいな話になりまして(笑)。

―自分と異なる楽器のプレイヤーたちとの関わりは、やはり刺激になったのでしょうか?

悠情さん
そうですね。僕自身も刺激になりました。逆に彼らにとっては僕が刺激になっているみたいです(笑)。

僕は、アイリッシュに出合って「お客さまを楽しませる音楽」に比重を置いてプレイをしてきました。

そのプレイスタイルを「音大出身の音じゃない」と批判されたこともありますが、逆に今の仲間たちには、個性として認めてもらえたんですよね。

即興でアレンジしたり、ステージ上で動き回ったりと、クラシックのステージではありえないことが起こるので、「こんなバイオリンの音色は聞いたことがない」と、いつも驚かれます。

―「人を楽しませる音楽」こそが、フィドラー・悠情としての最大の強みであり、個性なんですね。それに共感した人たちが、悠情さんの周りに集まっていく。

悠情さん
そんなところですかね(笑)。

だから、人から「ああ言われたから、それに従った」みたいなのって、よくないなって思います。

僕も「音大出身の音質じゃない」とか散々言われてましたけど、その音質やプレイスタイルだったからこそ今の仲間ができたし、金髪だったからアイリッシュパブの人にも面白がってもらえた。

結局、短所に見えるところも長所に見えるところも、自分の個性なんですよ。

1番ダメなのは、その個性を殺してしまうこと。

僕は、音楽で人を楽しませたい。誰に何と言われようと、「人を楽しませる音楽」をこれからも追求し続けたいですね。

もっと自由にバイオリンを楽しんでもらうために。プレイヤーだけでなく、プロデューサーとしても活躍する理由

―悠情さんは、合同会社を設立して4年ほどとお聞きしました。今はどんな事業をされているのでしょう?

悠情さん
プレイヤーとして演奏をメインとしていますが、自分や「悠情楽団」が出演するイベントのプロデュースも行っています。

表に出て演奏もしますし、裏では企画立案からイベント設営まで、全部自分で行っています。

―プロデューサーとしても「人を楽しませる音楽」を体現されているんですか?

悠情さん
そのように心がけてますね。「空間作り」がプロデューサーの仕事なので、どうやったらもっとお客さまに「楽しい」と感じてもらえるかな? と自問自答しています。

例えばクラシックのコンサートをするようなホールといった、堅苦しければ堅苦しい場所ほど「ここをパブにしてやろう」と画策しています(笑)。

―悠情さんらしいですね(笑)。

悠情さん
逆に会場がパブっぽいラフな感じだと、クラシックのようにガッツリ聞かせる演目を作ったりもします(笑)。

僕にとっては、アイリッシュもクラシックもどちらも好きだし、どちらもいいところがある。どちらが優れているとか劣っているとかではないんです。

大切なことは、それぞれの持ち味を上手に使い分けて、お客さまに楽しんでもらうことなので。

自分の個性を活かして、もっと自由に、もっとバイオリンの良さが伝わればいいなと思っています。

取材・文・撮影=内藤 祐介

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